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イシナガキクエ【起源】 最終話

 「知りたいか?実次がどこに行ったか。お前は今から死ぬ。冥土の土産に教えてやろう。」
 政次は怪しくほくそ笑んだ。雨が一層強く降りしきった。しばらく沈黙が続いた後に、政次は言った。
 「実次はもういないよ。」
 雷が激しく鳴った。
 「だって、この俺が殺したんだからな。」
 キクエの体に雷に打たれたような衝撃が走った。最愛の人がすでにこの世にいないという真実を容易く受け入れることはできなかった。
 「政次、お前なんてことを!?」
 「黙っとれ、喜助。理由を聞こうではないか。」
 政次の告白に戸惑う喜助を、先頭で歩いていた甲がなだめた。
 「理由?そんなのただ1つだよ。邪魔だったから殺した。それだけだ。俺の家は林業を生業にしているが、親父の後を継ぐことができるのは、俺か実次のどっちかだけだ。普通なら兄である俺が後を継ぐのが当然だが、親父は昔から何かと実次を贔屓して育ててきた。だから、親父が実次を後継ぎにする前に、殺してやったんだ。」

43日前 
 「兄さん、だから言ったじゃないか。今日は天気が悪くなって危ないだろうから、こんなに山奥まで行かないほうがいって。」
 「仕方ないだろ、実次。百姓の家とはいえ、俺達の稼ぎはそれほど多くねぇ。天気が悪くて、他のやつらが動けないときこそが稼ぎ時だろ。」
 実次と政次の2人は、土砂降りの中、山の奥へと歩いていた。しばらく歩いた所で政次は歩みを止めた。
 「このへんで木を切ろう。」
 「分かったよ兄さん、早く終わらせて、雷がならないうちに帰ろ…。」
 しゃがんで荷物をほどいていた実次の後頭部に、突如として重い衝撃が走った。実次の頭には、大木を切り倒すための斧が深々と刺さっていた。
 「兄さん、どうして。」
 実次はぐらりと地面に倒れ、それから動かなくなった。
 「馬鹿め、お前は油断しすぎなんだよ。これでこの家の後継ぎは俺だ。」
 実次は休むことなく、倒れ伏した実次の体を持ち上げ、近くの崖へと運んだ。そして、実次の亡骸を崖の下へと投げ捨てた。崖下へ広がる鬱蒼とした森へ、実次の亡骸は吸い込まれていった。
 「こんな土砂降りじゃ、誰もこの山には近づかない。俺は市場にでも行っていたことにすればいい。実次、お前は誰にも気づかれることなく、ずっと眠り続けるんだよ。」

 政次から語られた無慈悲な真実に、キクエはただただ涙を流すだけだった。実次が何かしただろうか。実次にとって、家の後継ぎになるか否かはどうでもいい問題であったはずだ。実次はただ穏やかに自由に暮らしたかっただけだ。そのささやかな望みは、周囲のものの野心に奪われてしまった。実次のいない人生など意味はない。このまま殺されてしまった方が良いと、キクエには思えた。向こうの世界で愛しい人とまた会えるのだから。

 4人は祓除が行われる沼地のほとりへと到着した。大雨で、沼は激しく渦巻いている。キクエは縛られたまま、座らされた。キクエの顔にもはや生気などなかった。そこへ政次が近づいてきて、とあるものを胸元から取り出し、キクエへと見せつけた。それは、実次が常に首から下げていた小さな笛であった。キクエの目は大きく見開かれた。
 「あの時、お前の仕草の意味が分かったのは、俺がちょうど、この笛を持っていたからだよ。実次を殺ったとき、一応少しは胸が痛くなったよ。なにせ実の弟だったからな。だから、やつの形見を頂戴してやった。おかげで助かったぜ。お前が実次のことを探し回ってることに気づけたからな。いくら、崖から死体を捨てたとはいえ、万が一お前に実次が死んだことを感づかれたら困るからな。こんなことがなくても、最初からお前を殺すつもりだったんだ。」
 至って冷静沈着に実次は語り続ける。キクエは、政次に握られた実次の形見へと必死に手を伸ばす。
 「良かったな。今から実次のやつに会いに行けるぞ。実次の形見、記念にお前にやるよ。」
 差し出された形見へと、キクエは手を伸ばす。愛する人の形見とともに、向こうの世界へ行けるなら、何も怖くないと感じた。もう少しで笛に手が届くというとき、実次は笛を思い切り地面に叩きつけた。木でできた小さな笛は、真っ二つに割れてしまった。
 「物の怪にそんなことが許されるわけねえだろ。」
 実次は勝ち誇ったような冷たい笑みを浮かべた。

