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FAIRIES KING
=プロローグ=
「は~~欲は言わないから非課税で1千万円ほしい!」
悠里(ゆうり)はそう近所にある公園の丘の上で叫んだ。
教授の言葉に反対意見を書きまくっていたら単位を落とした、それを引きずっていたらバイト先で5千円の皿をひっくり返した、災難な日だと家に帰ってきたら母親の愚痴大会に巻き込まれ、我慢の限界が来た悠里は家を飛び出した。
「ここじゃないどこかに行きたい! 例えばハワイとか!」
行ったことはないが、テレビで見る限りはきれいな場所だと思えた。
青い海に囲まれて大学のこともアルバイトのことも家のことも何も考えずにのんびりしたい。ココナッツにストローをさして、ドーナツを食べて、パンケーキを食べたい。……絶対に太るが。
そんなことを考えながら夜空を見上げていると、どこからか声が響く。
『――――契約は成された』
どこか浮世離れした言葉は怪しさしかなく空耳かと疑っていたところ、足元が光りだす。
――よく見ると悠里をぐるりと囲うように光が溢れていることに気が付く。
「え? え? どういうこと!?」
きっと疲れて、ライトノベルで流行っている「突然タイムトリップ!? これから一体どうなっちゃうの~!?」という場面の幻を見ているのだと悠里はすぐに気が付いた。
なんだ夢か。
そう結論付けたのだ。
=世界の位相 マーリン登場=
気が付いたら悠里は真っ暗闇の中にいた。
「はじめまして、異界から客人。状況が呑み込めていないであろうところ申し訳ないが、とりあえず僕の話を聞いてほしい。君にはこれから僕の友人を助けてもらう」
「いやいやいやいやいや!? いきなりすぎるわ!」
そう言ってから、夢とは感覚が違うことに気が付き、あれ、と悠里は自身を見回した。夢の中では普段、自分の洋服までははっきり分からないのだが今回ははっきりと分かる。バイトの制服から着替えた後の服なのだ。黒いパンツに簡単に脱げるTシャツ、間違いない。
「ここ……もしかしてハワイ?」
「そう見えたなら君は病院に行ったほうがいい」
精一杯の強がりをそう言われ、ですよねと苦笑した。
悠里はハワイに行きたいといったはずなのに、1千万円もないままどこか知らない所へ来たようだ。しかも夢じゃないときた。
これは都市伝説にきく某駅だろうか……と思ったものの電車に乗った記憶もない。もちろんバスに乗った記憶も無いため、うっかり寝過ごしたというわけではなさそうだ。
「私はどこにいるの?」
「ここは世界と世界の間……僕は位相と呼んでいる」
「いそう?」
なんだろうそれは、聞いたことの無いような言葉だった。
そして、悠里はふとある可能性に気が付き震えながら聞く。
「私は……死んでしまったの?」
もしかしなくても、ここは三途の川ではないか、と頭に浮かんだがそれにしては川が見当たらない。
「いいや、君は生きているとも」
そう言われ悠里は良かったと安堵していると、少年は何かを考えこんでいるのか黙っていた。
「なんで私はいそう、にいるの?」
「……わかった、少し説明をしよう」
最初からそうしてほしい、という言葉を飲み込んでフードをかぶった人物の言葉の続きを待つ。
彼は深呼吸してから悠里と向き合い、さっとフードをとった。現れたのは白髪に赤いガラス球をそのままはめ込んだような瞳の整った顔立ちだった。白髪に赤目というアルビノであるらしい特徴がそうさせるのか、どこか作り物のような人形のような……人ではないと頭のどこかで分かってしまった。本能がどこかで警鐘を鳴らすのだ。
「僕の名はマーリン、君に僕の友人であるアーサーを助けてほしくて、君をここに連れてきた」
悠里は「マーリン」、「アーサー」というキーワードではっとする。
「もしかしてアーサー王伝説!? あなた、魔術師マーリン!?」
「……僕たちの世界をもとにした、君の世界の物語のことだね」
マーリンはさらりと答えた。
アーサー王伝説というのは、日本ではあまり馴染みがないがエクスカリバーが出てくる話といえば少しはイメージしやすいだろうか。
少年アーサーは、ある日偶然にも岩に刺さった「王になる者だけが引き抜ける」とされる伝説の剣を引き抜いたことでブリテンの王になる。大陸の侵略からブリテンを守ったアーサー王は身分にこだわらない平等な「円卓」という制度を作る。そして王に認められた「円卓の騎士」たち、その騎士たちとアーサー王を中心にした物語群がアーサー王伝説である。
昔は史実の物語として扱われてもいたが、現在では史実の人物をモデルとした創作であるとされている。
マーリンというのは、アーサー王に仕え、アーサー王や円卓の騎士たちへ予言や助言、手助けをした魔術師だ。
悠里自身、詳細は大学で勉強をしていたから知っていた。文学を学んでいなければ悠里も分からなかっただろう。元々神話のたぐいが好きだったため授業をとっていたのだが、意外なところで役に立つものだ。
「たぶんだけど、君が知る僕たちの物語と僕たちの世界は違うだろうね」
彼は杖に寄りかかるようにして態勢を変えた。しゃらりと音がする。なにか金属の装飾品を身に着けているらしい。
「マーリンともあろう有名魔術師が一体どうして私なんかを? 自分でなんとか出来るのでは」
悠里は自分で言うのもなんだが、特にこれと言って取り立てるような特技も特徴もないと思う。まして伝説の魔法使いに助けを乞われるほどのものなどひとつもないだろう。
「出来ないから困っている」
マーリンは悠里を正面からじっと見据える。
神秘的な瞳の中に悠里は閉じ込められており、覗き込むたびに色を変える様子はガーネットのようだ。
「僕では彼を救えない……だから助けてくれ」
マーリンの頼みは「なぜマーリンでは救えないのか」ということすら説明をしてくれない抽象的なものだった。それでも、彼の真剣な気持ちだけは伝わってきたため、決してからかわれているわけでないということは分かった。
そんな真剣なマーリンと相対した悠里はこれを夢だとは冗談でもいうことができなくなった。
「分かった……いや、全然分かってないんだけど、私出来るかぎりのことはする!」
人が困っているのなら助けるべきだ。そんな正義感も相まって悠里はイエスの返事をした。
何が起きているかもわからないが、マーリンは何やら真剣に友人を助けようとしていて……なぜか自分を呼んだ。世界を超えるという、常軌を逸してまでだ。
何もわからないが、何もわからないなりに前に進むにはそうするしか無いように思えた。
「君が僕の望むような人材で良かった。……どちらにしろ救えなければ君は元の世界に帰れないから頑張ってくれ」
「はあ!?」
そう叫ぶと悠里はまたあの白い光に包まれ――
次に意識がはっきりしたときに、目の前にいたのは浴槽に溺れんとする真っ裸の少年だった。
=キャメロット城内 アーサーとの出会い=
意識がはっきりしたと思ったら、どうやらどこかの浴室だったらしい。
ふと湯気が晴れた先には半裸の少年がおり、目が合った時には彼が驚いて足を滑らせ湯船に落ちた。
幸いにも、いわゆる広めのバスタブだったことと、すぐそばに控えていた男性が彼を引き上げたため大事にはいたらなかった。
「誰だよお前! ここの警備はザルか!? すぐに捕まえろ!」
「はあ!?」
少年は近くのタオルをひっつかみながらそういうが、格好と慌てていることで威厳も何もない。口調からしてとても良い暮らしをしていることは分かったが……。
そばに控えていた男性が慌てて悠里を後ろ手で縛る。
何もしていないのに! むしろ被害者はこちらだ! と悲しくなるが、こういう時は黙っておいたほうがいいと悠里は直感し大人しくした。
と同時に、この状況から判断するのであれば彼は……と予想を立てていた。
少年はタオルを腰に巻いた状態で悠里の前に立つと、腕を組んで見下ろす。
「おかしな格好をしているがどこの者だ、名乗れ」
「……私は悠里、雨谷悠里(あまがいゆうり)マーリンに頼まれてここに飛ばされたみたいで」
少年はおかしなものを見た、というようにひどく驚いて目を見張った。
「ユーリといったな、マーリンを……我が友を知っているのか?」
ガウンを羽織った少年は何かにすねたのか口をとがらせていたが、悠里を先ほど捕まえた青年は少年の横でげらげらと笑っていた。
「我が友、マーリンの友人を本来は厚くもてなすところ、手荒な真似をしてすまなかったが……風呂に突然侵入するのはやめろ。まさか侵入される側になるとは思わなかったぞ!」
彼はそう言いながら、悠里の拘束を解くように指示をすると悠里の前で屈んだ。
青年はなにがおかしかったのかという程膝をこぶしで打ち付けながら笑いだし、その様子を見た少年はますます口をとがらせた。
悠里は一言もマーリンの友人だとかは言っていないが、そういうことにしておいた方が良さそうだ。
