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【デッカイお山と小さな物差し】

季刊誌「里山の袋」2008年12月より

 この秋、近年には珍しくお山の実りは豊かで、山栗、栃の実、山葡萄、マタタビ、ムカゴ、野イチゴなどの木の実が豊作だった。お陰で熊が山から下りて来て騒ぎを起こす事も無かった。

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 山も里も実り豊かというのは本当にイイもんである。日を受けて赤や黄色に輝く紅葉の山々を見ながら、つくづく「食べられる」という事は、幸せの基本なんだなぁと「豊かさ」をかみしめた。
 ひと昔前、街に住んでいる頃は「山」は関わりの無い「ただの風景」でしかなかった。それが田舎に暮らし山を知ると、古人達が「お山」と敬い、神さえ住むと信じられてきたほど山は豊饒でヒトに恵みをもたらし続けてきたことを実感する。絶えず鮮烈な水を生み、その流れを集めた清流は多種多様な魚と、田に実りをもたらし、春には木の芽や山菜、秋には木の実やキノコ、冬には猟師を介して猪や鹿などの獲物を、育った材木は家や家具、薪、燃料、肥料にまで無駄なく使える。これほど豊かな生産システムが永久的に稼働し続けるここ郡上に暮らすようになって、街で作られた僕の小さな「豊かさの物差し」はポキンと音をたてて折れた。

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 たまたま里帰りしている時に阪神大震災を経験した事で、自分が「何も生み出していない、ただ消費するだけの存在」だと気づいた。パン切れ1つ生み出せず、人の造った大きなシステムの一部でしかなかった。生み出せるのは大量のゴミだけ。それに比べ、ここで山や川、自然を相手に何かを生み出し、生きて来た師匠達の言葉は、メディアから垂れ流される情報や、効率良く詰め込まれた知識などの薄っぺらなモノでは無く、ましてや他人の作ったモノを右から左へ動かして来ただけの人生からは想像が出来ないくらい、重く奥深い。折れた小さな僕の物差しは、これまた跡形も無く砕け散った。

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 とは言え、縄文時代や江戸時代のような生活をする訳にはいかないので(見習うべき点は多々あるが)エネルギー、とりわけ電力を生み出す試みを始めた我が家では、太陽光発電システムが大きな顔をして屋根に陣取って数ヶ月。さすがに大きな顔をするだけあって電気代がいらなくなった。それどころか余った電気を売った電気代が中電から入金されるようになって「彼」の我が家での地位は上がり、全く役に立たない猫の上にランクされた。

 尚、妻が僕をどの辺にランクしているかはナイショである。


(another home gujo 由留木 正之)

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