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私が32歳で小学校の先生になったわけ⑤

アメリカでおきた同時多発テロ9・11

直接被害にあったわけでは無いのに・・・

かなり影響を受けたようでした。

どうしてこんな事が起きるんだ!!
悲しみと怒り!!

自分の身に起きた
“死産”
という体験の直後におきた出来事に
私の心は蝕まれてしまいました。

子どもと公園で遊んでいても
飛行機の音が近づいてくると、
必死に二人を呼んで すべり台の下に隠れました。

以前は、子どもたちと「パパ―!」と手を振っていた
飛行機が、世界一恐ろしいものに変わってしまいました。

キッチンでご飯を作っていても、大きなトラックが通って
家が揺れる度に、火を消して何故か電気を消して丸くなっていました。

極めつけは、強盗が入ってくるかもしれない!
との恐怖心から
ナイフを枕の下にいれて寝た夜もありました。

自分のしている行動がおかしい・・・
とはわかっていましたが
どうすることもできませんでした。
誰にも相談できず、心臓の速い鼓動がいつか止まってしまうのではないかと
さらなる恐怖も抱えていました。

私は、二人の幼い子を守らないといけない。
この気持ちだけで、なんとか日々を過ごすことができていました。

目に飛び込んできた映像に涙が・・・


こんな日々を一か月くらい過ごしていたので
テロのニュースには触れたくないと
なるべくテレビをつけないようにしていました。

たまたま、うっかりつけてしまった報道番組に
言葉を失いました。

お互いの国のことを罵り合っている政治家や
一般の人々・・・
そして、子どもたちもお互いの人種のことを
恨んでいる。

家族を奪われたんだから、怒るのは仕方がない
それが普通だ。
私も、自分の家族がそんな理不尽な殺され方
をしたら人生をかけて戦うだろう。

でも、悲しい・・・。
こんな風に恨んで憎んで、生きていくのは。

生きているのに

みんな、普通に生きたいだけなのに。

こんなことをしていて、一番つらい思いをするのは
弱い立場のお母さんと、子どもたち・・・

そう・・・子どもたちだ・・・。

この負の連鎖を終わらせるには何が必要なんだろう・・・。

生命の事を考えていたら湧いてきた熱い思い   

            「先生になろう!」

子どもたちには 教育が必要なんだ。
それがないから、きっと、恨み続けてしまう。
所を追われ、親を失っているんだから、当然の怒りだが
それでは、自分の可能性を見つけることはできない。

この頃の報道が、全て正しかったかのかは
わかりません。
恨み合っている映像を合成して、日本人向けに組まれた
報道だったのかもしれません。

今、書いていることは、私のこの頃の記憶を
思い起こして書いています。

私が、あの時、強く感じたことは

教育の大切さ・・・。

大人が、子どもたちの未来のためにやるべきことが
たくさんある、ということです。

私は生きている。

夫も生きていた。

二人の子どもも元気だ。

何ができるだろうか・・・

3人目の子どもは、私のお腹の中で亡くなっていた。

この子が私に何かを伝えたくて、私のところに来てくれたの
だとしたら・・・。


いつまでも、世界を怖がらないで”

”ママらしく生きてよ!”

そう言ってくれる。

そうに違いない。
完全に確信した気持ち。

私は、この子と生きるんだ。

そう、硬く誓ったことを覚えています。

教育者になろう。
どんな形でもいい。

子どもに寄り添って
怒りも悲しみも喜びも一緒に共感してあげられる
そんな教育者になろう。

そして、その子の光を見つけられる人になりたい。

生きていることの奇跡を忘れずに、胸に抱いて
目の前の子の光を見つけ、広げる手伝いができる人になりたい。

私の原点がここにあります。

ここから、通信教育で教員免許をとる長い長い戦いが始まりました。


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