小冊子 嗤うマネキン

リアルが少し落ち着いて衝動的に2日くらいで組み立てたやつ。
真に好きなものを共有できる関係性の人も、機会もないから
忘れきる前にMMDの形式を借りて編纂して遺してる感覚。

あの人の概念を自給自足するためだけに生きているまである。

選曲

 最近彼女の歌唱版をよく聴くのと、
いま雨森さんを想い出した時の感覚が近いから。
 もう複数人の配信をリアタイで追うのに費やす
いのちの時間の優先順位を低くせざるを得ない。

どんどんコンテンツ、ファンの性質も変わっていくのに
感性を合わせることが難しくなっていく。
それでもにじさんじの箱が好きだった事、
与えられた感情を形にしてを残しておきたいもどかしさ。
そんな動機。

散りばめた好きなもの・あそびとか

 言葉で好きというには曖昧で、
時間軸もジャンルもばらばら過ぎるから
MMDを借りる形でしか共有できない。かなしいね。

女生徒

 太宰治著『女生徒』の出だし 
編集中に女生徒と雨森さんの関連性があったのを想い出して、
概要を読み込んでから組み込んでみた。

避けられない時間の経過、成長、自己嫌悪、日常への虚無感、
あらゆるものへのもどかしさのような感覚。
そんなイメージが今、雨森さんを想い出した時の感覚に近かった。
動画タイトルに彼女に女生徒があったのを想い出したのも編集中。
無意識の記憶のすごさを感じる。

ツイートの「或る女生徒の一日」のレファレンス元
1つは想像通り太宰治の「女生徒」より
もう一つは芥川龍之介の「或阿呆の一生」より
「女生徒」のあらすじ主人公の一日を取り扱ってるのとの混合
この組み合わせだけで面白い。

太宰の作品は性に合わなくてあまり読んでないけど、
芥川の作品はかなり好き。「地獄変」「奉教人の死」
それらを読んだ時の胸が焼かれる感覚が恋しい。

ことばあそび

 おもいつきでうったmemeOOOmori
OOOの中身は ↓
1 , she me me (she)
2 , nto memento mori
3 , Ame Amemori 

 彼岸花とことば
東京喰種より。落ち込んだ時、相談できる人なんているわけがないから
音楽を聴いたり、山の中で寝たり、
東京喰種、ファイアパンチを読んだり。
創作物を解釈することでしか真の意味での人との対話を知らない。
創作物がほとんどの価値観形成の母で父。

以下戯言

 フィクションはその仮面性を通して
作者自身のことを語りかけてくれるから好きだ。
同時にそうしないと価値観を語り合うことすらできない
窮屈さ、どうしようもなさは呪いのようでしかないとも思う。

 そんな哀しさ、虚しさ、喪失の痛みを原動力に。確かな死の存在を盾に。
行動原理を推測したり、習慣を真似して追体験を試みることで
真によりよく生きようとできることを
触れてきたフィクションたちが教えてくれた。




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