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イシナガキクエ【起源】 第4話

 キクエは、市場の近くの人通りが少ない通りで、夜を明かそうとしていた。しかし、夜だというのに、前日までとは違い何やら騒がしかった。
「物の怪を探せ!」
 複数人の男たちの怒号が聞こえてきた。その声を聞き、キクエはうずくまって怯えた。男たちの怒号は、かつて自分を虐げた両親たちの声を想起させた。

 「口をきけないなんて、キクエは物の怪に祟られてんのかもしれねえ」
 「やめてよあんた、気味悪いこと言わないで」
 「気持ちわりい、お前なんぞ俺のガキじゃねえ、どっか行け」
 キクエの父親はそう言ってキクエを何度も木の棒で叩きつけた。キクエの母親は、半狂乱になった父親を黙って見ているだけであった。
 キクエが9つになった日、朝起きたら、両親は首を切って死んでいた。2人の手には仏教の御香が握られていた。おそらく、キクエから逃れるために自害したのだろう。その日から、キクエと関わる者は実次だけとなった。そして、キクエは「物の怪」という言葉に恐れおののくようになった。

 物の怪を探す男たちの足音が段々と近づいてきた。松明の炎がちらちらと揺らめくのが見えた。キクエは男の1人と目があった。その刹那、
 「物の怪がいたぞ!」
 男は叫んだ。「物の怪」という言葉がキクエ自身を指すことに気づいたとき、キクエの体は凍りついたように動かなくなった。
 「俺の手柄だ、どけ!」
 「邪魔だ、この野郎!」
 数人の男たちが、互いに押しのけ合いながらキクエへと駆け寄ってくる。しかし、キクエは呆然と立ち尽くすのみだった。物の怪と呼ばれ育った、かつてのキクエのおぞましい記憶が、キクエの足にしがみついて話さなかった。キクエは実次の顔を思い浮かべながら、目を閉じた。その時であった。何者かが、キクエの肩を掴み自らのもとへと引き寄せた。

 「大丈夫か、俺が逃がしてやる。」
 その正体は、政次であった。政次は、キクエを抱えながら、夜の村を走り続けた。キクエは状況を理解できず、されるがままであった。
 「俺は木を切って飯を食ってるんだ。これくらい余裕よ。実次を心配してくれているお前をこのまま死なすわけにはいかねえ。抜け道を知ってるからそっちへ行くぞ!」
 政次は後ろを振り返ることもなく、囲いを飛び越えて抜け道へと歩みを進めた。途中、何件かの家から苦しそうな咳や、男女の断末魔が聞こえてきた。キクエは、この不可解な現象が自分のせいにされていることを何となく察した。そのうち、人気が一切ない木材置き場へとたどり着いた。
 「いったん休むぞ」
 政次はキクエを地面に降ろした。その瞬間、キクエの太ももに激痛が走った。石でできた刃物が深々と刺さっていた。大量の血がキクエの足から溢れ出す。声を出せないキクエは、激痛に顔を歪めることしかできなかった。続けて、後頭部にも鈍痛が走った。キクエは地面に倒れ伏した。薄れゆく意識の中、キクエが見たものは、政次のごみを見るような冷たい視線だった。
 「手柄は誰にも渡さねえよ。」

