見出し画像

象牙の入れ歯

左下の奥歯が抜けて、歯茎に大きな穴が開いている。その穴に入れ歯を差し込もうとしている。
歯茎の穴には血がたまっている。入れ歯は象牙であり、角笛のような形をした長さ十五センチほどのものである。
私がいるのは大きな講堂の中である。何かの式典の準備か、人々が忙しく行き来しており、本当は私もその一員として働かなければならないはずなのだが、私は喧噪の中で突っ立ったまま、人目もはばからず大口を開けて、象牙の入れ歯を歯茎の穴に嵌め込もうとしている。
何人もの人が黒檀の大きな卓や彫刻を施した椅子を神輿のように担いで通り過ぎる。講堂の四隅に卓と椅子を積み重ねて、高い漆喰の天井に届きそうな櫓を築き上げている。頂上近くに置かれた椅子がゆらりと傾き、真下に集まっていた人々が「わわわわわ」と変な声を挙げて四方に散った。椅子は頂上から転がり落ちて石の床に激突し、身のすくむような音を立てた。椅子はばらばらに壊れて散乱し、危うくよけた連中が「あちゃー」などと言っている。
誰が考えたのか知らないが、こんな危険なものを作り上げて、地震でも起こったらどうするのか。
櫓作りをやらされている人々は、自分の命が危険にさらされたことを何とも思わないのか、仕事を中断するでもなく、怒って放棄するでもなく、相変わらず重たい卓を担いで騒がしく動き回っている。
私は、こんなバカ騒ぎにはかかわりたくないと思いながら、角笛状の入れ歯の湾曲部を内向きにしたり外向きにしたりして歯茎の穴に出し入れしてみる。穴にたまった血が溢れ、口の中に血の味が広がる。一度嵌め込んだ入れ歯を慎重に引き抜くと、象牙の肌に血糊が網状に付く。湾曲部を手前に向けて挿入するとフィットするようである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?