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02:そもそもの葬式の始まり

人類の始めはアフリカ女性からと言われてますが、宗教感覚が芽生えるより前から人の死があったのは間違いありません。

であるなら葬式とは『ともに生きた家族とのお別れの時』であり『助け合って生きた仲間とのお別れの時』であって人の死(寿命)は自然の摂理です。

もっとも人間本来の寿命は38才程度とする学説もあり、日本人の平均寿命80有余年の長寿も進化の恩恵のひとつなのでしょう。

葬式は本来宗教儀式でないと明言するひとつは死後の捉え方の違いです。日本、中国、韓国などの東アジアは祖先崇拝しますが、信者20億人といわれるキリスト教に祖先崇拝はありません。

もっと言えば仏教は「仏」になると言い、神道では「家の守神」になり、キリスト教では「復活」すると言う。とするなら死後の世界とは各宗教別にあって無信仰者用の死後世界も存在するのでしょうか?

こうして考えると無信仰者の僕にはどれも納得し兼ねますが、人の死は自然の摂理、だから家族関係に問題なければ対象者も家族も存命中にお別れを済ませておく事が何より大事だと思えるのです。

与え与えられた愛情、教師や反面教師としての教え、世の中で最も愛する人の1人、ともに過ごした時間の終焉しゅうえんを迎える時が来る。ありがとうの感謝を伝えあい、愛している事を伝えあい、一緒に生きられた事への喜びを伝えあって最後の時まで最大限温かく送るのが葬式――、

そこには宗教儀式など微塵みじんもなく、葬式形態でもなく、見栄や建前や世間体もなく損得勘定も無い、家族や愛する人にだけ持てる無償の愛と感謝の温もりで送るのが最高の葬式じゃないだろうか。

極論を言えば、この考え方だけが唯一全世界の誰もが受け入れられるのではとさえ思う。宗教儀式はこの前提の上に存在するのではないでしょうか。

葬式に決まりは無い現実を知る

葬式には決まり事があると思ってる人が大半、何が根拠か分りませんが最低でも100万円は掛ると思ってる人が多いのに驚きます。

確かに法律の決まりはありますが次の2つだけです。
『死亡診断書に記載された時間から24時間以内の火葬はできない』
『火葬には行政が発行する火葬許可証が必要である』
他に法律はありませんが、大多数の火葬場の決まりとして『フタ付の棺で搬入』が決められているだろうと思います。

15年前から一緒に葬儀支援し、それ以前は大手葬儀社の営業を8年間してきた千明ちぎらでさえ葬式には決まりがあり、最低でも100万円以上は掛ると思ってたそうですから、一般の人達が同じように思いこんでたとしても当然でしょう。

仏式、神式、教会式など宗教毎に葬式が違うのは誰でも分るでしょうが、実際は地域によっても違うし、同じ仏教でも宗派によって違うし、同じ宗派でも唱える読経や流れや作法は全てと言えるほど違うのが現実です。

例えば、死後は四十九日の旅に出ると言えば十三仏信仰をする宗派ですが、浄土真宗(本願寺)は四十九日の旅などしないと言う。

十三仏信仰の宗派の戒名は『信士・信女』『居士・大姉』の居号ですが浄土真宗では『釋〇〇』と3文字が普通です。

また仏教発祥の地インド仏教に戒名はなく、中国で道教や儒教の影響を受けたものが日本に伝わったのだろうと思われるし、戒名は死後に授かるものではなく出家した人は俗世を捨てる為、俗名も捨てるからの戒名なはずです。

もっと身近なら屋根に弓で矢を射る僧侶がいたり、腰に荒縄を巻く習慣があったり、葬式が起きた事を知らせる「げ」など地域限定の習慣はいくらでもあります。

これらは地域の慣習と住職の感覚ひとつで全て変わるのですから、例え同じ仏教で同じ宗派でも檀家は住職が代われば振り回されるわけです。

またキリスト教でもゴスペルを歌い、パイプオルガンで派手な葬式をするカトリックもあれば、もっと自由で簡素にと費用を抑えたプロテスタントもあるし、お祈りだけのエホバ証人などキリスト教でも全く違います。

誤解を避ける為に言いますが、信仰や宗教儀式を否定しているのではありません。信仰があるなら信仰で決められた流れや作法での葬式をすれば良いと思いますが、無信仰者にとって意味の無い真似をする必要は無いのです。

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参考資料(お時間のある時にでも読んでみてください)
あんしんサポート葬儀支援センター  
代表ブログ 葬儀支援ブログ「我想う」

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