幸せを定義する

「今」が、千円の過失だったとしても、一億円の過失だったとしても、私は、「今気付けて良かった」と心から思うだろうし、後悔はしない。過失だとすら思わない。
もし後悔したとしても、それは5年後くらいの先の話だ。
5年後の私は、紛れもなく私だけど、紛れもなく私ではない。

ただ、綺麗だと思うものを、素直に綺麗だと言葉にしたいだけだ。お金になっても、ならなくても関係ない。10年後、20年後の事を考えたってどうしようもない。
今日、明日、自分の正解を探す事、自分の正しさを信じる事で精一杯だ。ライフプランなんて言葉消えてしまえばいい。私は、何にもならなくても、誰にも認められなくても、私が美しいと感じたものを、好きだと思ったものを肯定したいだけだ。それだけだ。

月が真っ二つに割れる程大きな隕石が明日地球に衝突する、と言うニュースが世界中で報じられた時に、人々が絶望している中で、隕石の色や形を美しいと感じることが出来たなら、それを素直に言葉にしたいし、そのことを伝えたい人に伝えられる生活が送れていたらそれで良い。絶望の中に光を見つけられて、自分で自分の感性を受け入れられるなら、それでいい。それを望んでる。それが私の定義する幸せだ。

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