「私も別に侵入したくて侵入したわけじゃ……」
しおらしくこちらも被害者だと訴えると、一通り笑い終えたらしい青年がまあまあと少年を取りなそうとした。
「まあまあ、もう良いじゃないかアーサー。あちらもお前の裸を見たのは不本意ときた」
「それも失礼な話だ!」
逆効果だったが。
少年――アーサーは端正な顔立ちという印象はあまりなかった。直前に見たマーリンの見た目が人のそれではなかったことも影響したかもしれないが、綺麗な顔立ちではあるもののどちらかというと「どこにでもいるような平凡な少年」という印象だった。
彼がアーサー王伝説の中心人物である、アーサー王その人なのだと名前から分かっても、実感が伴わないような親しげな雰囲気を纏っていた。威厳というよりは親しさを感じさせるのは彼の人柄がにじみ出ているからだろうか。
アーサーは咳払いをひとつすると悠里と目線を合わせた。
「えっと、ユーリはマーリンに何を言われてどうしてここにいるんだ? もう一度教えてくれ」
全裸にタオルを巻いただけのアーサーは真顔でそう尋ねた。
その様子を青年が肩をふるわせて見ていたため、アーサーはまた咳払いをした。
「マーリンには……ただ、友人であるアーサーを助けて欲しいとだけ言われて……そもそも、ここに来たのも突然で」
悠里自身も整理できていないことを察したのだろう。アーサーは考え込んだあと、質問に切り替えるか、と言った。
「お前の出身は?」
「日本の、って言っても分からないですよね……なんていうか、まあ田舎町。たぶんですけど、ここじゃない場所」
「両親はどこに?」
「そりゃ日本に、ちゃんと生きてますよ」
「あー、マーリンと出会った経緯は?」
「外でふてくされてたら突然周りが光って、気がついたら真っ暗な場所にいてそこで出会った……みたいな」
そこまで言ったところで、アーサーはううんと頭をひねった。
アーサーの悩みようを見て、今まで静観していた青年が口を開いた。
「その、アーサーを助けてってのは『何がアーサーに起こる』からってのは聞いてないのか」
「全然聞いてないです……あはは」
はあ、と青年が大きなため息をつくと、悠里をかばうようにアーサーが続ける。
「んー、聞いてないというより、マーリン自身にとって『教えられない』ことなんだろう。『言って』しまうことで、そちらに『強制力』が働くことをおそれたんだろうな」
「はあ? アーサーは時々訳の分からないことを言うなあ」
「ケイ兄さんにだけは言われたくない言葉だな。……おそらくだが、ユーリは嘘をついていない、言っていることは全て本当だろう。ユーリの奇妙な格好を見ても分かるが、ここではない場所からマーリンが喚んだんじゃないか? 俺を助けるために」
「そ、そういうかんじ」
悠里が乗っかると、アーサーが微笑む。
ケイは渋々といった具合だが一応は突然現れた悠里の言葉に納得したのか腕を組み直してなるほどなあとつぶやいた。
「まあ意味は分からないことだらけだが、それはお互い様と言ったところか。……ところでアーサー、服は着ないのか?」
「……着るに決まっているだろう!」
悠里はケイに連れられて人目に付かないよう別の部屋へと案内された。
ここなら邪魔も入らない、とアーサーは悠里の向かいに腰掛ける。
「とりあえず、ユーリはどうしたい?」
とりあえず家に帰りたいです。
そうは言えない悠里はううんと頭を抱える。
家に帰るという最終目的はさておいても、それまでにアーサーを助けられなければ帰ることが出来ないとマーリンに言われたことを思い出す。
「私が何をするべきなのか、何が出来るのかはわからないけれど……よかったら少しの間ここに置いてくれませんか? お手伝い出来ることはしますし」
「そうか」
アーサーは考え込むように指を顎にあてていたが、その様子を見ていたケイがアーサーの言いたいことを代弁する。
「面倒なら見てやるさ。ただ、アーサーを助けるか……アーサーに何かが起こるなんて考えたくもないが……もしそうならアーサーの近くにいられる方が良いだろう? となると、アーサーの側で働くのが一番だが……ごあいにく、今は立て込んでいて素性の知れない者を働かせてやることが出来ない」
「はあ、なるほど」
酷い言い草ではあるが、確かに、悠里のことを一応はアーサーもケイも認めてくれたように感じるが、それでも悠里が彼らにとって「素性の知れぬ小娘」であることは変わらない。まして、王の側ともなれば他の者にはどう説明するのかという問題もついて回ることになる。そうでなくても、よくわからない人間が城内を歩いてまわれば噂になる。
異世界の日本から来ました日本人です、なんていったところで怪しまれて終わりだ。
「そうだな、素性の知れない者を俺の側に置けばほかの騎士もざわつく」
アーサーは言葉を選んでくれたようだが、自分の主君の側に素性のわからない人間がいたら普通は引き剥がすだろう。悠里は自分の立ち位置を正確に把握して置かなければいけないと感じた。どう言えばいいのだろうか、どうすれば……と悠里が言葉を選んでいると、ケイが軽い調子で言う。
「俺の従騎士ということにすればいい。さすがにアーサーのというわけにはいかないが、ユーリは俺の遠い親戚で、円卓の噂を聞きつけキャメロットに来た、でいいだろう。乳兄弟(あに)の俺が身元を保証し、俺の従騎士ということにしておけば余計な詮索もされないし、ユーリがアーサーの側にいっても俺に言付けられたと言えば、うまく収められるさ」
「それはいい!」
アーサーが決まりだ、という具合で言ったあとにまたううん、と考え込んだ。
「どうしたアーサー、俺の完璧な提案になにか問題が?」
「いや……確かに女性の騎士はいるが、とはいえユーリは女性だろう? 騎士でいいのか? もっとこう、職はあるかもしれないだろう」
「は?」
とケイが面食らったように言い、すぐに大声で笑いだした。その様子にアーサーは不満げに何がおかしいんだ、と言った。
「ユーリはどこからどう見ても男だろう!」
「は?」
アーサーと悠里は声が重なり、ふたりで目を合わせた。
その様子をケイが訝しげに見つめていた。何がおかしいんだ、と先程のアーサーの言葉をケイはそっくりそのまま悠里とアーサーに返す。
「私は女ですけど……」
「はあ!?」
「兄さん……まさか男と女を見間違うなんて……」
まるで呆れたかのように言っていたアーサーだが、徐々に我慢ができなくなったのか肩を震わせはじめ、最終的に腹を抱えて笑いだした。ケイは違うのか、とかなり驚いた様子で悠里に詰め寄り、悠里は収集のつかないアーサーの大笑いに呆然とするしかなかった。アーサーは笑いすぎて床に寝転がっていた。
……そうして、一通り笑い終えたらしいアーサーが、悠里をじっと見つめたあとにああそういうことか、と閃いたように呟いた。
「きっとマーリンの魔法で『男だと勘違いする』みたいなものをかけられたんだろう。それで兄さんには見事魔法がきいてユーリが男に見えたんじゃないか?」
「は……はあ、なる、ほど?」
大笑いしたアーサーに怒りを隠しきれないケイが、一応の名誉は回復したというふうにそう言葉を絞り出した。
アーサーが魔法の詳細を予想し、説明してくれたところによると、悠里にかけられた魔法は「認識をずらす」というものではないか、ということらしい。
女性らしい格好をしていれば「認識をずらしにくくなる」ため魔法は効きづらく、逆に騎士の格好をしていれば「認識をずらしやくすなる」ため魔法は効きやすい。おそらく、キャメロットに現れたばかりの悠里の格好が男性の服装だ、という認識に寄っていたためケイは男性だと勘違いしたのだろうと言われた。
=夢の中 マーリンとの会話1=
今日からここが部屋だ、とケイに案内されたころには悠里は考える気力も勢いも何もかも失せて、そうして目が覚めたら全部夢でありますようにと思いながら目を閉じた。
「うん、さすがはアーサー……ちゃんと意図は伝わったようだ」
「ええっと、マーリンさん? 説明不足過ぎません?」
薄暗い空間をぽつりとランタンの灯が照らすように、ローブから白髪が覗くマーリンに悠里はそう言い放つ。
「いいじゃないか、結果は成せた」
「そういう問題じゃない気がする……もし、アーサーが私のことを即刻切り捨てる~とか、話が通じないとか何かあったら死んでいたかもしれないし、そうでなくても私に勝手に魔法かけるとか……自分勝手すぎない?」
悠里が疲れた様子で言うと、マーリンは乾いた笑いを浮かべた。その様子すら、彼が異質な存在であると肌を刺すような鋭い感覚として悠里に伝えられた。それはさながら危険信号のようで、マーリンは関わってはいけない存在なのだということを本能的に悠里は感じた。彼は何者なのだろう。アーサー王伝説のマーリンは何者であったのか、悠里は思い出せない。おそらくは、自分は元々知らないのだろうと悠里は考えていた。