 ブチッ
 キクエの中で何かが切れる音がした。これまで、話すことができないことも、そのせいで両親や周囲の人々に虐げられたことも、ある日突然両親が死んだことも、最愛の人の命が理不尽に奪われたことも、物の怪としてこれから処刑されることも、非力なキクエには抗っても変えることができない現実として、受け入れるしかなかった。しかし、実次の形見が壊され、死してな最愛の人の命がけなされた様を見て、キクエは目が覚めた。

 この世に物の怪はいるのかもしれない。ただ、キクエにとっては、今眼前で薄気味の悪い笑みを浮かべるこの男の方が、物の怪などよりも何倍も憎たらしく忌々しく思えた。政次だけではない。その隣で愉快そうな笑みを浮かべる喜助も、人間である自分を物の怪扱いしている甲も、自分を処刑に追いやった百姓や自分を虐げた村人も、そして実の子供である自分を見捨てた両親さえも、みんなみんな憎らしく思えてきた。本物の物の怪は、自分のためなら他人がどうなろうと構わないという、醜い思想をうちに秘める人間たち自身ではないのか。実次の存在によって、かたく蓋をされていた底しれない憎悪の感情が一斉に湧き出てきた。

ユルサナイ

 「いかん!政次め、余計なことを。さっきまで弱かった物の怪の怨念がどんどん大きくなっておる。予定変更じゃ。急がなくては。」
 甲が呪文を唱え始める。念仏に合わせて、キクエは自分の体が宙に浮いていくような錯覚に襲われた。しかし、強い恨みの年がキクエの意識を現世に結びつかせていた。

ユルサナイ

 「政次、物の怪を沼に沈めるのじゃ!」 
 甲は指示を出すや否や、政次はキクエに強い体当たりを食らわせた。不意をつかれたキクエは、抵抗できず沼へと吸い込まれた。キクエの体は、渦巻いている沼にあっという間に蝕まれた。そして、キクエは底なしの沼へどんどんと沈んでいった。

クルシイクルシイクルシイクルシイ
ユルサナイユルサナイユルサナイ

 「やはり、沼に沈めるだけじゃ怨念は収まらなかったようじゃ!やつの怨念はまだ物の怪の世に帰っておらん。ただ、この最悪の事態は予想できておった!代理人なら今ここにおる!これでどうじゃ!」
 甲が再び念仏を唱える。その瞬間、横で一部始終を見ていた喜助の体が燃え始めた。土砂降りの中ではあったが、火の勢いは大きくなり、喜助の体は
たちまち巨大な炎に包まれた。 
 「何で?どうしてなんだよぉ!死にたくない!じにだぐな、うわああああああ!!」
 炎に包まれた喜助は、2,3歩ほど歩いたところで崩れ落ちた。それに構う間もなく、甲はひたすらに念仏を唱え続けた。

 キクエはどんどんと沈んでいった。そして、ついにその息の根は止まった。魂となったキクエは、沈みゆく自分の体を見つめていた。

ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ
コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス

 しかし、底しれない恨みとは裏腹に尋常ではない苦痛にも襲われていた。おそらく絶え間なく唱えられている念仏によって、祓除が進んでいると思われた。自分や実次を虐げ続けてきた人間たち、いやそれだけではない、虐げられる苦痛を知らず、のうのうと幸せに生きているすべての人間たちへの復讐を果たせぬまま、存在を消されてしまうわけにはいかないのだ。

ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ
コロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロスコロス

