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【連載】生湯葉シホ「音を立ててゆで卵を割れなかった」第2回:夏の致死量(あるいは、ついぞ食べなかった西瓜のこと)

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ライターとして数々のインタビュー記事の執筆や、エッセイを執筆している生湯葉シホさんによる連載をスタートします。
生湯葉さんはご自身の性格を、気弱で常にまわりをおろおろと窺っている(けれど執念深い)とみています。今回スタートする連載は、「食べそこねたもの」の記憶をめぐるエッセイです。
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第2回:夏の致死量(あるいは、ついぞ食べなかった西瓜のこと)

 夏が好きだ。私のうす暗い性格を知っている友人たちからは秋や冬のほうが好きそうだとよく言われるし、そう見えるだろうなと自分でも思うのだけれど、本音をいえば夏がいちばんだと思っている。毎年、梅雨が終わりかける気配を感じると、ビーチボーイズからサザン、ヒップホップ、アイドルソングまで、夏のうたをこれでもかと詰め込んだプレイリストを一日じゅう部屋で流している。夏がくるのが待ち遠しくてしかたないのだ。
 夏の、肌を灼くような日差しが好きだ。だらしなく続くパーティーのような昼の長さも、アイスクリームが溶ける信じがたいスピードも、換気のために部屋の窓をあけたとき、室外機から立ち昇ってくるあのうんざりする熱気さえも好きだ。非常識だと思われるから、ふだん口には出さないけれど。
 
 10代のころから夏が好きだったけれど、そのころはまだ、季節がどのくらいの速さで過ぎるのかを身体が覚えていなかったから、体感以上のスピードで夏が終わってしまうことにいつも苛立ちを抱えていた。夏休みに入ると同時に通っていた塾では夏期講習がはじまり、学校で毎日顔を合わせていた友だちにも連絡をしない限り会えないことに気づいて、だれをどう誘おうかおろおろと悩んでいるうちに、地元でいちばん大きな夏祭りはあっけなく終わっていた。
 毎年そんなふうだったから、ある年からは日記帳に「夏にしたいこと」のリストを書き連ねるようになった。したいことが達成されるたびにひとつずつ線を引いて消していくのだけれど、例年、リストのうちの半分以上が残ったままで8月31日を迎えていた。andymoriが「すごい速さ」をリリースしたとき、夏休み明けの高校に向かう道すがらで曲を聴いていたら<どうしようもないこのからだ何処へ行くのか>というフレーズが予告なく耳に飛び込んできて、このまま電車を品川で乗り換えて近場の海に行ってしまおうかと、iPodを握りしめながら真剣に迷ったのも覚えている。
 
 大人になって、フリーランスのライターとして働きはじめたばかりのある年、あ、きょうで梅雨が終わると急にわかった日があった。湿り気のある雨が降った7月なかばの土曜日で、天気予報も見ていないのに突如そう思ったのだった。いてもたってもいられなくなって明け方にベッドを抜け出し、外を散歩してみると、定刻を知らせる鳩時計のように蝉が1匹、か細く鳴き出して、数十分のうちにそれが大合唱になった。蝉が鳴きはじめる1ミーン目をはじめて聴いたと私は思い、これはつまりたったいま夏がはじまったのだ、自分はその瞬間に居合わせたのだと勝手に解釈して、どきどきしながらまだ涼しい朝の街を歩いた。
 当時は、実家を出て、東京の郊外で自堕落な暮らしをしていたころだった。仕事は少なく、時間だけは無限に思えるほどあった。さらには、会社員をしていた仲よしの友だちがちょうど休職していて、大学生みたいな時間帯まで遊ぶこともできた。その年はいま思えば、夏を楽しむためのすべての条件が奇跡のように重なっていた。
 7月の終わりのある日、人魚の鱗みたいにスパンコールがきらきらしたバッグと派手な柄のワンピースをZARAで買って、そのまま試着室で着替えて湘南新宿線に乗り、いつかの復讐のような気分で逗子まで行った。海までの道の途中でサーティーワンのアイスクリームを買い、溶けたアイスをだらだらと手首まで垂らしながら浜辺を何周かし、缶ビールを買って飲み歩いた。
 また別のある日には、友だちの家で激辛の鍋を食べ、汗で全身をびしゃびしゃにしながら花火をした。海中水族館で360度を魚に囲まれ、水中に差し込む光の帯のゆらめきを見た。道端で寝ていて財布をすられたという男の子にチューハイを奢って朝まで飲んだ。冗談みたいに真っ青なネイルを手足に塗った。ビアガーデンにも二度行ったし野外ライブにも行った。そろそろ秋がきてしまうんじゃないか、と名残惜しくなってカレンダーを確認しても、どういうわけかまだ8月のなかばなのだった。めちゃくちゃ夏だな、と全身で感じる瞬間を何度過ぎてもその年の夏は終わらなかった。毎晩、ベッドで目を閉じると短すぎる夜がゲームの演出みたいに一瞬で終わり、カーテンをすり抜けて部屋に入ってくる強い日差しで目を覚ますと、また違う夏の1日がはじまるのだった。
 
