20230409

 昨年末より不意に抱えてしまった激務仕事のピークとちょうど一週間ズレていたのが幸いだったものの、今週は何をしていても辛いので朝に急遽代休の連絡を入れたり、布団をかぶってめそめそ泣いていたりしていた。自分のためだけにサブスクで200曲、非サブスクで50曲のプレイリストを作成、勤務中はそれだけを聴いていた。色々な思い出と楽曲がぶつかり、記憶が蘇ってくる。

 90年代の日本のポップスの歌詞中、gut期のあれこれほど「自分の傍に立って」聴こえるものは無かったのだ。それは当然、思春期に不意に抱え込む羽目になったセクシャリティの問題とも直結している。自分の屈折は、中学校1年の時に出た中島みゆきの楽曲にあった「恋愛と愛情は彼女のため 友情と同情はあたしのため」という一節を「彼女=初恋の相手/あたし=自分」と読み替えて口ずさんでいたことからもわかると思う。要するに、自分の恋愛感情をノンケのように物語化することができず、ゲイの恋愛感情中に含まれる"同性としての"嫉妬(「仮面の告白」冒頭にもある通りゲイには重要な情動であり、専らSNSの言説は嫉妬をナメて扱っているものが多く悲しい)を流用し、おなじく同性に向けられたこの歌詞を自分なりに工夫して読んで我が事化していたのだ。本当に痛ましい!初恋の相手が同時にかなり思いあえる仲の友人であったことに起因するねじれなのだと思う。故に「異性愛の恋愛詞に登場する女性を自分か相手に置き換える」という、ゲイの常套手段が取れなかったわけだ…

 再生YMOで興味を持ち、Alfaから出ていたライディーンが1曲目の安っちい初期ベストで「プレ・トレンディ、レトロだね」と知った気になっていた(信じてくれないかもしれないが"トレンディ"の概念が芽生えたのは小5)のだからこの時期の新譜を聴いたのも大抵中古で1年遅れとかだったと思う。「二人の果て」がチョコレートのCMで少し気になっていたのだが、アルバムを聴くとこの曲含めJ-POPのサビ・カタルシスが無い…などと思っていた。最初は。しかし聴いていくうちに細部からTKに無い繊細さというか、微細なレイヤーが浮かび上がってきたのだ。それは今振り返れば「有機的に楽曲全体に奉仕するカウンターメロディ」とか「90年代NYが匂い立つボトムス」とか何だとかになるのかもしれないが、しかし中学生の自分にはすべてひっくるめて「いつか分かることになる、大人の文脈」とだけ受け止められた。大宮の中学校生活からいつか離れた時、待っていてくれる世界。それも大層色気のある。そしてその色気のワンセンテンスとして、クイアな空気をgut作品から確かに受け取ったのだった。「君と僕と彼女のこと」にある、羅川真里茂「ニューヨーク・ニューヨーク」のように実態を伴うゲイ関係の艶やかな仄めかし。「美貌の青空」「MIND CIRCUS」の、明らかに少年愛と言わなければ説明のつかない類のお耽美。わけても「砂の果実」だ。この曲には思い出がある。そのうっとりとするような暗さに関わらずヒットしたため、短冊をクラスでも持っている人が多かった。自分が英語版「The Other Side of Love」(当然初回限定版)を、初恋の男子が「砂の果実」を持っていたので、卒業式の翌週あたりに自宅で二人で聴き比べをしたのだ。「笑って軽蔑した恥ずかしい大人」になるかどうかも定かでない二人で。それも彼は「微妙に演奏が異なる」とaiwaのコンポ越しに関わらず聴き当て、違いがあまり分からない自分を置いてけぼりにしたのだった。そこから笑えばいい…と自分はスネたかどうか忘れたが、初恋の彼はとある業界の有名人になり、恥ずかしい大人になったのはやはりこちらのみだったと思しい。

 自分は90年代以降、渋谷系だろうがV系だろうが思春期を彩った(ことに邦楽の)カルチャーに思い入れがあまり無い。振り返ることもあまりしないし、聴いても懐かしいという感情が大して湧き起らない。まだまだゲイ・アイデンティティと共に生きるには難しい(10代なら尚更)時代であり、音楽に「恋愛感情を持つ自分」を仮託できなかった。そんな中で坂本龍一の音楽だけはそうでなかった。読み替えたり置き換えたりする必要なく、そのカッコよさが、そのままであの頃感受した記憶であり、未来であり、思い出だ。一緒に生きてくれた。僕を励まし、慰めてくれた。

 近年の(晩年と書くにはまだ時間が必要だ)彼がしきりに口にしていた「時間論」のあれこれは、自分たちがこれから引き継いで考えていきたい問題系だ。オーケストラ用に書き下ろした「いま時間が傾いて」というタイトルはリルケの詩からの引用だが、「(始まり、中間、終わりがある直線的な時間の中に)戻りたくありません」という彼のインタビューの言葉をそこに託そうとしていたのだろうか(しかしリルケの原文は「いま時間は傾いて、明るい金属の響で私に触れる」とあり、宗教的色彩もあってなかなか解釈が難しい)。ただ、記憶を呼び出すという行為の中で時間は「直線上に並んでいる」という状態ではなくなるとは言えそうで、さきのgut期以前である「再生YMO」が、今の自分には圧倒的にフィナーレのように感じられる(その時期の楽曲を逝去直後と知らずにラジオでかけた細野晴臣のスゴさ)。イオセリアーニのある映画のラストパートのような、うららかな全員集合の状態を、東京ドームの映像からどうしても想起し涙が止まらなくなってしまう。「電通YMO」と呼び忌み嫌っていた、この時期への己の偏見を今は恥じたい。奇しくも当時の広告には「YMOも、いつか死ぬ」というキャッチコピーが乗っていたのだ。

 それにしても…振り返ってみてつくづく驚いてしまうのは、本人出演の広告仕事の多さだ。しかしインスタで流れてくる写真(アルゴリズムで顔写真ばかり流れてくる仕様になってしまった)を見ていると、どれも起用に納得がいくハンパないカッコ良さで圧倒されてしまうのだった。どれかひとつでもいいのだが、試しにHYPERBEASTの訃報記事の写真でも見てほしい。こんなカッコいい人、他にいますか?

 

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