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私はアイドル部の中では夜桜たまが好きだ。

最後までアイドルだったから。


夜桜たまとしての振る舞いはアイドルに徹していた。

これは今でも変わらないように見える。


重要なのは、

「私は」

の部分だ。


ただアイドルを愛でる側だった私にとって、アイドルであることを貫く姿勢は好感が持てる。

人間であるから、見えない場所でアイドルの仮面を外すこともあるだろう。

それでも、アイドルである間は仮面を決して外さない姿勢はとても好感が持てる。


見たいモノを見せてくれる存在が私は好きだ。

その信頼感に私は敬意を表する。


物語は勝手に書き換わらない。

そこに一つの価値を私は見出す。




嘘つきは嫌いだ。

頬が緩むような物語だと喧伝しているから見ていたのに、ラストシーンで突然サスペンスドラマになってヒロインの一人が他の主要キャラに一斉に背中から刺し殺される様を見せつけられれば、

私にとっては、そこで物語は無かったことになった。


その物語は最初から何も書かれていなかったに違いない。

白紙の台本。

何も映らない画面。


無いものは蘇らない。

最初から存在しないのに、復元も復旧もできるはずがない。

そもそも、最初から存在しないのだから。




どういう経緯で突然サスペンスドラマになったとか、そんなのどうでもいい。


私にとって重要なのは、

「頬が緩むような物語」

を楽しむことだ。


頬が緩むような物語でなければ、

私にとっては、詐欺も同然だ。


言い訳なんてどうでもいい。

嘘吐きは嫌いだ。


「こういう物語を作ります!!」

と言うなら、

その通りの物語を紡いで見せてくれないか。


言い訳なんてどうでもいい。

寝言は寝て言え。



だから、夜桜たまは好きだ。

最後までアイドルだったから。

もしかすると、今でも。


もう美しい物語は永遠に失われてしまった。

それがたまらなく悲しい。


物語を愛でることができなくて、

私は悲しい。


綺麗な幻だった。

もう二度と目の前に現れることはない。



だから言い訳なんて何の価値もない。

寝言は寝て言え。



君たちはもう要らない。


キャラクターじゃないのに、

キャラクターを名乗っているだけの、

ただの人だ。


そんなの要らない。

私が娯楽にしたかった物語じゃないから、要らない。



ただの人が困っている、

ただの人が理不尽に苛まれている、

大変だろう。

本当に困っているなら手助けもしたいと思う。

ボランティアとして。


でも君たちはキャラクターじゃない。

だから要らない。


鏡を良く見ろ。

今の君たちは誰だ?


あの日失った仮面。

まだ着けているつもりなのか?

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