 なにかに化かされているんじゃないかとうすうす怖くなりはじめたころ、実家に帰る機会があった。お土産でも買っていこうとデパ地下をうろついたけれど目ぼしいものが見つからなくて、まあ手ぶらでもいいか、とバス停に並んだとき、近くの八百屋から、大きくて立派な西瓜を抱えて出てくる親子連れの姿が見えた。あ、西瓜、と反射的に列を抜け、店先に並んでいた同じ西瓜をひとつ買った。店主は気前のいい人で、ちょっと形が悪いけど、と言いながらよく熟れた桃をサービスでつけてくれた。
 ビニール紐で編まれたネットを片手に提げて歩きだすと、西瓜の重さがずしりと身体に伝わってきた。見れば見るほど大きくて艶々とした立派な西瓜だった。バスに乗り込むと、近くにいた小学生が西瓜を見るなり、でけえ! と興奮した声をあげた。周りの乗客はほええましそうに笑っていたけれど、私はなんだか、フィクションみたいな西瓜を抱えて帰省しようとしている自分が妙にはずかしくなってきて、ずっと下を向いたままバスに揺られていた。
 実家に着き、うたた寝から目を覚ますと、テレビでは笑点が流れていて、母が夕食の準備をしていた。とうもろこし茹でたから食べな、という父の言葉にうなずき、手を洗いに洗面所まで行くと、お風呂場からぽたぽたと水の音がしていた。なかを覗くと、浴槽に水が張られ、西瓜がそこに浮かんでいるのが見えた。
 ちょっとこれは実家の光景すぎるな、と私はおもわず笑ってしまって、それからすこし怖くなった。ひと夏のあいだにこんなに一気に「夏」をしてしまったら、バチが当たるんじゃないか、という考えが頭をよぎったのだった。これ以上夏をやりすぎてしまったら、もう二度と夏を迎えられなくなるのではないかとさえ思った。痛々しい妄想だったけれど、ほんとうにそう感じたのだ。ああ、いま夏が自分の身体の容量を完全に超えたのだ、と私はその瞬間に直感した。
 とうもろこしをふたつみっつ食べたあとで、仕事けっこう残っちゃってるから、とかなんとか理由をつけて、私はその日の夜中に自分の家に帰った。実家は帰ろうと思えばいつでも帰れる距離だから、9月になったらまたこようと思った。帰り際、せっかくあんなに立派な西瓜買ってきてくれたんだから食べてけばいいのに、あんた西瓜大好きでしょうと母は言ったけれど、ほんとうに大丈夫、もうお腹いっぱいだから、と私は断固としてそれを拒否した。もうお腹いっぱいというのはじっさい嘘ではなかった。
 
 夏をやりすぎたせいで西瓜を食べられなかった年がある、というのは自分でもばかみたいな思い出だなと思う。完全ランダムの「夏」カードをコンプリートしかけてしまったような年だった。ほんの数年前のはずなのになんだか夢めいていて、あの年の夏がどのようにして終わったかを私は覚えていない。嘘みたいな数ヶ月だったなと思うけれど、スマホのカメラロールをスクロールしているとその期間に撮られた写真だけが極彩色で、あの夏はたしかにあったのだ、と私はなんとかまだ信じることができる。



生湯葉シホ(なまゆば・しほ)

ライター、エッセイスト。1992 年生まれ。Webを中心にインタビュー記事、エッセイを執筆する。共著に『でも、ふりかえれば甘ったるく』がある。


【本連載は隔週更新(予定)】
★次回は8月2日頃の更新を予定しています。


●題字デザイン:佐藤亜沙美(サトウサンカイ)
●イラスト:藤原琴美



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