見出し画像

『おしゃべりな たまごやき』を読んで|笑って許せる王様が素敵すぎる


大らかでゆるい。でもそこがいい

 新学期が始まって少したちました。新学期といえばお弁当ですよね。小学校では給食が多いですが、中学や高校ではお弁当の学校もたくさんありますよね。僕も子どもが小さい頃は、お弁当は妻と分担してよく作っていたのですが、なにはともあれたまごやきですよね。唐揚げやしゅうまいなどのおかずは冷凍食品でごまかしても、卵焼きがうまくつくれるとそれなりにお弁当っぽくなります。自分の気持ちとしても冷凍食品だけだとちょっと罪悪感がありますが、卵焼きだけは手作りするとちょっと愛情を込めた感じがして許せる感じがします。

 そんな卵の絵本が『おしゃべりなたまごやき』です。『おしゃべりなたまごやき』が面白いのは独特のゆるさだと思います。最後は笑ってゆるしてという感じで終わります。大らかでゆるい。でもそこがいいんです。どういうところがゆるい感じの物語なんでしょうか?

 簡単なあらすじは、おおさまがたまごやきが食べたいといって、鶏小屋の鍵を開けてしまい、お城中にとりが逃げたしてしまって、、、というもの。
 このお話しの原作者の寺村さんは、子どもは王様に感情移入して読むのだと言っています。たしかに、このおおさまは子どもみたいです。仕事はほとんど「あうん」ばかりで遊びの時間の方が大好き。鶏小屋の扉を勝手に開けてしまいます。やらなくてもいいことをやってしまって、お城の中は大騒動になります。つまり、王様は子ども達の写鏡なんですね。
 子どもってほんとうに、仕事ばかり増やしますよね。ご飯の時に気をつけてねって言ってるのに、牛乳のコップをテーブルから落としたり、これから出かけるって時におしっこもらして着替えさせたり。
 だから、これを読んでいる子ども達もやっちゃだめって言われているのにやりたくなったりする気持ちや、お母さん達もきっと手がかかる王様に、子育てのあるあるを感じるのだと思います。

 このお話でも王様はけっこうな大きなやらかしをやっていますが、コックさんと笑い合って終わります。失敗を笑ってゆるしてもらっているんですね。ここが大らかでゆるい。それがいいんです。子どもにとっても、ジュースこぼしたとか、おしっこもらした、とかの失敗なら、お父さんもお母さんも、まあ最後は笑って許してくれるんだろうと思える関係がいいですよね。
 続編の『ぞうのたまごのたまごやき』もタイトルどおり、そんなものはないんですが、最後はみんなで笑って終わります。子育てって大変なだけ大変で、すぐに何か成果や結果や達成があるわけでもないですよね。日々おちもなく続いていくもの。だから、まいっかで笑って終われることも大事。ちょっとした失敗だったり、いだずらは、厳格にごめんなさいって言わすこともない時もあります。はははっと笑ってで許すことも大事ですよね。そんなゆるさが実は生活には大事なんだと思います。

王様を笑らえるくらいの国がちょうどいい

 そしてこれはもう1つの見方もできます。王様を笑らえるくらいがちょうどいい、ということです。子どもみたいとはいえ、王様です。つまり権力者です。だからまわりの人が笑ったりできなくなったら、もうその国は息苦しいのです。コックさんに鍵を開けたことを黙っていさせるために、牢屋に入れるわけでもないし、ドジっ子ですよねこの王様。読者も、王様がドンくさいな~と半笑いくらいで読んでいられる。ツッコミどころがあるくらいが、いい雰囲気の国なんです。権力が強くなりすぎてまわりが気を使い出して忖度して、誰も笑えなくなったらその国は息苦しくて居心地が悪すぎます。情けないところを見せるのは、権力者も同じ人間と思えて共感できる。これは、国という大きな単位だけではなくて、会社だったり部活だったりでも同じではないでしょうか。

長新太さんの絵の突き詰めないゆるさが素晴らしい

 最後に長新太さんの絵ですね。このゆるさがすばらしいですよね。 
 この本が出版されたのは1972年。あしたのジョーが人気で、1970年によど号ハイジャック事件があり、三島由紀夫の自決。大阪万博。1972年に浅間山荘事件があり、政治の季節だったんですね。井上陽水の傘がないが流行。絵だったら、横尾忠則が演劇ポスターみたいな時代。とても、激しい時代に、このゆるい絵。この明るい色彩。時代とは全然違うことをやっていたということがよくわかります。何かを突き詰めるということでなく、ゆるさこそが大事だという信念をもっていたのではないでしょうか?
 そのゆるさと物語が絶妙にマッチして独特の大らかさが表現されているのです。今から見ると昔の絵本だからイラストだったり絵本の絵そのものがまだ発展途上の時代というか、素朴だったような印象を受けていますが「あしたのジョー」の劇画だったり横尾忠則のポスターが流行っている時代ですから、このゆるさがいかに突出しているかといことです。そして明らかに意識的にやっている。
 そしてちょっと話は飛躍するかもしれないですが、出版当時が学生運動が盛り上がり浅間山荘事件などがあった激しい時代だったことを考えると、何か白黒ははっきりつけたり、対立したりすることに対するアンチテーゼのような気もしてくるのです。笑ってゆるせるくらいの大らかさが、子育てにもそして社会にも大事なのかもしれません。

 現代でもSNSが発達して以降、言わなくてもいいことを言ってしまったり、知らなくてもいいことを知ってしまったり、ギスギスしている雰囲気もあります。もちろん、ゆるしちゃいけないひどいこともいっぱいあって怒るときは怒るのも大事です。でも、人生におちなんかないし、いろいろあったけど最後は笑って終わりよければすべてよしみたいな、個人レベルではそういうい部分が必要なときもありますよね。
 お弁当の卵焼きも意外と難しくて、焼きすぎて硬くなったり、くるっとまるまらなかったり、いつも綺麗にはできないものです。そういう時は、子どもには笑って許してほしいですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?