「そんなことアーサーはしないさ。『君の色』は『そういう色』をしていないし、アーサーが特に危険を感じない相手を無下にすることは絶対にない。アーサーは特にその手のことはよく視えている。それに君はむしろ『僕たちに近しい色』をしている。だからほら、現に君は無事に迎えられた」
「誘拐犯って何言ってるのかさっぱりわかんないわ……」
「ああ、君は力があっても自覚がないタイプみたいだし……面倒だ」
「いや説明してよ」
悠里が何度説明を求めてもマーリンは一向に口を開こうとしない。何を考えているのだろう、と悠里は考えているうちに目が覚めた。
=キャメロット城下 湖の騎士ランスロットとの出会い=
人間の環境適応能力とは恐ろしいものである。
以前バラエティー番組で原始時代の生活を体験しようという企画があった時、芸能人たちが数週間でその生活に馴染んでいるのをみて悠里は大笑いしたが、笑えない、自分も今そうなっているのだから。
突然いい加減なよく分からない人物マーリンに連れてこられてやってきた、異世界らしいこの場所はキャメロットというらしく、悠里はそのキャメロットの城の城主であり王様アーサーを助けるため、その乳兄弟であるケイの従騎士つまりケイ付きの見習い騎士として城で働き始めた。
ケイに「俺は今アーサーの執事兼忠臣兼厨房長なんだよ」と言われたときはどういうことなのかと思考停止したし、その後「従騎士つっても俺の鎧や盾の世話だけじゃなくってさ、基本的には厨房を手伝ってほしくて」と言われたときは口をあんぐり開けてしまったが、慣れてしまえば、飲食アルバイトと変わらない生活であることに気がついた。どんな経験はいつか役に立つとはよく言われるが、こんなに直接的に役に立つとは思わなかった。
「パーシヴァル、こっちの皮むき終わったよ」
「わあ、ありがとうございます。僕の方も終わりましたよ」
パーシヴァルは悠里と同じくケイの従騎士である。いわく、両親がいないためケイが親代わりとなり自身の従騎士として面倒を見ているらしい。そんな事情からか、パーシヴァルは悠里をいち早く受け入れ色々な決まりや礼儀について教えてくれていた。悠里は元々生まれた場所が全く違うため何もかもが違い、常識という常識を知らないのだが、パーシヴァルはそんな悠里をなじるでもなく丁寧に教えてくれた。なんでも、パーシヴァルは森の奥で母親とふたりで暮らしていたため、初めの頃は悠里と似たような境遇で様々なことを知らなかったのだという。
町へ買い出しに行ったところ、道端で人が倒れているということは現代社会ではあまりないが、この世界ではあった。
「あの……大丈夫ですか?」
帰り道に木にもたれかかって寝ている――かと思ったがどうもくたびれているだけらしい人物を見かけ、悠里は声をかけた。
「み……水を……」
「お水!? はい、どうぞどうぞ」
と革袋の水筒を取り出し飲ませると、その人物はお礼を言って爽やかに笑う。……アーサーやキャメロットの騎士たちを見慣れてきた悠里でも一歩引いてしまうほどその人物は整った顔立ちをしている男性だった。
「もう平気ですか?」
「ええ、助かりました。ありがとうございます」
「良かったです」
安堵してそう言うと、助けたその人に顔を覗き込まれた。――栗色の髪間から覗く翠玉(エメラルド)色の瞳がじっと悠里を縫い止めていた。じっと見つめられ困惑はするものの、男性からはマーリンから感じ取ったような本能的な恐ろしさは感じなかった。単純に困ってしまっただけだ。
「私の顔に何かついていますか……」
あまりにもじっと見られるため耐えかねてそう言うと、ああ失礼しました、と返される。
「いえその……貴方が昔の友人に似ていたものですから」
「はあ、そうですか」
そう言われるとそれ以上の言及はできなかった。悠里の方もなんとなく気まずく感じてしまい、まあ世界には似ている人間が3人はいるって言いますしねと流した。
「ところで、キャメロットはこちらで合っていますか?」
その死にかけていた騎士はランスロットというらしく、悠里はその名前に飛び上がりそうになりながらも、城まで案内した。そうして彼はアーサーのもとで騎士として仕えることになったのだが、その日あった馬上試合でランスロットが優勝し、彼は最強の騎士として名を轟かせることになったのである。
=キャメロット城内 妖精王アーサー=
「ああ、なんだ眠れないのか? さすがにこんなに遅いと感心しないぞ」
「そういうアーサー様こそ、軽装でお供もつけずに良いんですか? 背が低いのがバレますよ」
「ケイ兄さんめ余計なことを……!」
ケイが悠里に教えた様々な情報の中には彼の乳兄弟であるアーサーの話も含まれていた。なんでもアーサーは同年代の他の少年たちよりも背が低いらしく、本人はその事を気にしているのだとか。ケイからは「風呂を供にした仲だし隠すこともないと思って」と打ち明けられたがそのからかいに悠里は苦笑するしかなかった。
そんな背くらい、と悠里は思ったのだがパーシヴァルや他の騎士たちと関わるうちに背の低い統治者はどうもそれだけで権力を下に見られ舐められるらしく、実は結構大きな問題だった。悠里がこちらに来た時、風呂の中にも扉の前にもそういえばケイとアーサー以外誰もいなかったと思いだした。要はそれだけ背のことは慎重に隠しているらしい。
アーサーは仕切り直しだとばかりに分かりやすい咳払いをして、笑った。
「調子はどうだ? 俺の死相でも先見したか?」
「いや、そういうのはないです……」
超能力者じゃあるまいし、と呆れながら答えてから、いや見えたほうが良かった自分はそのためにいるらしいから、と思い直した。
「まああれだ、キャメロットには慣れた頃か?」
「はい、みんなとっても良くしてくれます」
「そうだろう、ここは良いところだろう。なんでも、ランスロットのことを案内してくれたそうじゃないか。礼を言う」
そう言ってアーサーが調子良さそうに笑うと、アーサーの周りを白い光がふわりと周った。その白い光は風向きとは逆にふわりと移動し、一周して同じ場所に戻った。
「え」
突然の出来事に悠里はぎょっとした。流石に突然謎の発光体(オーブ)が視えるわけ無いか、いやそもそも謎の発光体って写真にうつるやつだ心霊番組で見た、と頭を振ったが――――アーサーの周囲には先程よりもさらにたくさんの光が飛んでいた。
「ひっ……人魂!?」
「ヒトダマ?」
言葉が魔法でうまく翻訳されなかったのか、アーサーが首を傾げた。不思議そうに悠里の様子を見ていたらしいが、驚いた様子で悠里に問いかけかえした。
「ユーリはこれが視えるのか?」
「これっていうかそれっていうか人魂ですか? フワフワ浮かぶヤバげなものなんて何も見えないです」
「視えているじゃないか! やはりそうだったのか。ユーリは視える人間じゃないかと思ったんだよなあ」
何に気をよくしたのかわからないが、アーサーが楽しそうに笑った。
「これはお隣さんだよ」
「お隣さん? そんな近所の人に見覚えはないんですけど……」
「ふふ……はっはっは……違う違う、ええっと、つまりあれさ……妖精だよ」
妖精、とアーサーが言ったところで光たちは姿を消してしまった、その様子を見てあーあとアーサーは悲しそうに呟いた。
妖精と言われ、悠里は小さい頃映画で見た緑色の透き通った羽で鱗粉を振りまきながら飛ぶ妖精やコナン・ドイルが妖精写真を本物だといったことなどが頭をよぎった。
「私の知ってる妖精と違う……」
「ふうん? おそらくは絵のことを言っているのだろう。まあ、絵は視えない人間が描くものだからなあ……悠里がどういったもののことを指しているのか分かりかねるが、実際はああいうものさ」
とアーサーが言う。
「妖精が視える者は珍しい……昔はもっと妖精も多く視える者も多かったそうだが、世界には明確に線が引かれ神代はおわり世界の狭間が視える人間も少なくなった……とはいえチェンジリングは起きるし、誘拐も起きる。視える者でも無闇に妖精を嫌う者たちもいる。だからどちらの世界も治められる者が必要になる……それがペンドラゴンを継ぐという意味さ」
何を言っているのだろうチェンジリングってなに、とは思いつつも悠里は自分なりに整理をした。
「えっと、つまりアーサー様は妖精も視えて……妖精も人間も大切にしたいから王様になったってこと……? ペンドラゴンってアーサー様の名字? ですよね」
「そうだ。……ああそうか、音しかきき取れていないから意味がわかっていないのか。ペンドラゴンというのは『竜の頭』つまりは『竜の統治者』という意味で……今ので理解できたか?」
「はい、今ので意味が分かりました」
つまり、ペンドラゴンとは名字ではなく「竜の統治者」という意味の称号らしい。察するに、恐らくは王の名前のようなものなのだろう。歌舞伎役者の襲名のようなものに近いのかもしれない。つまりはアーサーも「ペンドラゴン」のうちのひとりといえるのだろう。
