明治維新と土佐藩・山内容堂
つい先ほどまでNHK BS1
『英雄たちの選択』にて
『山内容堂』を観ていました❗️
https://www.nhk.jp/p/heroes/ts/2QVXZQV7NM/episode/te/MP5MPLYYL2/
※ 4月6日 午前8時からの再放送が決まってます❗️
またまた『(自称)歴史家』として新たな扉を開けました❗️
先ず恥ずかしながら、これまでは
「山内容堂⁉️
名前は知ってるけれどそれ以外は...」
程度の認識でした。
「そんな歴史家はいない💢」
と自らにツッコミを入れときました😅
土佐藩といえば言わずとも知れた
「坂本龍馬」
その龍馬の印象が私には強過ぎますが、かといって具体的なことを知っているわけではなし。
今回僕が初めて知ることができたのは、
「土佐藩は山内容堂をキーマンとして、大政奉還に大きく舵を切っていた」
ということ。
「龍馬が(大政奉還の)フィクサー的役割を果たした⁉️」
程度だった視野が大きく開きました。
ただ、
土佐藩内では討幕強行路線の乾(板垣)退助らとの軋轢におそらくは苦しんだであろうし、軋轢で言えば大久保・西郷の薩摩藩が立ちはだかりました。
さらに、政権を朝廷に返上した張本人・徳川慶喜のキャラクターにも苦慮したでしょう。
とかくこれまでの山内容堂像は、薩摩藩に押されたりで決して高い評価ではないようですが、今後は再評価される機運もあり、新しい山内容堂像が描かれる可能性もあります。
しかしながら番組内でもしきりと嘆かれていた点ですが、彼はとにかく「大酒飲み」だったとのこと。
そして維新後は目立つ活躍もなく早逝。
お酒も原因だったのでしょう...
明治維新後については、龍馬、西郷など名傑が末長く活躍出来なかったことが悔やまれますが、容堂も彼ら以上に先見の明溢れる人物だったようで残念❗️
今日の知見をキッカケにその辺を今後さらに考察したいと思います。
加えて、これまで読みつつも深入りできなかった司馬遼太郎作品をもう少ししっかり読んでみようとも思いました。
では
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