負の感情や思い出を「苦しかった」と認めることで、わたしはわたしを救えるんだ、と、気付いた。

思い出したくないような過去、苦しかった経験と、どう向き合っていますか。つい最近、やっと、自分なりの向き合い方を見つけることができはじめたような気がします。

「神様は、乗り越えられない試練は与えない。」とか
「起こる事象すべてに意味がある」とか
いっぱいそんな言葉が、この世にはあります。分かる。めっちゃ分かる。辛い経験をした人を、励まそうとしてくれているんだってことも、ほんとうにわかります。でも、でも、でも。 
もう、心の底から、

もう、わかったよーーー!!!!!!!!!!勘弁してよ!!!!!乗り越えたくなかったよー!!!意味なんてねーよー!!!!!!!あったとしても、そんな思いまでして知る「意味」とか、いらねーよー!!!!!!!!!

って、思ってしまいます。
経験しないほうがよかったこと、べつに、経験しなくたって、ここまで生きてこれた事。山程、あった。

何か辛いことがあるたびに、その出来事に理由を作るために「成長するために、経験するべき事象だったよな、ウンウン。」って強がってるだけだったんですよね。悲しみをどうにか肯定しようとして。

例えばですけど。学生時代、過激な陰口を盛大に叩かれていて、学校に行くのが辛かった。とか。部活でキツイ先輩から色んなこと言われて、毎日泣いて帰っていた。とか。大好きだった恋人に浮気されてフラれた。とか。上司に理不尽なことを言われた。とか。飲み会で外見いじりをされるのが辛くて仕方ない。とか。些細なこと(すべて、ぜんぜん些細ではないのですが!)から、もっともっと、大きなことまで。

べつに、ぜんぶ、無い方が良くないか?って、ふと思ったんです。

負の経験は、その人を優しくすると思います。
でも。
そんな経験しなくたって、ひとは、優しく、なれる。

経験してよかったな、と「自分で」思う辛い経験は、
それでいいんです。わたしも、一つ前に綴った高校時代のおはなしは、苦しかったけど、ほんとうに大切な体験だったと思います。

でも、そうやって「よかったな」と思えない過去を、無理に、強制して、「大人になるために、厚みのある人間になるために、必要不可欠な事象だった」なんて思う必要はない。

ほとんどの人はもう、分かってるのかな?これ。
わかってなかったのがわたしだけだったら、
なにをいまさらって感じの事をめちゃくちゃ熱弁している人間、ですよね。恥ずかしい。すぐにブラウザバックしてください。

「ほんとうは、あんな思いしたくなかった。
あんな事、考えたくなかった。
あんなふうに泣いたりしたくなかった。
こんな捻くれた女の子になりたかったわけじゃない。」

つらかったことを、嫌だった、と認めて、心の中で、言葉にしたら
びっくりしちゃうぐらい、心が軽くなったんです。

いやいやいやいや。経験値ってなんやねん、と。
悲しい経験なんか、無ければ無いほど良いやろ。
奥歯を食いしばりすぎて、頭が痛くなって眠れない経験なんか、一度も無く、あるべき。(日本語が下手くそだけど、ほんとうに、無く、あるべき。)

「良い経験になったやん」とか「これも人生経験!」「社会勉強やと思って…」とか。
さんざんオトナたちに言われたことに、ちゃんと怒りがわいた。

傷付いたわたしを、なんだと思っているんだ。
傷付いたことを、無理に肯定する必要は無い。

「良い経験だったなぁ」と、すぐに思える人、何十年とかけて、そういう風に考え方を変えてゆく人。「良い経験なわけあるかい。サイテーや。くそみたいな記憶や」ってずっと、思う人。ぜんぶ、正しい向き合い方だと思うんです。

「根に持っている」って、めちゃくちゃ悪い意味で使われる言葉じゃないですか。何が悪いんだろうって思うんです。ほとんどの辛かった事、根に持ってますよ。わたし。(何を自信満々に断言しているんだろう)

わたしたちは、苦しむために生まれてきたわけじゃない。

辛い事を経験していないから「人生経験が浅い」とか
そんな事、絶対に無い。苦しい思いをたくさんしてるから、「人生経験が豊富」ってわけでもない。

楽しくて、嬉しくて、幸せで、暖かいものに包まれている経験でいっぱいなほうが、絶対に、良い。

辛い経験をうまく消化できずに、「いい経験だった、必要だった」って思い込んで過ごすのは、とっても辛い。「あんな思い、したくなかった。嫌だった」そう思うだけで、そのときの自分に、つらかったね。いややったね。頑張ったね。って、言ってあげられているような気持ちになるって、やっと気付きました。
それがわたしの、過去の辛い経験との向き合い方です。

何度でも言う。わたしたちは傷付くために生まれてきたわけじゃない。傷付いた方が、経験値が豊富で、人間味があるとか、そんなことあるはずない。

傷付いた過去の自分を肯定する方法は、人それぞれです。

この世に生を授かって、毎日を、傷付きながらも生きている人たちみんなが、「つらいこと」との自分だけの向き合い方を見つけて、自分自身のことをいちばんたいせつにできる日がきたらなぁ、と。

ほんとうに、ほんとうに、思います。

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