=夢の中 マーリンとの会話2=
「今日、アーサー様と話をしたんだけど……チェンジリング? ってなに」
「取り替え子(チェンジリング)も知らないのか」
マーリンは呆れた顔で悠里のことを見てきたが、自分の常識が相手の常識だと思うなよと悠里は睨み返した。マーリンがチェンジリング、と言った際に悠里の頭に「取り替え子」という言葉が浮かんだ。夢の中だからだろうか。
「取り替え子……というのは妖精のイタズラのことさ」
「イタズラ?」
「ああ、簡単に言うと人間の赤ん坊と妖精の赤ん坊が取り替えられることだ」
「それって結構重めの犯罪なのでは……」
「妖精たちにそんな概念はない」
そうマーリンは頭を振ってから続ける。
「そのイタズラの原因はいろいろある。妖精が子供を気に入ったとか、ただ困らせて遊びたかったとか、人間の赤ん坊を保護するためだとか……取り替え子は見た目が毛むくじゃらの赤ん坊だったり、はたまた取り替えられた人間の赤ん坊と見た目がそっくりで見分けがつかなかったりといろいろあるが、とにかく取り替え子は妖精から取り返すのが面倒なんだ」
自分の赤ちゃんが突然毛むくじゃらになったらそれは怖いだろうな、と悠里は思ったが「自分の赤ちゃんが見た目はそのまま何者かと入れ替わっている」ことのほうがよほど怖いかと思い直した。
「どうやって取り返すの?」
「うーん、長生きの妖精でも見たことがないような珍しいものを見せるか、取り替え子をひどい目にあわせるんだ。例えば暖炉に投げ入れるとか……ただそれらはあくまで小さいうちに取り替え子だと気が付かれた場合の話で、気が付かないまま育てる人間もいる」
「それは……なんだか悲しいね。相手が誘拐犯の子供だとしても、ひどい目にあわせるとかいじめられるのはなんだか可愛そう……誰も幸せにならないかんじがする」
「うーん、人間の子が妖精にさらわれて幸せに暮らすこともあるから例外はあるとはいえ、君の言うとおりだろうな。……はあ」
マーリンの大きなため息に悠里は何か間違ったことを言ってしまっただろうか、と心配になったが杞憂だった。マーリンはくつくつと笑っていたのだから。
マーリンが笑うところを初めてみた悠里は驚いたが、虚空を見つめているマーリンはどうやらおかしくて笑っていたというよりはなにかの感傷に浸っているようだった。
「君のそういう無駄に妖精を心配するところや慮るところが、アーサーに似ている」
「アーサー様に?」
「そうだ。僕は悪魔が無理やり人間に産ませた子どもだ。母は男を知らないのに僕を孕んで、恐怖と教義の板挟みで苦しんだ」
「…………っ!」
悠里は突然の告白に息を呑んだ。
そして悟った、マーリンと初めて会ったときに感じた「本能的な恐怖」はやはりマーリンが人外の存在であったためだったのだ。当たっていた、と驚いたような当然だとどこか腑に落ちたような感覚が混ざり合った言い表し難い感情だった。
マーリンは自身の真実をまるで他人事のように語るが、それはそのことを彼がすべて乗り越えたあとだからなのだと悠里は感じた。
「母が神に祈って神に祈って日暮らし、僕はギリギリ悪魔として生を受けずに生まれたがこの見た目だ。母は僕の存在が露見すること、無実であったのに悪魔とつながったことを知られないために僕を森の奥深くで育てた。……そんな僕を恐れもせずに、陽気に話しかけてきて友だちだと言ってくれたのがアーサーだった」
『ユーリといったな、マーリンを……我が友を知っているのか?』
『我が友、マーリンの友人を本来は厚くもてなすところ、手荒な真似をしてすまなかった……』
アーサーは当たり前だと言わんばかりに、マーリンのことを友だと呼んでいた。そしてそれは、どれだけマーリンにとって嬉しいことなのか……なんて所詮悠里には分からない。それでも、ひとりぼっちは寂しいなんて当たり前で、その寂しさに手を伸ばしたアーサーへ今度はマーリンが手を伸ばしたのだ。そのために、悠里は喚ばれた。
「やっと分かった……だからマーリンは自分の大切な友だちであるアーサー様を助けたいんだね……」
「そうだ……何を犠牲にしたとしても、彼の運命を変えたい。そのために理の外から君を喚んだ」
そうだ、の後は声が小さくて悠里は上手く聞き取れなかった。
その日の夢はそこで覚めた。悠里はまだ暗い天井を見た、まだ夜中だったようだ。なし崩し的にハワイではなくキャメロットに来てしまった悠里だが、心からマーリンに協力してアーサーを助けたいと決意を新たにした。
=キャメロット城内 毒りんご事件=
その日はアーサーの婚約者であり、未来の王妃グィネヴィアが騎士たちを労い晩餐会を催した。グィネヴィアとアーサーはまだ結婚してはいなかったが、グィネヴィアが頻繁にキャメロットを訪れていたためにグィネヴィアは王妃様とすでに呼ばれるほど慕われていた。「晩餐会なんて、なんで開くんですかね。準備するのは全部こっちでグィネヴィア様は口を出すだけじゃないですか」と悠里がケイに愚痴をもらしたところ、ケイに「人望というか地盤を固めたいんだろうなあ」と割とまともな答えがかえってきた。
ケイは他の仕事も忙しいということで、その日の厨房に厨房長たるケイがいなかった。このことが後の面倒を助長させてしまったのだ。パーシヴァルと悠里はふたりで晩餐会の準備をした。普段からキャメロットの食事はケイを含め3人での準備で事足りていたし、今回は晩餐会とはいえふたりで事足りた。それほど小規模な晩餐会だった。
しかし、事件が起きた。
パトリスという騎士が毒殺されてしまったのだ。
ひとり厨房に残ってはやめの後片付けをしていた悠里がりんごを食べた直後に倒れた騎士がいる、と聞いて駆けつけたときには件の哀れなパトリスは息を引き取っており、彼のいとこであるマドール・ド・ラ・ポルトという騎士が激昂していた。
「これは一体どういうことだ……まずは名前を」
そしてなぜか、怒りの矛先は悠里に飛んできた。
「ケイ様の従騎士で……悠里です」
「ユーリ、貴殿はガウェイン殿を殺そうとしたのか?」
は? と返しそうになったが、悠里は、これアーサー王伝説の毒りんごのエピソードだ、と気がついた。
グィネヴィアが開いた晩餐会で、とある騎士が運悪く死んでしまった。
というのも、ある騎士が仇討ちにガウェインを殺そうと毒りんごを仕掛けたのだ。なぜ白雪姫でもあるまいに毒りんごかというと、アーサーの甥であるガウェインが無類のフルーツ好きであったからで、ちなみにこのことはみなが知っていた。
こうしてひっそりと始まったガウェイン暗殺計画は不運なパトリスが死んでしまうことで露呈する。毒が仕込まれていたのがりんごだったことから、狙われたのがガウェインであることはやはりみな気がついた。
もちろん悠里も知っている。ガウェインは無類のフルーツ好きだ。
「いいえ、まさかそんな。ガウェイン様のような立派な騎士をどうして私が殺そうなどと恐ろしいことを考えるでしょうか!」
いや本当にガウェインと接点ないから! 殺すにしたって動機なんてないから! と悠里は心の中で叫んだ。
「ユーリ、申し訳ないがあなたはキャメロット来てまだ日が浅く、信頼は置けない」
「ぐっ」
痛いところをつかれた。やはり、いくらケイが身元を保証してくれたからといっても経歴ほぼ不明な人間は怪しいのだ。
ユーリが何も言えずに黙り込んでいると、そこへアーサーとケイがやってきた。ケイは悠里をマドールから守るように前に立つと、状況説明を求めた。そうしてマドールは声高に説明をした。
「我が王、彼はあなた様の甥であるガウェイン殿を殺そうとしたのです! どうか正義を!」
「違います! 私は何もしていません!」
「待ってくださいマドール! ユーリはこの通り否定していますし、何よりユーリがしたという証拠はありません」
ケイは何も聞かずに、悠里の無実を信じてくれた。そのことを悠里は何よりも嬉しく思った。
「それはないでしょう! なくて当然ではありませんか? 証拠であるりんごはパトリスが食べてしまったのですから」
あー司法解剖がない時代って毒殺が完全犯罪になるのか、と悠里は呆れてしまった。凶器が氷だったので溶けて消失した、レベルのチープな完全犯罪だが。
ケイも何も言い返せないのか……いや言わない方が良いと判断したのか、アーサーを食い入るように見つめていた。
「王よ、これは立派な反逆です! 正義を」
この場合の反逆というのは、不当な殺人という意味だ。正当な礼を尽くした戦いでない殺人はすべて反逆と呼ばれていた。
いや全部殺人事件でしょ、と悠里は反逆の意味を聞いたとき思ったものだ。
「……ユーリは兄であるケイにとって家族同然の存在。つまり、私にとっても家族同然。だが場合が場合だ。私は公正な裁判官でなくてはならない……ユーリを牢へ」
「待ってください王よ! 『彼女』は無実です!」
