大学の講義にNASAの方が来た話

 小さい頃から宇宙が大好きだった。宇宙の本も、惑星の図鑑も、好きなページに折り目をたくさん付けて何年も何年も繰り返し読んだ。宇宙兄弟は、初めの一巻を母親がプレゼントしてくれて、そこからお小遣いで少しずつ買った。あの漫画は、わたしには眩しすぎて、読むたびに胸が苦しくなった。
 高校2年生で、文系理系選択を迫られるまで、私はきっとNASAで研究者になると思っていたし、宇宙開発に携わる仕事に就くと信じて疑っていなかった。文系科目の成績の良さ、というよりも、理系科目の破滅的なセンスの無さを17歳で痛感し、研究者への道は早々に閉ざされてしまったが。
 私が、人生で初めて経験した「諦め」だったような気がする。私にとって「宇宙」は夢であり、憧れであり、希望であり、挫折だった。
小学生の頃は、なんでもできるような気がしてた。誰でも百点が取れるテストで百点をとって、両親に褒められて、天才やな自分。と6年間思い続けていた。中学生で、運動はどれだけ練習しても人並み以下で、勉強は人より努力して中の上だと、悟った。
 高校生になり、私は、全然頭が良くないということを完全に知ってしまった。物理の試験は毎回一桁だった。生物は、本当に頭がおかしくなるんじゃないかってくらい、放課後の教室で、黒板に用語や原理を書いて暗記して、読んで書いて埋め尽くして、やっと平均点だった。数学なんかもう、誰にも言えないような点数を何度も取って毎回補講の常連。
研究者には、絶対になれない。

 先日、大学の講義で、NASAに勤めていらっしゃる海外の方がゲストスピーカーとして講演をしてくださった。その講義は、ゲストスピーカーを招く回だけ出席確認があり、成績に加点される。まさかNASAの方がいらっしゃるとは知らずに、なんならゲストスピーカーが来る回だと言うことすら知らずに、グースカ寝ていた。9時講義開始で、8時20分に友達から「今日ゲストスピーカー」とLINEが入ってるのを寝起きで確認して出席点が!!!!!と飛び起き、ほとんど起きたままのような状態で家を飛び出した。8時58分に講義室に入り、滑り込みセーフ。
フルマラソンを走り終わった後の人ぐらい息を荒げながら感想用紙と共に大きなNASAのステッカーを受けとる。え?これは。NASA?
ぎょっとして思わずスクリーンに目を向けると、
え?大きなNASAのロゴ。
え? 時が止まった。
いや、正確には、止まってない。
私の止まっていた時間がぐらぐらと動き出した。
思いっきり見ないようにしているわけじゃないけど、なんとなく目を背けてる、なんとなく関わることができなかった宇宙がすぐそこにあって。憧れだったからこそ、諦めてしまった今、どう向き合えば良いのかわからない眩しい宇宙が、そこに。
すごく苦しかった。私が見ないように、聞かないように生きてきたその間も、宇宙は変わらずに在ったんだ。
 中高生の頃、将来の夢がコロコロ変わっていた。そしてすぐにそれを口に出した。お前はすぐ将来の夢が変わるよな、と、言われ続けた。それは、宇宙から逃げるためだったんだ。NASAやJAXAで働きたいなんて誰にも言えなかった。そしてついに、本当に、叶わなかった。苦しい。
 ロマンも、夢も、絶望もぜんぶ、空と星と、宇宙が教えてくれたんだ。部活でも、受験でも、就職活動でも、なんでもなかった。夢を諦めたことが、私にとてつもなく大きな影響を与えていたと、この講演で痛い程思い知った。ありがとう。ゲストスピーカーの方。呼んでくれた先生。ぶっきらぼうに、ひとことだけLINEをくれた友達。飛び起きた自分。
 最前線で活躍なさっている研究者の方、エンジニアの方、そして日々過酷な訓練を重ねている宇宙飛行士の方々に、言葉に出来ないほどのリスペクトが溢れて止まらなかった。やっぱり、宇宙と共に生きている人達は、かっこよくて、美しくて、尊い。ムッタとヒロトをはじめとする、何にも興味が無くてうどんばかり食べていた幼少期の私に燃え上がるような感情を教えてくれた宇宙関係者の方々。心から感謝申し上げます。。なんやそれ

 「2024年、人類は月に帰る。」そんな事をおっしゃっていたと思う。正直、お話の内容は興奮していてあまり覚えていない。寝起きのマラソン後には刺激の強すぎる話だった。加えて、(もちろん)英語で講演をなさったので、2割くらいしか聞き取れなかったんですけども。

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