VTuberと指標性1:4つのまとめ、真の指標性への探究

▼VTuberにおける指標性とは何か
①信仰の証明:様々な疑問に沈黙し、表に出ている情報だけに言及するなど
②想像を働かせるための材料
③ある身体や名前を指差している(指示):もうひとつの指標性(パース的)
④生々しさなどの性質:動きの自然さなど
(*仮面によって生じる何か(しかしこれはもう指標性の議論から逸脱している))


(略語)
MC:Motion Capture


・真の指標性への探求?
(真の指標性とは、因果の系列(野矢)における物理的接触のこと。)

(1)誰と誰を照合しようとしているのか?
たとえば、Aの前世がBだという情報が確かだとする。では、Bは一体誰なのだろうか。それは現実世界のCということになり得るが、しかしその証明は偶然以外には犯罪しかあり得ない。指標性(痕跡)の持ち主を厳密に特定することは、実質的に不可能である。(その不可能性=非合理性に魅せられている、ということはできる。)
(2)それでも、身体はA~Cで同一である、ということも可能ではある。
しかし、実際の撮影現場を目撃する以外に、その身体がA~Cのものであるという保証はない。たとえば、常に誰か他の人物がMC撮影している、という可能性はあり得る。(一貫性を調べたり、確率的な探求はあり得る。)
*真の指標性の探求は、ストーカーと似た実践になっていく。たとえば、現実世界のCを特定するという作業、撮影現場に侵入したり出待ちする、など。
ストーカー未満の実践もあり得る:サインを収集して一貫性を見出だす、A~Bの動きを分析して傾向を見出だす、など。しかし、この方法では真の正解にたどり着かない。
ほとんどのVTuberファンは、指標性に魅せられているとはいっても、ストーカー行為をしているわけではない。(むろん、ストーカー行為をする人間はいる。)このときの指標性とは、少なくとも厳密な物理的因果関係を指している訳ではない。

▼VTuberにおける指標性とは何か
①信仰の証明:様々な疑問に沈黙し、表に出ている情報だけに言及するなど
②想像を働かせるための材料
③ある身体や名前を指差している(指示):もうひとつの指標性(パース的)
④生々しさなどの性質:動きの自然さなど
(*仮面によって生じる何か(しかしこれはもう指標性の議論から逸脱している))

・これらの「指標性」はすでに「痕跡」の議論へ滑り込んでいる(③の論点以外)。


・筆者は過去に何回か、VTuberの本質はモーションキャプチャによって現れる指標性である、と主張していた。しかし、この主張は上記の議論からして取り下げるべきだろう。

・指標性は、VTuberの存在論的な本質とはいいにくい。
*それでもそう呼びたい欲求に駆られるのは、存在論的な問いが為されてしまうからだ。(「VTuberの本質とは何か?」という形の問いよりも「VTuberとは何か?」という形の問いが経験的には多いように思えるが、これらも存在論的な問いといえる。)
*「誰かの痕跡である」というレベルの指標性で満足したくなる(というか、筆者はそれで満足していた)。しかし、ウマ娘やプロセカ等のモーションキャプチャと区別が付かないことになる。
*それでも存在論的な問いに拘泥するとすれば、「VTuber」を名乗る者たちの実践がジャンルの存在を型作る、と言いたくなる。ウマ娘やプロセカ等との区別を考えるなら、形式的特徴よりもその実践を見よ!ということが言える。


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