リストカット【日記】

「ねぇ~見て!リスカした!」

 そう言ってTは袖をまくって左腕を私に見せる。中学二年生の頃から卒業するまで続いた私の中学時代の記憶の切れ端。眠っていた記憶が思い出されるのは不思議なもので鮮烈で生々しい声色が頭の中で再生され、それは現在と交錯するような生気に満ちて一日中焼け付いて離れない。

「ほんと?すげーじゃん」

 私はなるべく平坦な口調でそう言う。なんとなく心配するんじゃなくて咄嗟に褒めてみた。差し出された前腕には確かにまだ真新しい血の色が滲む一筋の傷が刻まれている。
 どうして私がリスカ痕を見せる対象になったのかは分からない。Tは黒髪のおさげで分厚い眼鏡をかけていて、生粋のアニメ、マンガオタクで読む小説もラノベばかりな女の子。絵にかいたようなオタク女子だった。(BLはそんなに好んでいなかったはずなので腐女子ではなかったはずだ)
 陰キャな外見をしながらも性格は快活の一言でどんな人にも分け隔てなく話しかけていた。私も私でアニメやマンガは好きだったが、彼女のほうが遥かに造詣が深かった。彼女がおすすめしてくれる作品を私が割と積極的に吸収していくのが面白かったのか知らないが、いつの間にか中学生の当時よく話す人間の一人になっていた。

 正直、リスカ痕を見せられるのはあの頃の自分にとっては気持ち悪かったはずだと思う。あの傷跡を見せられるたび、私は自分の左腕にも痛みというか痒みというかわだかまった鋭利な刃物をあてがわれた様な感覚を覚えたからだ。どうしてそんなことをするんだろう?どうして私に見せてくるんだろう?リストカットをする意味はなぜ?そういった事により考えを巡らせるようになるのは残念ながら中学生よりずっと先のことで、私はのちになんであの時私は褒めるばかりだったんだろう?もっと心配するのだとかもっと深く私にこの事に関わってほしかったんじゃないか?と度々悔やむ。
 学校でも指導を受けたりしたようだが、リストカットが止まる事は無くて、卒業する頃にはびっしりとリスカ痕がついてたのをよく覚えている。
 高校はお互い違う所に進んだし、私という人間は昔からずっと人付き合いが苦手で連絡を取り合う事も殆ど無くなった。

 高校一年の冬に私はTと再会した。真っ白な雪がしんしんと降り無人駅の構内には寂しさしか響かない。そんな時に後ろから声を掛けられ振り向くとTだった。
 彼女は高校デビューしたようで黒いおさげから茶髪のミディアムショートに、大きい眼鏡からコンタクトレンズに、メイクもしていてすっかり綺麗になっていた。
 その容姿の変わり方についてだとかの会話を交わしたが、今の命題には関わらないので割愛する。
 電車に乗車して私はTにこう聞いた。

「今は学校のほうはどう?楽しい?」

 Tは笑いながら袖をまくってこう言う。

「毎日死にてぇ~って思ってるよ」

 左腕には新しいリスカ痕が付いている。そのあとの会話は一切覚えていない。けれど、やはり私は茶化すような会話に終始したと思う。
 そしてそれがTとの最後の会話になった。その後に連絡をとる事はなかったし彼女が現在どうしているかも知らない。

 公務員職に就いて二年目ほどで私は鬱病に罹患して休職した。
その期間中にもよくTの声が再生されたのを思い出す。

「毎日死にてぇ~って思ってるよ」

 その笑いながらもどこか切なそうで哀しそうな声がよく私を苦しめた。思えばTが”死にたい”という言葉を私に語りかけたのはそれが最初で最後だった。あの言葉が彼女の本当の声だったというのが今はよくわかる。

 私の腕にはリスカ痕はないけれど、誰だって精神の深い溝に落ちてしまえばリストカットする可能性はあるのだ。私がリストカットをしなかった要因は言語化することが出来ていたからかもしれない。
 リストカットなどの自傷行為は一説にはそれを見せつけて心配や同情を買いたいからではなく、言語化出来ない複雑な鬱屈としたストレスを身体へと発散し、記号として刻みつけるための衝動であると言われる。私にはそういった複雑なストレスをおおよそ言語化出来た。出来ない感情に関してはよく泣くようになった。言い換えれば言葉を使って自らをリストカットしていたんだと思う。
 なんて滔々と語ってみてもリストカットする意味はそんなんじゃない!何もわかってない!と声を上げたい人も居るだろう。
 ただ私が言いたいのは、何も異常なことなんてないということだ。

 自分の会話力の無さには今日に至ってもガックリしてしまうけれども、かけてあげられる言葉は決して完全ではなくともずっとずっと多くなった。
 そしてTにはもう言葉をかけてあげれない事をひどく悲しく思う。もし仮に会えたとしても、時の断絶が隔たりがあの頃の距離感にはもう戻してくれないのだから。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?