ケイのその一言で場の空気が一変するのを悠里は肌で感じた。グィネヴィアや他の騎士たちも一様に押し黙っていたのだが、口をあんぐりと開けた。後からパーシヴァルに聞いたところ、明らかに悠里が犯人だと疑われていたため、悠里を擁護することは正義に反するとして騎士たちは己の正義のために押し黙っていたのだろう、とのことだった。
悠里が女だというのは、キャメロットではアーサーとケイしか知らなかったため、皆がこの場で初めて悠里が女であることを知ったのだ。
だが、悠里が女だと分かったところで何が変わるだろう、と思っていた。
「彼女は身を守るために、身分を偽って従者として働いてくれました。彼女は騎士ではありません。……そして彼女は無実だと訴えています。公正なる王よ」
「……では、ケイがユーリの代理としてマドールと闘うように。日時は15日後に、ウェストミンスターの草原にて、武装を整え互いに最善を尽くすように」
そう言うとアーサーはきびすを返してその場を去った。
=キャメロット城内 ケイの部屋1=
「ユーリ、安心しろ! 俺は分かってる、お前は晩餐会の準備が面倒だからって毒殺なんて考えない!」
「ケイ様、言い方!」
ユーリはケイの部屋に外から帰ってきたパーシヴァルともども押し込められていた。パーシヴァルは厨房に戻っても悠里がいないため不審に思い広間にきたところ、時すでに遅し全て終わっていたのだ。
「ケイ様はなんで私が女だってあの時言ったんですか?」
「ああ、そのことか」
悠里の質問にケイは分からないよな、と驚きながらも馬鹿にすることなく答えてくれた。
「あのままいくとまあ、よくてマドールと決闘の末処刑だった」
「ひっ、死ぬの確定?!」
しかもよくて決闘らしいので、おそらくは決闘もなく処刑されるところだったらしい、危なかった。とはいえ、ケイの言い方だとマドールと決闘しても悠里は死んでいたと彼は考えているようだ。
「騎士なら基本、自分がそのまま決闘するからな。そしてマドールは腕が立つ、ユーリならまず勝ち目はない。だが、ユーリの性別を明かせば代理として俺が立つことが出来る」
ああ確かにアーサー王伝説の中にそんなのあったな、と悠里は思いいたる。
グィネヴィアや他の女性も、罪を疑われた時の決闘や身内の仇討ちを代理の騎士を見つけて頼んでいた。おそらくはそういうしきたりなのだろう。
「あんの野郎、俺が見ていない間にいちゃもんつけやがって! 厨を疑うたあ良い度胸じゃねえか。正義は必ず勝つんだ、決闘で証明してやる! ……いやまあ、俺より強いヤツが代理で出てきたら代わるけどさ」
なんだそれ、と嬉しいのやらなんなのやら悠里が微妙なきもちになっていると、ちょうどケイの部屋を訪れたらしいアーサーと目が合い、アーサーはまあいいんじゃないかと言ってから応援した。
パーシヴァルも応援した。ケイはありがとうな、と礼を言いながらパーシヴァルの頭をわしわしと撫でた。
……パーシヴァルからケイは正義に逆らうことになるという行動を、正義はこちらにあるとして立ち上がり、騎士として選びがたい行動を選んだことを教わりケイの優しさが嬉しくてたまらなかった。
しかし悠里は前日の馬上試合を思いだしていた。
マドールはケイより勝ち進んでいなかっただろうか?
=キャメロット城外 ウェストミンスターの草原にて=
「ユーリはパトリスを殺した!」
今回の場合のような反逆への反対といった決闘はこのような宣誓から始まる。
「反対を唱える者があれば、1対1で戦い、身をもってこの宣誓を立証する!」
と高らかにマドールは宣言。そこへ示し合わせたケイがやってくる。
「ユーリは無罪だ。ユーリに課せられたこの罪状を私がこの手で立証する!」
そうケイは宣言するとマドールをにらみつける。
「マドール、あなたが立派な騎士であることは分かっている。しかし私はおそれはしない。とはいえ、もし私より優れた騎士が代理になるなら代わるだろうが」
「ほう、言うことはそれだけか? さあ、闘うかさもなくば降参しろ」
煽られたケイはそんなにこわいのかといった具合に「はやく馬に乗るといいぞ」と煽り返し、ふたりはそれぞれテントに戻って武装を整えた。
ユーリも普段ならケイの支度を手伝うところだが、被告人であるためアーサーの近くで座らされていた。間もなくして、マドールは出てきてアーサーに代表騎士を出すよう急かした。
それを聞いたらしいケイが、馬に乗って出てくる。
試合が始まるかと思われたが、そこへもうひとり白馬に乗った騎士が出てくる。その騎士は白馬に乗った状態で完全武装しており、見慣れない紋章の風変わりな盾を持っていた。
「騎士殿、どうか私に代わりに戦わせてはくれないでしょうか」
とその騎士は言った。何を言っているのだと悠里は目を丸くした。ケイがそうやすやすと「そうだなお前は俺より強いしな」と言うだろうか、いやないと悠里は思い至り、行く末を震えてみていたがケイは「良いだろう」と言うとそのまま下がって、馬から降りた。
こうして、白馬の騎士とマドールとの決闘が始まった。ふたりの騎士は一時間近く戦っていたが、結果的に白馬の騎士が勝ち、マドールは告訴を永久に取り下げることを約束し、決闘は終わった。
その後の宴会の席で、真犯人はピネルという騎士で、目的はガウェインへの復讐だったことが明かされ、晴れてユーリの無実は完全に証明されたのだ。
=キャメロット城内 ケイの部屋2=
「いやあ、一時はどうなることかと思ったが良かった良かった!」
「ランスロット様ありがとうございます! ケイ様もありがとうございました!」
「良いってことよ。ランスロットから事前に相談受けてたしな」
「正義を為しただけです。それに、ご婦人が困っているのに放ってはおけません」
ケイが気もちよさそうに笑っており、その緩みきった表情からも悠里をどれだけ心配してくれていたのかが分かった。ランスロットも表情をほころばせていた。悠里の代理として戦った白馬の騎士は宴会の後にランスロットが名乗り出たことで正体が発覚し、これに感謝する小さな宴がケイの部屋で催された。
ランスロットと悠里は話し込みはじめたケイとパーシヴァルのための食事を取りにふたりで厨房へ向かっていた。
「あの、マドールの決闘をケイ殿が受けた後、私は偶然ガウェイン殿から話を聞きました」
曰く、ガウェイン本人も悠里と関わるようなことに覚えがないこと、悠里やケイから恨みを買うようなことの覚えがないこと、またガウェイン自身も状況的に押し黙るしか無かったが犯人は悠里ではないだろうと直感していたことをランスロットに話した。ランスロットもまた、悠里が犯人ではないと直感していたらしく、ガウェインの話を聞いてやはり自分の直感を信じた方が良いのではないかと思い始めたという。
「実は直感だけなく、私は他にも引っかかることがあった」
「というと?」
「何故誰も、ユーリ以外を疑わないのだろうということです」
「……言われてみれば」
殺されるかも知れないという壮絶な恐怖で悠里は冷静な思考回路を失っていたようだ。
言われてみれば、厨房はなにも悠里だけで回しているわけではない。他にもパーシヴァルだっているし、出入りしているのはケイや彼の従騎士だけではない。他の騎士もつまみ食いにくるし、下働きの者も出入りしている。そして、パーシヴァルも悠里より前にキャメロットに来ていたとはいえ、身元がハッキリしているというわけではないらしいのに、どうしてあの場では悠里だけが犯人だと決めつけられたのだろうか。
「それにそもそも、晩餐会で従者が毒を盛ったのだとしても糾弾されるべきは従者ではなく主催者であるグィネヴィア様であったはずです」
「……確かに」
正論だ。というより、冷静に考えればそうだろう。政治家の汚職が世間に出ると政治家はみな口を揃えたように秘書の独断だ何も知らないと言って逃れようとするが、そんなことは嘘だと皆知っている。間違いなく悪いのは指示をしたであろう政治家だ。
今回の件も、悠里が仮に毒を盛ったとしても独断だとは考えがたい。ケイもしくはグィネヴィアが疑われていたはずだ。
ケイが悠里の決闘の代理を受け入れたのは自身の不名誉のためでもあったのだろう。
「けれど、誰もグィネヴィア様が毒を盛ったのではとは言いませんでした。私はそのことが引っかかっていましたし、どちらかというとグィネヴィア様を真っ先に疑ったため、何故あの場でユーリが名指しされたのか分かりかねました」
それでも動けなかったのは、下手に動いて悠里を困らせないように、とか正義がどちらにあるのかをランスロットが見極めようとしていたからだろう。
「そこまでユーリ以外が犯人ではないか、と疑っておきながら……命の恩人を見捨てたとあっては私は騎士ではいられません。そのため、己の正義に従い闘いました」
「なんだか……ありがとうございます」
「いいえ、礼を言われるようなことではないのですよ。ユーリ、あなたが私の恩人であることに変わりは無いのですから」
