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(仮)トレンディ電子文 第25回:映画「噛む女」

 88年、日活はこれまでのロマンポルノ路線から方針転換、名称も「シネ・ロッポニカ」に変更する。六本木から取られたこの名称からもわかる通り、どこかトレンディ・モードの時流に併せる転換にも思え(当時のチラシには「六本木、シネマ・ルネッサンス。」というキャッチコピーが載せられている。上映館「ロッポニカ」のスタイリッシュなロゴも含め、後世から見るとまるでシネ・ヴィヴァンの遠戚のようだ)、配給作品もネオ・ハードボイルドを目論んで作られた村川透の「行き止まりの挽歌」と小澤啓一の「メロドラマ」、新進作家だった佐藤正午作品を沢田研二主演で映画化した「リボルバー」、そしてその後人気ビデオシリーズとなる「首都高速トライアル」の第1作…とこれまでのロマンポルノとは一線を画す意欲作が並ぶ。しかし直営館「ロッポニカ」だけでの運営は難しかったのか、なんとわずか1年で新作の製作・配給はなくなってしまう。更に全国にあった劇場の「ロッポニカ」も89年以降徐々に閉館し、トレンディ期後半の日活は「整理」の方向へと向かってゆく。そんな短命ターム「シネ・ロッポニカ」の記念すべき第1作が、ロマンポルノで傑作を多く残した神代辰巳監督作品「噛む女」だった。この作品は話の筋自体は「不倫を題材としたサイコミステリー」であり、同年に大ヒットしていたマイケル・ダグラス主演「危険な情事」の日活版と言えなくはない。ただし神代は前年に、家庭に忍び寄る不穏な事件という意味では軌を一にする2時間サスペンス「死角関係」をTVで撮っており、また別の動機づけがあったのかもしれない。しかしとりわけ注目したいのはそのスリラー感覚についてではない。舞台として登場する家族の、腐れ縁の、不倫相手の家、家、家...のすべてが、トレンディであるという点なのだ。

 妻子ある身ながら「落ち着くところへ落ち着く」ことを抵抗するかのように浮気や夜遊びを方々で続ける、AV制作会社社長の古賀(永島敏行)。その妻のちか子(桃井かおり)と娘の咲也子がふたりで、パオパオチャンネルの中で当時しきりに歌われた「ヤーレンソーラン北海道」という子供向けの歌に合わせどこか「空騒ぎ」の様相で踊るカットからこの映画は始まる。彼女らが踊っている部屋はすでにレイト80年代のキッチンとリビングなのだが、都内のマンションと思しきその一室には段ボールが積まれ引っ越しの準備をしていることが分かる(その段ボールには「ファンシー」通過後の、畳よりフローリングが似合う造形のぬいぐるみがたくさん入っている)。間もなく現れる引っ越し先は造成地に建つ新築一軒家で、室内の壁は殆どがエメラルド・グリーンで統一されている。使いやすそうな広さのキッチンとバルコニー、黒く角ばったコードレス・ホン、件のぬいぐるみが色とりどりに置かれた子供部屋、無機質な光沢で据え置かれた照明類...と、この家の舞台装置だけ見ればほとんどトレンディ・ドラマである。浮気を繰り返し家に帰らない古賀を待つ間、ちか子は大きなキャンバスに絵を描いていたりするが、その絵は新築の家に違和感をもたらすことは決してない。そしてそれらの隙間を埋めるよう、咲也子のぬいぐるみ(サスペンス部分の重要な布石となる)も異様な速度で増殖する。彼女たちが安住するトレンディは「家族」にとどまらず、かつて関係を持った女性らのマンションの部屋もやはりフジテレビ的な軽快さで溢れているのだった。

 まるで「トレンディ共犯」関係であるかのような彼女たちと相反するように、家にも浮気にも没入できない古賀は喧騒を遠ざけるようひとり映画館で、神代監督自身の73年作品「恋人たちは濡れた」を静かに観たり、ベッド脇のブラウン管で「晩春」や学生運動(おそらく全共闘)の映像を眺めたりする。会社社長で色男、時代の成功者であるはずの彼はしかし、80年代後半以降の「トレンディ環境」ではない場所を常に探しているかのようだ。この作品の主軸である、かつての同級生を名乗る女(余貴美子)との逢瀬―これをきっかけとして、家庭環境ひいては古賀自身の破滅が訪れる—のパートにおいても、「歌舞伎町で待ち合わせ、小料理屋で酒を飲み、ラブホテルでセックスをする」とまったくトレンディでない道程を辿っている。ロマンポルノの時代が去り、TVの2時間ドラマを作っていた神代監督自身の、過ぎ去った時代への率直な哀惜を感じる気もするが、主体=男性のナルシスティックな過去耽溺はこの作品の支柱ではないだろう。古賀は身勝手さを裁かれるかのように劇中途中退場するが、かと言って女の恐ろしさ的な紋切り型の余韻でこの作品は終わっていない。監督が描く「トレンディ」には、批判精神より時代そのままを映してみようという受容的な優しさがあるように思う。そしてその優しさにこそ、寧ろ神代監督自身を感じるのだ。

 


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