鹿島国立に向けて

今から26年前。
私がまだ小学生だったころ。
初めてサッカーのしあいを観に行きました。
それまでサッカーというものを知らず、毎晩テレビ観戦していた野球こそが男の子のスポーツであり、最も熱い関心ごとの一つであると信じて疑っていませんでした。

クラスの男の子は地域の野球チームに属しており、スポーツの話題といえば野球だったのを覚えています。

そんなある日、私は両親に連れられて国立競技場に連れて行かれました。
1997.5.28
ジェフユナイテッド市原vs鹿島アントラーズの試合。
1993年にプロリーグとしてJリーグがスタートし、人気絶頂だったこのイベントに、私の両親も恐らくは熱く心を寄せていたのでしょう。

当時の記憶は曖昧ですが、私は興味がはっきりとなかったです。
というか認知していませんでした。
あの日、どんな気持ちで国立競技場に赴いたのかのかは覚えていませんが
試合のスコアが、0-2であったこと。
ホームのジェフの席に座っていたこと。
グラウンドを挟んだ対岸にはっきりと赤く燃えるサポーターの姿を見たことを今でも覚えています。

あの日のわたしはまだ神の創造した世界を知りませんでしたし
目の前で戦いを繰り広げていたサッカークラブが
JRと住友金属という企業が前身となっていることなども当然知らず
赤いチームと、黄色いチームが競っているという認識しかなかったと思います。

しかし、当時の私にもその狂おしいほどの熱狂はひしひしと感じており
なんて素晴らしい世界なのだろうと虜になりました。

恐らくその帰り道、既に私の中で野球<サッカーの構図が確立されており
興奮のまま夢に堕ちたのは言うまでもなく
翌日登校した私は、同級生の女の子にサッカーが好きなのだといいました。
(ちなみにこの女の子は浦和レッズファン)

私は今になってこの運命をよく感じることがあります。
都内に住んでいれば当時はヴェルディ川崎や横浜マリノスという人気クラブがありましたし
何より、普通であれば浦和レッズというクラブに傾倒するのが当然の環境でした。

父親が茨城県出身であったこと。あまり細かいことにはこだわらない性格だったことなど考えうる要因はいくつかありますが
なんにせよ、あの日ヴェルディでもレッズでもマリノスでもなく、鹿島アントラーズというクラブに出会えたこと。その機会を与えてくれたこと。
そして、何よりもあの日負けに鹿島アントラーズが勝利してくれたことに今でも強い感謝を持っています。

2023/5/14
鹿島アントラーズは30年のときを超えてまた国立競技場という聖地でオリジナル10のひとつ、名古屋グランパスとの決戦に挑みます。

勿論勝利を祈っておりますが
それ以上に、あの日の私のように
サッカーという素晴らしい文化に一人でも多くの少年少女が触れ合うことで
より良い人生の糧となることを祈っています。

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