とランスロットは出会ったときに水を貰った話をした。いや、そんな大したことではないのになと悠里は繰り返し思った。そうしてランスロットは前日にケイに話しを通し、自分が出てきたら代わってもらえないかと頼んだらしい。えっそこ譲るんだ、と悠里は驚いたがケイはそれだけランスロットの実力を認めていたのだろう。
そんな、清廉な騎士たちに悠里は救われたのだ。
=キャメロット城内 誰もいない1=**
「こんばんは、ユーリ」
「グィネヴィア様、こんばんは」
ユーリは一歩下がって、グィネヴィアにお辞儀をした。
グィネヴィアは白髪に透き通る肌を持つ、存在そのものが繊細に編み込まれた白いレースのような人物だ。触れれば壊れてしまいそうな砂上の楼閣のような儚さがあると初対面では思ったが、今ではどちらかというと薄い硝子に例える方が正確だと悠里は感じている。――グィネヴィアと相対する度に、本能がこの場から一刻も早く逃げろと告げているからだ。
「それにしても、ユーリは無事だったのね」
「ええまあ、ケイ様やあの騎士様のおかげで」
「――つまらない」
悠里の言葉の途中でそういったグィネヴィアは、悠里が次に瞬きをしたときには目の前にいた。1メートルくらい瞬間移動した!? と悠里は驚いて更に一歩下がる。
流石に何も言わずに遠ざかったのは失礼だったか、と悠里が謝罪を口にするとグィネヴィアはたおやかに笑った。それはとても幼い少女が蝶を見つけたとほころんだときのようでもあり、いやらしい老婆のようでもあった。
「残念でした、いえ、なんでもありません。ええそう、そう。私あなたにききたいことがありました」
なぜかその声は悠里の真正面にいるグィネヴィアからではなく、グィネヴィアの声であるのに真後ろから聞こえた。
「はい……なんでしょうか」
「どうして邪魔をしたの? 私の魔法が効かなかった! ああ……ああ……ごめんなさい、ええ、あなたではないわよね」
グィネヴィアはそう言うと、そのまま失礼すると告げ、悠里が瞬きをする間に消えていた。
悠里はその場に立ち尽くし、神隠しみたいだと呟いた。
=夢の中 マーリンとの会話3=
「もしかして、毒りんごを仕込んだのはグィネヴィア様?」
「当たり」
悠里の指摘をマーリンが静かに肯定する。
本来、アーサー王伝説で毒りんご事件の犯人とされ処刑されそうになるのはグィネヴィアだったはずだ。その時グィネヴィアはランスロットと(簡単に言うと)喧嘩をして城から追い出していた。そして、グィネヴィアを疑う騎士たちはグィネヴィアの代理として決闘には参加したがらないために、ランスロットなら出たとランスロットのいとこであるボールス・ド・ガニスを説得し、ボールスが出ることになる。ボールスはグィネヴィアの件を密かにランスロットに伝え、ランスロットはグィネヴィアに追い出されたにも関わらず、恋人グィネヴィアの代理として正体を隠して決闘に勝利する。
しかし、グィネヴィアではなく悠里に、ボールスの代わりにケイがという具合で立場が入れ替わっていた。
「犯人としてピネルが告発されるのは原典通りだった気がするけど、ランスロット様が言っていたようになんでグィネヴィア様じゃなくて私が疑われたんだろう。それにそもそも、ランスロット様とグィネヴィア様が恋人じゃないんだけど……」
「……その件に関しては僕がずらしたからだ」
「突然の真犯人」
本当の意味での真犯人がマーリンだったことは予想通りだったというべきか、このやろうと言うべきか悠里は項垂れてしまった。お得意の魔法だろうか。
「たぶん君は知っているだろうけど……グィネヴィアはアーサーを破滅へ導いたすべての元凶だ」
「そこまで言わなくても……いやその通りかもだけど」
アーサー王伝説はアーサーの出生前の話から始まり、アーサーの死と死後の周囲を描いて終わる。
栄華を謳歌したアーサーの治世は、アーサーの不義の息子モードレッドとアグラヴェインという騎士がアーサーの妻グィネヴィアと円卓一の騎士ランスロットとの浮気を告発したことから崩れ始める。ランスロットは逃げ延びるために騎士たちを殺し、また浮気の罪で火炙りにされそうになったグィネヴィアを救うために、不本意とはいえ親友ガウェインの弟たちを殺したことでガウェインと決定的な決別を迎える。そうして、アーサーがランスロットを追いかけるために兵を挙げキャメロットを出たところモードレッドが兵を挙げ反乱を開始する。そう、モードレッドはアーサーを打ち倒すためにランスロットとグィネヴィアの不倫を告発したともとれるのだ。そうしてアーサーは反乱をしたモードレッドと戦い相打ち、死んでしまう。ランスロットはアーサーを助けるために駆けつけようとするが間に合わなかった。ほとんどの騎士たちは死んでしまい、仲間割れや不信の末に崩壊するという悲しい物語だ。何を崩壊の原因とするかは人によるが、多くはグィネヴィアとランスロットの浮気、モードレッドの反乱だと言われる。
「……はあ、だから僕はアーサーに言ったんだ。グィネヴィアは君に幸福ではなく破滅をもたらす存在だと」
そう、マーリンはアーサー王伝説の中でもアーサー王にグィネヴィアとは結婚してはいけない、と予言の結果から反対する。しかしアーサーは聞き入れずグィネヴィアと結婚する。もし、マーリンの忠告をアーサーが聞き入れグィネヴィアと結婚していなければ円卓の騎士たちはあのような悲惨な結末を迎えなかったかもしれない。
「グィネヴィア様は……何者なの?」
「君もうっすらと気がついているのでは?」
悠里の質問にマーリンは逆に問い返した。
質問を質問で返さないでよ、と悠里は思いながらも必死に考える。悠里はグィネヴィアからどんな印象を受け取っていたのだったか、グィネヴィアは何を言っていたのか、グィネヴィアは何を狙っているのだろうか、そこから推察できることはなんだろうか……。
そうして悠里は自信なさげに答える。
「グィネヴィア様は、マーリンに近い存在なの? もしかして、悪魔や妖精なの?」
「ご明答」
マーリンは手を叩いた。
「彼女は取り替え子(チェンジリング)だ、つまりは妖精さ。本物の人間のグィネヴィアは妖精の国にいる」
マーリンはそう言うと、やっとここまで来たなと言いながら杖にもたれかかる。しゃらりと金属の音がした。
ということは、本物のグィネヴィアは赤ん坊の頃に妖精の国に行ってしまい、両親はグィネヴィアが取り替え子にあったと気が付かないまま育て、今日に至るということだろうか。それではあまりのグィネヴィアの両親が不憫ではないかと悠里は悲しくなった。
「てことはつまり、本物のグィネヴィア様が帰ってくれば解決?」
「そうだ。結局あの妖精が次の妖精王をアーサーからランスロットにしようとしたことが原因だから、正しく妖精王をアーサーに継がせれば良い。つまりは選定者の個人的な心が変わりを抹殺して、ランスロットを妖精王の候補から抹消する、これが重要だ」
マーリンの言葉の節々から怒りというか雪辱のようなものを感じた。明確な殺意にも近い決意だった。
「突然言葉が物騒になったね……グィネヴィア様は妖精王を選ぶ選定者なの?」
「そうだ、彼女は『妖精王の王冠』だから」
グィネヴィアが王冠である、というのはアーサー王伝説のひとつの解釈にもあったな、と悠里は思い出す。
まだランスロットがアーサー王伝説に組み込まれる前の初期の物語では、グィネヴィアの浮気相手はモードレッドであった。モードレッドは反乱の後グィネヴィアとの結婚を宣言するのだ。そして、ランスロットとのロマンスも「王が年老いたためにもっと若くて強い有能なランスロットに王が移った」ことを暗喩するためにもグィネヴィアがランスロット浮気をするのではないかというものだ。グィネヴィアがそれほど「魅力ある王冠」であり「王威の象徴」であるため争われ、その夫が移り変わるのではないかと。だからこそ、モードレッドは反乱後にグィネヴィアとの結婚を宣言する必要があった。つまりは王威が自分にあると宣言したのだ。
そういえば、グィネヴィアという名前の由来も「白い妖精」という意味だという説があることからも、やはりこの世界の彼女も妖精なのではないかと考えた。加えて、初期のグィネヴィアは「三位一体の女神」であったという説を思い出した。グィネヴィアが悠里の前で突然消えたり現れたり、真後ろから声が聞こえたように感じたことも彼女がそうだとしたら納得がいく。マジシャンが消えて再登場するイリュージョンの一番簡単な種は「マジシャンが双子だった」というものだ。グィネヴィアも上手く隠れてはいたがあの場に3人いたのだとしたら説明がつく。
人間のグィネヴィアが帰ってくれば解決するとは言ったものの、悠里は以前マーリンとした取り替え子の話を思い出し、質問をした。
「この前は小さいうちに取り替え子だと気がついた場合って言っていたけど、気が付かずに育てておとなになってから取り替え子だと分かったらどうやって取り返すの?」
