サインと指標性(3):「生々しさ」とは何か

▼日常における「生々しさ」とは:
①ある痕跡に人間の生活を感じること
②ある物が人間に似た質感を持っていること
③性行為の痕跡や話題
④特定の個人が残した痕跡


・「生々しさ」とは何か(日常的に、どのような場面で用いるか)
*例:女性の友達の家に行ったところ、いわゆるゴミ屋敷になっており、片付けを手伝わされた。散乱しているゴミには、下着や生理用品なども含まれており、「生々しいな~」などと思った。
これは、人によっては、汚い・気持ち悪い・おぞましい、という感想になるだろう。同性(あるいは似た人格)の場合には何も感じない、ということもあり得る。またこういった清掃を仕事にしている場合にも、特に感想を持たないだろう(慣れによる無感覚)。
なぜ生々しいのか。生活を感じられるから(生活感)。肌感、ぬくもり。使用感。生活の痕跡が散乱しているために、歴史や物語が想像しうるということ。
「生々しくて気持ち悪い」という感想はあり得る。

・人物の使用と関係がない汚れやゴミを考えうるか:砂、泥、ホコリ、錆び、風雨による侵食……など。これらは生々しいという言葉が当てはまらないように思える
生々しさは(自然ではなく)人間の生活の痕跡に対して言いうる。

・生々しさ=「生きているようだ」の言い換え?
無機物が人間に似た質感を持っているとき、「生々しくて気持ち悪い」と言えるのではないか。座っていた人の温度が残った椅子、人間のような自然な動きをするロボット、人間の肌の質感に近いマウスパッド……など。

・動物園や水族館で、清掃前の状態を「生々しい」ということはできるか。これは単純に汚いのではないか。
これはその状態をみる人間が、動物を自然とみるか人間とみるかで変わる。自然とみるのなら、砂や泥の汚さに還元され得るし、人間とみるのなら、生々しいということもできる。

・たとえば、喫茶店で性行為についての会話を聞いてしまったとき「生々しいな」と感じるのではないか。単なる汚い部屋についての話を聞いても、そう思わない。
この生々しさは、特定の人物についてでなくても感じうる生々しさではないか。

・生々しさは、後からの知識によって変わりうる感覚だろうか。生々しさの持続性と連続性。
たとえば、ゴミ部屋の掃除中に糞便の付いた下着が発見されたとする。これは、①何か異常な事態があって漏らしたか(泥酔・監禁・認知症・浣腸……etc)、②スカトロプレイをしたか、の2種の推論ができる。
最初に糞便の付いた下着をみて、汚い!と思ったあとに、①の知識が与えられたら、同情する気持ちになるかもしれない。しかし、②の知識が与えられ「生々しい」と思う(思い直す)だろうか。
あるいは、糞便の付いた下着をみて、生々しい!と思ったあとに、①の知識が与えられたら、同情する気持ちになるだろうか。

・潔癖症と逆の感覚なのだろうか
*不特定多数の人が使いうるもの:指紋でベタベタに汚れた検索機を、生々しいとは言わない。それは単純に汚い。
*特定の個人が使ったもの:ある特定の人物が使った検索機に指紋がついているとき。これは汚いというよりも、生々しいのではないか。

・「特定の人物」とは、どのような人物か。
*この観点は、生々しさの主観性が現れるポイントなのだろうか。生々しさを感じるかどうかは特定の人物との関係による、と言いたくなるが、その解釈にも別の文脈が必要であるようにも思える。


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