 気がついた時、キクエは縄で手足を縛られ、顔を木の板で固定された状態であった。眼の前には村の長が鎮座しており、たくさんの男たちがキクエを取り囲んでいた。意識が戻ったと同時に、太ももの激痛が蘇り、キクエは苦悶の表情を浮かべた。
 「ご苦労であった。政次よ。」
 しびれを切らしたように、長が言った。
 「光栄でございます。」
 政次が深々と頭を下げる。口には出さないものの、他の百姓たちは悔しそうな雰囲気を醸し出していた。キクエは、ようやく政次が自分を裏切ったことを理解した。悔しさと悲しさで涙がこぼれた。
 「今、何人死んだ?」
 「32人でございます。」
 「ほう、だいぶ死んでしまったが、ここでこやつを始末すれば、これ以上村人が死ぬことはなかろうな、甲よ。」
 「さようでございます。」
 「では、早速祓除を始めるとしようか。」
 キクエは、このまま自分が処刑されることを察した。しかし、キクエは自分が死ぬことなどは気にもならなかった。未だに所在がわからぬ愛する人の存在だけが、ただただ気がかりであった。
 甲が何やら語りだした。
 「祓除は、村から少し離れた森にある、沼のほとりで執り行います。ただ、長、祓除には少々決まり事がございます。祓除では、ほんの刹那の間ではございますが、我々と物の怪の世がつながる時が生まれるのです。刹那の間とはいえ、物の怪の呪いは凄まじい。よって、関係がない数多の人間が祓除に立ち会うと、たちまち呪われてしまうでしょう。だが、物の怪の世を開き、物の怪を送り返すには、仲介する者が2人必要なのです。その2人は、喜助と政次にいたしましょう。それ以外の者は、長も含めてここでお待ち頂きましょう。」
 「待ってくれ!何で俺が呪われた儀式に立ち会わなきゃ何ねぇんだ?」
 喜助が間髪入れずに叫んだ。政次も突然の指名に動揺していた。
 「それは、万が一、この物の怪の力が強すぎて祓除に失敗したとき、仲介人と陰陽師であるわしは呪われてしまうからだ。呪いにかかるかもしれないなら、どうせ死ぬやつらの方がよかろう。喜助と政次、お主らはこの物の怪と交わったじゃろ。だから、このまま祓除をしなければ、いずれ死ぬからのう。」
 「ふざけるな!あの時、この畜生に関わらなけりゃよかった!」 
 喜助は頭を抱え、目を血走らせながら叫んだ。
 「まあ、安心せい。見た所、この物の怪は幸いまだそこまで強い力は秘めておらん。祓除は必ずうまくいく。お主らが呪われることはない。」
 甲の話を聞いて、政次は喜助の肩を抱えながら言った。
 「祓除をやりましょう。そして、この化け物をこの世から消すのです。」
 キクエは、この政次が心優しい実次の実兄であるということがにわかに信じられなかった。政次の目は、覚悟が決まった者のそれであった。

 強い雨が降り出した。太ももを負傷しているキクエは、縄に縛られたまま足を引きづりながら歩いた。もはや逃げることは不可能だと悟り、大人しく甲たちについていった。その時もキクエは実次のことを終始考え続けていた。ふと、前を歩く政次の顔が目に入った。冷たい目以外は、実次とそっくりであったため、思わず政次に視線を注ぎすぎてしまった。
 「ジロジロ見てんじゃねえ。てめえ、実次のこと愛していたんだろ。知ってるんだぜ?俺。」
 キクエの視線に気づいた政次が毒づいた。そして、続けざまに言った。
 「実次のやつ、昔からたまに家に変えるのが遅かったんだよ。それでガキのころ、後をつけてみたんだよ。そうしたら、驚いたぜ。あいつ、みんながけむたがっていたお前の畑に行っていたんだからな。あいつもあいつでまんざらでもねえ感じでな。昔から気味が悪かったよ。実次にてめえから呪いが移ってるんじゃねえかと思って。」
 「実次、あいつ馬鹿なのか?こんな化け物の家に行ってたなんて。もっと良い女だったらいっぱいいるじゃねえかよ、なあ。」
 先程まで怯えていた喜助は、だいぶ余裕が出てきたように見えた。
 「そういえばお前、実次のこと探してたよな。」
 政次はそう言ってキクエの方を見た。最愛の人の行方について話を聞けるかもしれないと思い、キクエの目に光が戻った。
 
 「知りたいか?実次がどこに行ったのか。」
 暗雲が立ち込める中、雷が鳴り響いた。

第4話 完 次回最終回
 

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