こんな私が100人の前で指揮を振ったという話。

吹団あどべんとかれんだーの12/10(日)の記事です。今日はなんと,私の所属する筑波大学吹奏楽団の第90回記念定期演奏会です。今回の定演で私は引退です。あっという間でしたね~。


自己紹介的な

筑波大学の情報系学生3年目のありです。筑波大学吹奏楽団所属,サックスパート(バリトンサックス),学指揮やってます。吹奏楽自体は中学で出会い,9年目です。

書こうと思ったはいいものの……

ネタがない!!
普段こういうものを一切書かないので,どういうものを書いたら良いのか分からない。でも折角なら何か書きたい……。現在の私はバイトしながら学校行きながら吹奏楽をやるという生活です。それ以外に何も活動がないのです。さらに,これなら誰にも負けない!といった特技もなく。これなら熱く語れる!というものもないことはないが,そこまで詳しいというわけでもなく。色々考えた結果,そういえばこのことを人にあまり話したことなかったなと。

告白─私の軽度?障害の話

私とよく接している人(特に吹団のみんな)は気づいている人もいるかもしれませんが,私,吃音を持っています。多分軽度なんだけど。

吃音って何

吃音と聞いてもイマイチピンとこない人もいるかもしれません。抑読み方すら危うい人もいるかもね。きつおんと読みます。……で,それは何??って感じだよね。

吃音(きつおん、どもり)は、話し言葉が滑らかに出ない発話障害のひとつです。単に「滑らかに話せない(非流暢:ひりゅうちょう)」と言ってもいろいろな症状がありますが,吃音に特徴的な非流暢には、以下の3つがあります。
・音のくりかえし(連発)、例:「か、か、からす」
・引き伸ばし(伸発)、例:「かーーらす」
・ことばを出せずに間があいてしまう(難発、ブロック)、例:「・・・・からす」


上記のような、発話の流暢性(滑らかさ・リズミカルな流れ)を乱す話し方を吃音と定義しています ( ICD-10, WHO)。

吃音についてー国立障害者リハビリテーションセンター
https://rehab.go.jp/ri/departj/kankaku/466/2/
(2023/12/08)

検索してみたらこんなのがあった。私の場合,2個目の伸発はあまりないけど,1.3個目はよくあります。
吃音自体,発話障害の1つに分類されていて,診断があれば障害者手帳も取得できます。

私の症状について

簡単に言うと,上述の通り,音を繰り返したり,なかなか言葉が出なかったりします。特に文頭(語頭)でこの症状が出ることが多く,話の流れだとスムーズに話せることも多いです。といっても,すべての発話でこれが起こるというわけでもなく,最近そんなに症状出ないな~という時もあれば,最近多いなぁという時もあります。ちなみにここ最近は結構ひどい(体感)。それに,苦手な音とそうでもない音が存在します。具体的には,あ行・さ行・は行・ま行・や行から始まる単語・文は詰まることが多いです。さ行はさ行でも,ざ行だと上手く発話できます。
あとは,心理状態によっても変わることもあります。緊張してると症状は起こりやすいです。
私自身,症状はかなり軽い方だと思っています。(あまり同じ吃音の人に出会ったことがないのでなんとも……)

吃音での生活

生活は不便ですね。そりゃもちろん。話そうと思ったことがスッと出てこないんですから。ストレスも溜まります。私にとっては発話自体,単純なものではないのです。

  1. 頭で何を話すか考える

  2. 文章(単語)を頭に書き起こす

  3. これまでの経験から,滞りなく発話できるか検討する

  4. 必要に応じて単語を変える

  5. 発話する

丁寧に書くと,こんなことをずっとやっています。もう吃音歴20年ですから,無意識です。特に考えることなくこのプロセスを遂行しています。苦手な単語得意な単語もなんとなく分かっていますから,そこまで時間はかかりません。例えば,

  • 7時(しちじ) → 19時(じゅうくじ)

  • ありがとうございました → "本日は"ありがとうございました

  • 誰かの名前 → 名字+名前(フルネーム)

みたいに言い換えます。ただ,このプロセスを経ずに発話できる人と比べると,どうしても少し遅れることはあります。タイミングを逃して発言できなかった,なんて日常茶飯事です。そして,

  • 音読(指定されたものを読む)

  • 店での注文

  • スムーズで素早い対話

辺りが苦手なことです。つまり,一字一句その通りに発話しなければならない状況と,先述のプロセスを経ることによって不都合が生じる状況(時間をかけてはいけない)が得意でないですね。小学生の時の,国語の教科書の丸読みなんて地獄でした。作文の発表とかも。

吃音による学生時代の苦悩

私は,吃音によって特段いじめられることはありませんでした。ただ,笑われたりからかわれたりすることは何度かありました。小学生時代ですね。幼い時は今よりももっと症状がひどかったので,周りの子どもたちからしたら面白かったのかもしれませんね。中学生時代には,「お疲れさまです」の”お”が言えなくて苦戦しました。聞いた話によると,友人の親から「話し方がうつるからうちの子と話さないで」のように,言われる事例もあるそうです。勿論,吃音はうつりません
思うように話せない,症状が出るとからかわれるかもしれない,といった生活を続けていて,元々内向的な性格ではありましたが,余計に加速させました。決して友達がいなかったわけではありませんが,多くはなかったです。

無自覚な吃音

実は,私が”吃音”という言葉を知ったのは大学1年生の時でした。ネットニュースで吃音症の人が取り上げられているのを見て気づいたのです。それまでは,これが障害であることも知りませんでした。所謂個性のようなものなんだと思っていました。周りに同じ吃音の人が1人しかいなかったというのもあるかもしれません。それに,吃音を扱っている病院は珍しく,確立された治療法も存在しないらしいです。私の他にも,自分が吃音であると気づかず悩んでいる人もいるかもしれません。

