ヴィクトリア朝の科学者ってすごいな

最近「生き物たちは3/4が好き」という生物学研究の本を読んでいます。

その第一章で紹介されているのが、ダーシー・ウェントワース・トムソンです。正直初めて聞いた名前だったのですが、ざっくり言えば生物学とほかの学問を近づけた人らしいです。

かのダーウィンも生きたヴィクトリア朝(19世紀)においては、「生気」によって構成された生物はただの物質以上のもので化学や物理の理論で説明することはできないという考えが主流だったそうです。その生物学者は物理学やら化学、数学を軽んるという風潮に一石を投じたのがトムソンその人。

「成長と形」という本に、生物は進化論だけではなく、物理的な性質で構成されていて、そのことは数学によって説明できることを記したのが彼の一番の功績です。そのことは彼の文才も相まって、多くの生物学者に影響を与えました。ダーウィンの記した「種の起源」に並ぶとも。

と、ここまでの生物学の功績だけだったら優秀な生物学者、で終わるのでしょう。彼のすごいところはここからで、古代ギリシア語や古典に精通していたそうです。それゆえ、古典に関する論文の出版やアリストテレスの著書「動物誌」を翻訳し出版まで手掛けたとのこと。

すごすぎる。

生物学に大きな影響を与えただけでなく、古典への造詣も深く、多言語を自在に操ったというその能力。多妻の一言に尽きます。しかも、生涯の長い期間にわたって、22時以降は書斎にこもって2時間は読書や知的探求に充てていたというから驚きです。それは間違いなく大成する。

こうした偉人の話を聞くと、今の生活は本当にいい生活なのかと考えてしまいます。生活水準が改善し、新生児の死亡率が減って、平均寿命が延びたことは素晴らしい。一方で、自分もやっているインスタントな快楽を求めてyoutubeを見たり、ソシャゲに時間を費やすという生き方が真に有意義なのか疑問を感じてしまいます。

アリストテレスたち哲人のように、トムソンのように、教養と知的好奇心によって考えに耽る生活が今こそ求められているのではないかと思うのです。多くの価値が一瞬で情報として処理されてしまう現代に、科学の論文という成果はもっと強固なものを残す数少ない手段ではないでしょうか。己の観察と考えを記した論文が注目されずとも、確かに出版した、のちの世代で参考にするかもしれない、そんなものが今こそ必要なのかもしれないです。

とはいえ、論文にするまでが難しい。それに、色々な嗜好を持った人がいるという多様性が人類全体で見たら重要なのでしょう。

ちょっと収集が付かなくなってきましたが、このあたりで。

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