「容易なことではないが……その妖精の名前が必要なんだ」
「名前? つまり、妖精のグィネヴィア様の本当の名前ということ?」
「そうだ……そしてそれだけは、僕は知らない」
初めてマーリンが事件の核心を語った。
「何度何度先見をしてもそれだけが分からない。今回の毒りんご事件やそもそもランスロットと恋に落ちないように魔法でそらすことはできても、結局はダメだ。この世界の存在である僕ではみつけられない。どうやったって運命を変えることができない。だから、どんな手を使ってでもどんな誹りを受けてでもどんな対価を払ってでも僕はそのアーサーの運命を変えることにした」
「……だから私を喚んだ。外の世界の存在である私を。そうでないと、運命を変えられないから」
マーリンが悲しそうに笑って頷く。悲壮だと思ったがそういっては失礼だ、彼の勇気をそうよんではいけない。
『はじめまして、異界から客人。状況が呑み込めていないであろうところ申し訳ないが、とりあえず僕の話を聞いてほしい。君にはこれから僕の友人を助けてもらう』
『マーリンともあろう有名魔術師が一体どうして私なんかを? 自分でなんとか出来るのでは』
『出来ないから困っている』
『僕では彼を救えない……だから助けてくれ』
「つまり、私がグィネヴィア様の本当の名前を見つければアーサー様は救えるし、私は元の世界に戻れる」
「そうなる。異世界から客人を招くにはいくつも条件がいる。まずは客人自身も現場からの逃避を望んでいる、つまり本当に嫌がる相手を無理矢理には連れてこれないということ。そして客人が受けたことと僕も同じことをうけること。それが対価の魔法だ。ああ、君ならできる。きっと君がこの世界にやってきたことは偶然ではないから」
「待って、それってもしかして……マーリンは異世界に飛ばされたということ? マーリンがいつも夢の中か暗い場所にしかいないのあって」
悠里が話しかけても、マーリンは何も言わないまま遠くへ遠くへと消えていく。
悠里が手を伸ばしても、マーリンは口の前に人差し指を立てて、そのまま消えていく。
「待って、消えないで! 待って、マーリン、どこにいるの? あなたは今どこにいて、どこから話しているの? 私が元の世界に戻ればあなたも戻れるの? マーリン!」
会話はそこで終わり、目が覚めた悠里は自分が泣いていることに気がついた。きっと頬に涙のあとが細い筋となって残っているのだろう。暗闇はどこまでも静かで、外で葉がすれる音がする。遠くで鳥が鳴いている。その鳴き声は聞いたことがなくて悠里は自分がキャメロットにいることを嫌でも自覚した。
「ばっかじゃないの……もっと自分を大切にしなよ」
涙は止まらなかった。
悠里はその後、アーサーに再度グィネヴィアとの結婚は取りやめてほしいと話したが「俺はグィネヴィアが好きだし、グィネヴィアも俺に惚れ込んでいるのになぜ!?」とアーサーに逆に驚かれてしまい、説得したが聞き入れてもらえず、マーリンはずっとこんな気もちだったのだなと身をもって実感した。
ずっと先の未来が視えることよりも、大切な人の未来を救えないことのほうがマーリンにとってよほど辛かったはずだ。ギリシャ神話で太陽神アポロンから予言の力を授かったカサンドラだって誰にも信じてもらえずに病んでしまったのだから。
=キャメロット城内 誰もいない2=
「こんばんは、ユーリ。鼠と話をしたのね」
白い妖精は何が面白いのかくつくつと笑っていた。鼠というのがマーリンのことを指すのだろうと分かって悠里は声を荒げそうになったが、そこは冷静に押し黙った。
「こんばんは、白い妖精(グィネヴィア)様。あなたの本当の名前を教えてくれませんか」
「あら、あら……うふふふふふ」
白い妖精はけらけらと笑う。おかしくておかしくてたまらない、という風に。どうしてそんなに悠里を馬鹿にしたように笑うのだろうと、先程の発言も含めて怒りに囚われそうになった。
「いえいえ、うふふふふ、あははははは、あのね、うふふ、無いの」
「無い?」
「ええ、いいえ、あのね……私(わたくし)……私達には名前が無いの」
そう言うとひとりの影から同じ姿がふたり現れる。――3人の白い妖精だ。影法師のようにふらりと在る。
「私達は私達であり、あなたでもある。私達はアーサーでもあり私達はランスロットでもある。私達は『鏡合わせの映身(うつしみ)』故に私達は名前が無い。私達は『万人の影法師』だから、元より名前がない。だからマーリンも私達の名前をみつけることが出来ない。私達は私達であり、私達は私達ではないの。私達は何者でもないからこそどこにでも入り込めて、どこにもいない。だから王冠で在れる。個がないからこそ、個を反映できるからこそ、私達は選定者たれるの」
「……そんなの反則じゃん」
正体はつまるところ「影」なのだ。この白い妖精の正体は「影」。怪談で鏡の中の自分が動き出すというものがあるが、おそらくはそれが彼女たちなのだ。「影」という存在は、もちろん「影」だけでは存在できないため、「影」そのものが存在しないにも等しい。そういった万人の「影」であり鏡に映る「もうひとりの自分」という概念があの白い妖精なのだということらしい。
そういえば、日本では神の使いは「白」で表せられるが、実際に白いというわけではなく「透明で視えない存在」ということを仮に可視化するために「白」という色を用いて表現しているらしい。おそらくは白い妖精というのも視えない妖精という意味なのだ。
「ああ、そっか……だから私だったんだ」
「どうしたの?」
白い妖精たちは声を揃えて悠里に声を掛ける。その声色はこの世界に来てからずっと心に壁を作って倒れないように努めてきた悠里の心にするりと入り込んでくるようなとろけるような優しい声だった。
「私ね、ずっとひとりぼっちだったの」
「どうして?」
悠里の告白に、妖精は否定もせずに続きを促す。
「幼なじみがいたんだ。生まれたときから一緒だったの、お隣だったから。あはは、そういうとまるで漫画みたいだけど現実はそんなに甘くはなかった。その幼なじみがすっごくかっこよくて、とにかくモデルかってぐらいかっこよくてさ、ほら漫画みたいでしょ。私はその幼なじみが嫌いじゃなかった、優しくてなんでもできて困っていたら助けてくれて……私にとって彼は最高の親友だった」
吐露の枷が止まらない。
悠里にとって彼の顔立ちは何も関係がなかった。ただ彼の優しさが悠里は好きだった。生まれたときから一緒だったこともあって彼の前では自分を偽る必要がなかったし言葉がなくても伝わることが多かった。そういった楽さも彼と一緒にいる心地よさも好きだった。
「でも、私はひとりぼっちだった。世界ってそんなに甘くないから、私はその幼なじみと仲がいいせいで嫉妬されて私ぜんっぜん友だちができなくて、嫌われるの。でもその幼なじみが馬鹿でさ、一緒に遊ぼうって自分の友人AとBを引き連れて話しかけてくるんだけど……ほんと引いたんだ。そのAとBって私の陰口を言ってる人だったんだよね。気に入らない人間がクラスにひとりいるとみんな当たり前みたいにその人の悪口だけを言うんだ。それをいじめっていうんだけどさ、そのひとりが私だったんだ。でも馬鹿な幼なじみはそんなこと知らなくて、自分に告白してきた女の子にこういった」
『ごめんね、僕は悠里が好きだから君の気もちにはこたえられないんだ』
『僕はずっと悠里が好きだから、たとえ悠里が振り向いてくれなくても何年もずっと前から僕は彼女が好きなんだ』
…………悠里に言わせれば、その幼なじみはただの馬鹿だ。空気が読めなくて、先が読めない。そう正直に言えばいいってものではないのだ。その言葉の結果悠里は見ず知らずの女子によって階段から突き落とされ、靴には画鋲が入っていたことがあったため砂を出すふりをして画鋲チェックする癖がついたし、プリントは自分の分だけ回ってこないし、課題は幼なじみ以外教えてくれなかった。
そして、悠里は彼のことを親友だとしか思っていなかったし、恋愛対象だなんてとても考えられなかった。彼は自分の半身のような兄弟のようなそんざいであり、色ごとの対象ではなかった。
「そうしてどんどんひとりになるし、いや恋愛対象の範疇にいない人間に好きになってやれよとかみんな幼なじみとくっつけようとするし、私の話なんて誰も聞いてくれないし、幼なじみと私が付き合えば解決って解決するわけないじゃん、幼なじみの友だちは私の敵なんだから。でも誰もそんな私の話は聞かない。当たり前だよね、幼なじみのほうが私より勉強できてスポーツできて顔が良くてみんなに好かれてたんだから、そんないい人が私みたいな人間を好きだって言ってるんならさ、ありがたく受け入れろっていうのが世間一般論だよね。親もそうだったし」