音楽との出会い

最初は歌・ピアノから

昔から歌が好きでした。今考えれば,吃音であったことも関係しているのかもしれません。そうです。歌はなぜか詰まることが一切なかったのです。例え苦手な単語でも,メロディに乗せると問題なく発声できました。症状の比較的ひどかった幼少期でもそれは同様でした。
本格的に音楽に触れだしたのは小学1年生の冬でした。自宅にアップライトピアノがあったというのもありますが,母親が幼稚園で合唱の伴奏をするような人だったので,近所のピアノ教室に通わせてくれました。決して乗り気ではなかったのですが,なんとなく通い続けました。そして,ピアノは中学3年生まで続けました。中学生の時は学年合唱・全校合唱の伴奏までさせてもらい,ピアノが私の音楽の原点であったことは言うまでもないです。

吹奏楽との出会い

私は地元の公立中学校に進学しました。全員入部が強制される学校だったので,どの部活に入るか悩みました。そこで吹奏楽に出会ったのです。

  • 運動は好きじゃないから運動部は嫌

  • ちゃんと部活動はしたいから,実質帰宅部のような部活は嫌

  • でも画力はないから美術部はNG

と考えると,吹奏楽部しか残らなかったのです。つまり消去法でした。クラシックなんて聞かないし,家族誰も楽器のことなんて分からない。代々体育系の家系なので,イレギュラーでしたね。ピアノの経験があって楽譜が読めたのでまぁいいかと思い入部し,楽器はなんとなくかっこいいなと思ったアルトサックスを選びました。

発話せずとも自己表現ができる環境

吹奏楽部で生活しているうちに,私には友達ができました。仲のいい先輩もできました。選挙の末,副部長にも任命されました。こんな私が人前に立つ役職になったのです。これまでも学級委員などになったことはありましたが。音楽がどんどん好きになって,練習もたくさんして,発話せずとも周囲から認められることができたのです。楽器で自分を表現する。そのおかげで今の私がいるのは言うまでもありません。中学時代に出会った吹奏楽部の同期とは今でも連絡をとってたまに会っています。

さらに吹奏楽の世界へ

中学校を卒業し高校へ進学。地元では一応進学校という立ち位置でした。高校でも勿論吹奏楽部を選び,サックスパートに入りました。楽器は,様々な理由でバリトンサックスに変更。そしてますます吹奏楽の世界にのめりこんでいきました。昼食を午前中に食べ,昼休みは部室にいました。1年生の冬には時期部長に任命され,1年間部長として活動していました。

大学でも吹奏楽を

そして筑波大学に進学。何かサークルには入りたいと思っていましたが,大学には器楽系のサークルがたくさんあり,どこに入るか迷いました。最初はビッグバンドに入るつもりでしたが,新歓で吹奏楽団の見学に行った時,私はやっぱり吹奏楽が好きなんだ,と思い即入団。因みに現3年生の中で最速の入団です。そこでもバリトンサックスを選びました。アルトサックスは自分の楽器を持っていたのですが,高校で低音の魅力に気づいてしまったのです。しばらくは大学の生活に慣れるのに必死でしたが,半年も経つと生活にも慣れ,ほぼ毎回練習に参加しました。

こんな私が指揮者に

悩んだ末,私は学生指揮者に立候補しました。理由は「音楽が好きだから」ただそれだけ。音楽理論なんて全然分からない。音感もほぼない。指揮なんて合唱ですらしたことない。演奏の指導も全く経験なし。そんな状態でしたが,信任選挙だったということもありそのまま就任。不安ながらも,必死で音楽理論の勉強をしました。2回程度,高校時代の音楽の先生(非常勤で,大学で音楽を教えているような人)のもとを訪ねて指揮のレッスンも受けました。こうして学生指揮者としての私が誕生したのです。

こんな私が100人の前で指揮を振ったという話

筑波大学の吹団では,年2回の定期演奏会で学生指揮者が指揮を振ります。私は就任から半年強で本番を迎え,5分程度と7分程度の曲ではありましたが,指揮を振りました。曲が終わった後,客席からの拍手を背中で受けた時の感覚は,今でも忘れることはありません。
そして2023年の春,先輩たちが引退し,我々が執行代となって初めての定期演奏会で,アンコールで約100人を前に指揮を振りました。
こんな私が,人前で話すのが苦手な私が,幼き日に無自覚な障害で悔しい思いをした私が,100人を率いて音楽を作ったのです。

中学校での吹奏楽との出会いが,今の私を形成しました。もし吹奏楽を選んでいなかったら,こんなにもたくさんの人に囲まれて大学生活を送ることなどできなかったでしょう。もちろん,人前に立って何かをするなんてできるわけがありません。流暢に話せなくても,人前で指導ができる,率いることができる。そんな環境に出会えたこと,本当に感謝しています。

最後に

長々と書いてしまいました。普段物書きをしないので,読みにくかったらすみません。吃音について,簡単に調べただけ+自分の体験談なので,一般的なものと乖離していたらすみません。
吹団のみんな,最後の最後まで,全力で楽しもうな!!

宣伝

今日12/10(日)は筑波大学吹奏楽団第90回記念定期演奏会です。もしお時間ある方は入場無料ですので,お立ち寄りください。今回も,私が指揮を振ります。吃音の私が,100人を前に指揮棒を振ります。その姿で,少しでも勇気や希望を与えられたらいいな。同じ吃音で苦しんでいる子どもたち(大人も)に,吃音でもこんなことができるんだって,思ってもらえたらいいな。
配信もあります!!
 ⇒https://www.youtube.com/live/j5-2A1qjP6U?si=igvs_ojCcbG0ZxE3


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