あんぜろっと

あんぜろっと

最近の記事

2011年8月4日13時06分

倒れてから2日後、松田直樹は亡くなった。 覚悟を決める時間があったからか、意外と落ち着いて訃報に接することができたと思う。ビハインドでATに入って、逆転を信じつつもこのまま試合終了になる予感もある、そんな状態だった。そして、そのまま笛が鳴った。正直なところ、自分のことについてはあまり記憶が無い。思い出されるのは、テレビの向こう側で受け答えしている中村俊輔。インタビュー慣れしているはずの彼が、言葉に詰まりながら「まるで眠っているようだった、今にも起き出しそうだった」と語ってい

    • 2011年8月2日9時58分

      よく晴れた、暑い日だった。 信州の夏は、天が近いぶん日差しは強いものの、湿度は低いから日陰に入れば過ごしやすい。職場は冷房の効いた過ごしやすい環境だったが、会社に着いて駐車場から更衣室に向かう僅かな時間で「今日も暑くなるな」と思った。歩道脇の芝の緑が鮮やかだった記憶がある。 その情報が入ってきたのはお昼休みだった。当時は昼飯を食べたあと、薄暗い横になれるスペースで15分くらい目を閉じるのが日課だった。アラームが鳴ったら携帯でtwitterをポチポチして、午後の仕事に向かう。

      • より楽しめる?サッカークラブ編成の基礎知識の話をしよう

        編成、移籍事情のあれこれを考える上で基本となる知識、書き出すと長くなってしまった。太字強調している文字を斜め読みすればなんとなくわかるはず。時間がなければA契約の項と締めの文章だけでもOK。私の知識なので細かい部分は相違がある可能性は承知していただきたい。 ボスマン判決とその影響について欧州におけるサッカー選手の契約はボスマン判決(1995年12月)の前後で大きく変わった。ボスマン判決の経緯は次のようなもの。 所属クラブとの契約期間を満了したジャン=マルク・ボスマンという

        • 稲福卓が現れた土台の話をしよう

          2021年12月5日、対Vファーレン長崎戦のピッチに稲福卓が立った。様々な「初」をもたらした彼がJリーガーになる少し前の「土台」の話を記録しておく。 才能を見出す才能稲福卓には駿という兄がいる。駿もまた松本山雅U-18に所属していた。3バックであればどこでもこなせる、体が強くてボールもさばける現代的なCBだった。学年は3つ上。駿が卒業すると、入れ替わりで入ってきたのが卓だ。 兄とは対照的に、小柄ながらすり抜けるようなドリブルで突破し、狭いスペースでも縦にパスを入れられる中

        2011年8月4日13時06分