それでも彼を恋愛対象として考えられない、という悠里の絶望にも似た悲しみの思いは誰も聞いてはくれない。新しく出来た友だちも幼なじみに恋をするか幼なじみの味方をしたからだ。そして、幼なじみは悠里が自分に気がないことも十分に理解していたために告白もしてこなかった。だからひどい振り方をすることも出来なかった。そして悠里も弱虫だったため、長く幼なじみと縁を切るという決断ができなかった。
「そんな時、私には私がいることに気がついた」
それは、悠里が見つけた悠里のことを見てくれて悠里のことだけを分かってくれて悠里のことを最優先してくれる存在だった。
「私には空想の友人(私自身)がいるってことに気がついた」
「……っ!!」
白い妖精はそれまで黙って聞いていたのに、突然息を呑んだ。
イマジナリーフレンド、空想の友人と呼ばれる存在だ。酷くなるとそれは解離性同一性障害、つまり多重人格と呼ばれる。本人の意志で生み出したケースとなにかのキッカケでイマジナリーフレンドと出会うケースがあるが、小さい子ならほとんど当たり前にいる目に見えない友だちのことである。基本的には本人が作り出した本人だけの友人であり、本人に都合のよいように振る舞ったり遊ぶことが多いが中には本人を破滅に導く存在もいる。
「私には私自身がいる、私の話をいつも聞いてくれるその友人に私は名前をつけた」
「待って、待って」
白い妖精は慌てふためくように後ずさりをした。
「私自身(エインセル)、私は自分自身のことをmyself(エインセル)と呼んだ。それが白い妖精(グィネヴィア)様、あなたの名前」
悠里は白い妖精に近づいてハッキリと告げる。
「あなたは私、私自身……そうだよね私(エインセル)」
「…………ええ、そう、そうよ。私はあなた自身」
「今までありがとうもうひとりの私(エインセル)。私ね、鏡に映る私(エインセル)のおかげでひとりじゃなかった。私(エインセル)が私の話を聞いてくれたから辛くなかった。あなた(エインセル)が女子校に行けばって言ってくれたから幼なじみと縁切れた。親とは相変わらず上手くいかないこともあるけど私の友だち(エインセル)がきっと大丈夫って言ってくれたから今も頑張れるんだ。なんでずっと、私、誰よりも大切な私の友だち(エインセル)のことを忘れていたんだろう……どうして……私の友だちを思い出せなかったんだろう……私、ある日消えてしまったあなたにずっと言いたいことがあったの。あのね……あのね……本当にありがとう、私の最高の友だち(エインセル)。あなたのおかげで私、生きてこられた」
悠里はいつの間にか泣いていた。
いや、泣いて当然ではないか、彼女は人生を支えてくれた最高の友人と今別れたのだから。
悠里の最高の友だち(エインセル)はいつの間にかひとりに減っており、その姿も悠里の知る姿(エインセル)になっていた。彼女は憑きものでも落ちたように笑っていて、幸せそうで、でも泣いていて……悠里もその姿を見て涙が止まらなかった。
エインセルはずっと悠里の側にいてくれたのに、本当にいつだったのだろう悠里の側からエインセルが消えてしまったのは。ふたりでなんでも話したのに、遊んだのに、エインセルはどこかに行ってしまった。
=世界の位相 別れ=**
「アーサーからは僕が言っておこう」
「まあさすがに突然消えたらびっくりされるし、ケイ様にもランスロット様にもパーシヴァルにも恩があるからそうしてくれるとありがたいかな」
悠里がそう言うと、マーリンが何かをじっと考え込むように目を伏せた後、意を決したように悠里に言った。
「エインセル(Ainsel)というのは君たちの世界の妖精の話なのか」
「うん、何かの本で読んだ時にこれだって思ってそれからエインセルって呼んでたんだよ」
エインセルというのはノーザンバランドというイングランド北部に伝説が残る妖精だ。エインセルとはその地方の言葉で「自分自身」という意味で、妖精はそのややこしい名前を名乗った。子どもは知恵を使って「自分もエインセルというんだよ」と名乗った。そして子どもは妖精にイタズラをしたのだが、妖精の母親が妖精にどうしたのかと尋ねると妖精は素直に「私自身(エインセル)がやった!」といい無実の妖精が親に怒られたという話だ。今ではその言葉はその妖精の固有名詞として使用されている。言葉遊びだ。
「きっと私の幻想は頭のおかしい娘の話として理解されないよなあって誰にも話さないようにしているうちに……忘れてしまったんだね。たとえ、幻想だったとしても、誰にも理解されないものだったとしても私にとってはとても大切なものであったはずなのにね……」
「君のイマジナリーフレンドほど強い思念ならば、何らかの形で妖精のように姿を持っていたのかもしれない。幻想といってもどちらかというと妖精だったんじゃないか」
「そうかな、うーん、それもなんかどうなんだろう」
悠里は笑った。
「もう大丈夫。私はやっぱりひとりじゃなかったと思うから。エインセルが私に言ってくれた大切な言葉を、今度は私が実践するなり誰かに伝えていくなりするよ。きっとエインセルもそれを望んでる」
「そうか……なら君も大丈夫だろう。きっと目が覚めたらこの出来事だって全部が夢だったとしか思わないさ」
「それぐらいでいいよ、また頑張らなくちゃね」
悠里はマーリンにそう言うと頭を下げて、お礼を言った。
「ありがとうマーリン。アーサーたちにも改めてよろしくね。……さようなら」
「さようなら」
マーリンはなにかの呪文をつぶやくと、こちらの世界に来たときのように悠里の周りに光が走る。その強い光に包まれきってしまう前に、悠里はつぶやいた。
「さようなら、私の友だち(エインセル)」
知らない間に大人になって、知らない間に友だちを失って、たくさんたくさん失ったはずなのに、失ったことにすら気がつけない。たまにアルバムを開いて思い出して、どうしてこんな大切なことを忘れていたんだろうと悲しくなるばかりだ。
それでも悠里はまた大切なことを思い出した。今度は両手に大事に抱えて、どうかどうかこぼさないようにとそっと大事に歩いていくだろう。
=エピローグ=
「久しぶり、アーサー」
「おお、おおお、おおお! マーリンじゃないか! 久しぶりだな本当に今までどこいってたんだよ!」
アーサーがマーリンを軽く小突くと、まあちょっとね、と言いながらマーリンはフードを取った。
ふたりが出会ったばかりの頃に、マーリンの光を受けて煌めく白髪をアーサーが幸運の石である蛋白石(オパール)に例えたところ、咳き込まれたことも今となっては懐かしい。
「あの子なら無事だよ、アーサー」
「ああそうか……ユーリはあるべき場所に帰ったのか……」
久しぶりに顔を見せたと思ったらそれを言いに来たらしい。自分を助けに来たと言っていた少女は初対面は驚かされたが、真面目で自分に何ができるのかということを考えていた。そんな彼女もある日突然消えてしまい騒然としたが、先見ができる湖の姫が彼女は帰っただけだと告げ別れを言えなかったことを後悔していた。
そして、婚約者グィネヴィアの父親であるレオデグランス王からグィネヴィアの様子がおかしいと報告を受け……そうして、彼女がずっと妖精の国にいたということ、アーサーが知っているグィネヴィアは取り替え子だったことを知った。
「俺もユーリのことには驚いたが、それ以上にグィネヴィアのことで大変だった。レオデグランス王は……」
「彼にとってはどちらも大切な娘だろうからね……まあどうとでもなる、だってそうだろ」
「そうっていうと?」
マーリンは何が言いたいのだろう、彼は先見で視えたことを話したがらないためたまに抽象的で何を言っているのかわからないことがある。しかし今回はそういった先見の関係のたぐいではなかったようで、どうして分からないのかという不思議そうな顔を返された。
「君が言ったんだ、グィネヴィアの髪も幸福の石(オパール)の色だと」
「ああ……ああそうだった!」
言った言った、グィネヴィアと会った時に美しくて胸を打たれたとマーリンに言ったら、分からないと言われたからお前と同じ幸福の色をしていたと。
「そうだな、マーリンの言うとおりだ。きっとうまくさ、うまくいくに決まっている」
マーリンがどんな未来を視たのか、視えていないのか、ユーリが退けてくれた未来がなんだったのか、グィネヴィアのことだって視えているのかどうか、マーリンが本心でそう言っているのかすらどうかアーサーには分からない。
ただいつだってマーリンは自分の心配をして隣に立ってくれる友なのだ。友の言う事ならうまくいく、アーサーは剣を石から引く抜いたときのように、根拠はなくても上手くいくと自然と思えた。
蛋白石は光を受けて虹色に輝くのだから。
【Finish.】
※この物語はフィクションであり、原典のアーサー王伝説や実在する団体作品とは何の関係もございません。置き場がないので一時的に置いておきます。
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