タトエナンネンカカッタトシテモ、カナラズニンゲンドモヲミナ、ノロイコロシテヤル、シニハシナイ、イツカカナラズヨミガエル

 意識が途絶える寸前に、キクエが思い浮かべていたものは、愛しい人のことなどではなかった。悲しいほどに深い怨念であった。


 「どうして急に俺をここに呼んだのか、甲よ。」
 政次は、先に来て沼のほとりに立っていた甲に声をかけた。あの壮絶な祓除の日から1年の月日が経っていた。政次は長との約束通り、褒美として広大な土地を授かり、村の重役を担うことになった。そして、家の後継ぎになることが正式に決まった。今は、村の美しい女との縁談が進んでいる最中であった。
 「お前に、あの祓除の日のことで伝えておらぬことがあったからじゃ。」
 「俺に伝えていなかったことだと?俺は、現世と物の怪の世をつなぐために仲介人として呼ばれたのではないのか?」
 「まあ、順を追って話すわい。まずはあの女のことじゃ。喜助の進言で長が命令を出したことで、あの女は物の怪として捕らえられることになった。じゃが、百姓の中にはあやつが本当に物の怪じゃったかどうか半信半疑のものもおったのではないか?政次、お前はどう思っておった?」
 「俺は昔から物の怪なんぞ信じちゃいなかった。だが、この騒ぎに乗じれば、実次を追う面倒なやつを消すことができるし、手柄を立てて長に気に入られることができると思ったから、命令に従っただけだ。」
 「ほほう、そうか。じゃが、お前は実にお手柄じゃった。実はあの女は、お前が長のもとへ連れてきよったときに、すでに物の怪に取り憑かれて追った。あの物の怪は、怨念こそ弱いかったが、見た所もう20年ほど前からこの世におったと見えた。おそらくじゃが、あの女自身は自覚しておらんかったが、無意識のうちに他の人間を憎む気持ちが、物の怪を引き寄せたのじゃろう。」
 「やはり、あの女!なら、なぜ実次は呪われなかったんだ?」
 「あの女は実次に惚れておった。だからこそ、実次といるときは物の怪が動くことは出来なかったのじゃ。じゃが、実次を探すために、他の人間と絡んだことで、無意識のうちに呪いが広がり、喜助をいれて35人が死んだ。」
 「喜助は俺が余計な真似をしなければ、助かったかもしれんがな。はは、やつには悪いことをした。そういえば、甲よ。なぜあの時、喜助を燃やさなきゃいけなかったのだ?それだけが気になってな。」 
 「あの女の怨念は、お前のせいで急激に大きくなった。大きくなった怨念を沈め、物の怪を倒すには、一度別な体に憑依させて、その体ごと焼き払わなければならんのじゃ。だから、喜助には犠牲になってもらった。」
 「あの場には喜助だけじゃなくて俺もいた。なぜ喜助を選んだんだ?」
 「政次、お前は死んではいけない人間だからじゃよ。わしはそれを伝えるためにお前を呼んだ。」
 「死んではいけないって、どういうことだ!」
 「あのとき、お前と喜助は仲介人として連れて行った。じゃがな、そもそも仲介人なんて要らなかった。わし1人で祓除はできるのじゃ。喜助は最悪の事態に備えて、代理人の役割として連れて行った。そして、政次よ。お前は祓除を一部始終見届けなけれないけない人間じゃった。だから連れて行った。」
 「俺が祓除を見届けなきゃいけなかっただと?意味が分からんぞ。」
 「お前は知らぬのかもしれない。じゃが、陰陽師である我が家系が先祖代々受け継いできた記録の中に、お前の先祖とわしの先祖がともに戦って物の怪を封じている記録があったのじゃ。お前の一族は、物の怪の怨念を制御する特別な力が備わっていたようじゃ。じゃから、お前は誤った使い方で無意識にその力を使い、あの女の怨念を高めてしまったのじゃ。逆に実次があの女の怨念を沈めることができていたのも、その力のおかげじゃ。」
 「何だと?物の怪など全く信じておらんかったのに、皮肉な話だ。」
 「じゃから、貴重な仕事仲間を失わないようにするために、わしはお前が実次を殺したことも長には黙っておった。そして、あの時祓除がうまくいっても、口封じのために喜助はあの場で殺しておくつもりじゃった。」
 「その件については、本当に感謝しているぞ。」
 
 「本題はここからじゃ。政次よ、お前の一族の力が再び必要になるかもしれぬ。あの女に取り付いていた物の怪は確かに追い払った。じゃが、問題が起こったのじゃ。今度はあの女自身が物の怪そのものになってしまったのじゃ。あの女には死の概念はもうなくなった。死がない苦役を自ら選んだのじゃ。」
 「おい、その話だと会話をした俺や長たちは、呪いでとっくに死んでいるはずだ。俺たちが生きているということは、もう大丈夫ではないのか?」
 「物の怪となったあの女の怨念は、あの祓除で一時的に封じ込めておる。じゃが、1年に1度供養をしなければ、必ずや蘇り、すべての人間たちを狙って呪いをかけてくるじゃろう。だから、お前の力が必要なのじゃ。」
 「あの女の怨念を引き出したのは俺だ。なら、責任をとってお前に力を貸そうじゃないか。」
 「ああ、そうしろ。では、早速今から供養を始める。お前は心を静めて、目を閉じておれ。お前の心の状態が呼応して、物の怪の怨念も弱ますはずじゃ。その間にわしが念仏を唱えて、物の怪を鎮める。」
 「分かった。それではいくぞ。」
 沼の上には、穏やかな青空がどこまでも広がっていた。この供養は、これから800年もの間、代々続いていくことになる。


1939年 
 「おぎゃーおぎゃー。」
 「うう、本当によく頑張ったな。」
 「出産、おめでとうございます。お父様、この子のお名前はもう考えてあるのですか?」
 「はい!この子は実次といいます。米原実次です。」
 「おぎゃーおぎゃー」

ヨネハラサネツグ
サネツグ
ヤットミツケタ

 XX県XX村の山奥にある沼のほとりに、突然人影が現れた。
 中肉中背で髪は肩まで伸びているその女は、この世のものとは思えない禍々しさを放っていた。

ミンナノロイコロス
シガナイクエキ
イシナガキクエ





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