緊急事態宣言21日目-全ての欲望を一緒くたにすることの愚について(岡村氏発言より)(2020/4/29)

先日も取り上げたこのニュース。
岡村隆史さん、生活苦の「可愛い子が性風俗に」ラジオでの発言に批判殺到

一応記事の引用も再掲する。
"「今面白くなかったとしても、コロナが収束したら絶対おもしろいことあるんですよ」と前置きし、「コロナ明けたらなかなかの可愛い人が、短期間ですけれども、美人さんがお嬢(性的サービスを提供する店員)やります。これなぜかと言えば、短時間でお金を稼がないと苦しいですから」と発言。

「3ヶ月の間、集中的に可愛い子がそういうところでパッと働きます。そしてパッとやめます。それなりの生活に戻ったら」とし、「その3ヶ月のために頑張って今は歯食いしばって頑張りましょう」「ぼくはそれを信じて今頑張っています」と結んだ。"


この発言につき、このような「擁護」がSNSに現れている。

さて、皆様はこれをどう思われるだろうか。
論点を少し整理したい。

1.旅館、小売、飲食業といったサービス業に従事している方々の苦境と、「新たに」風俗業に参入する方々の苦境を同一視することはできるか

まず、前者は「従来」自ら選びとってきた生業において今現在苦境に陥っておられる。
翻って後者は、コロナ禍がなければ関わりもなく望みもしなかった職業に身を転じている。
(必ずしもそうではないだろう、という反論も予想できるが、少なくとも岡村氏がこういったケースを想定していることは上の発言でも明らかである)
故に、この2つは同一視することはできない。
それは苦境のレヴェルが前者は低く後者は高いことを必ずしも意味しないが、望まない、しかも身体関係に深く関わる(これについては後述する)職に就くことは「概して」苦境の度合いが深いことが想定される。

2.これらの「サービス」を「お得に」提供される我々の「欲望」を全て同じ「欲望」と一括りにすることは是か否か

旅館、小売、飲食業に対して向けられる私達の欲望は以下のようなものだろう。
お得に泊まりたい。
お得な価格で美味しいもの食べたい。
しかしそれは、大多数の人にとって旅館小売、その他の人々の苦境を願ってまで叶えたかった「欲望」なのだろうか。

今現在私からは見えているのは、「泊まって応援」「食べて応援」と称して消費行動に走っている人々の姿である。
(含む私)
勿論そこには綺麗事もある。
美味しいものが安く手に入って応援できるのであれば喜んで、という一石二鳥的マインドは勿論、ある。
だが、繰り返しになるが少なくとも私の観測範囲では「あのお店のもの安く手にいれたいな。経営困らないかな」というまでの欲望は目にしなかったし、私も正直そこまでの欲望は感じなかった。
確かにここまでむくつけき、汚い欲望は存在したとしても顕在化しないのだろう。

ただ、こんな内容の漫画がSNSでバズっていたことを思い出す。

あ、困ってるから買ってください、というSNSが流れてきた。
一度食べてみたかったんだよね、これ。
と思ってサイトに飛んでみるも、どれもこれも売り切れだった。
…ま、いっか。売れて助かってるんだから。
よかったよかった。
とひとりごちる。

というものだった。
自分自身の話で申し訳ないのだが(それ以外引き合いに出せるものがないので)私も全く同じマインドだった。
この漫画も数万リツイートされていたので、まあそう考える人もある一定数おられることが拝察される。

翻って岡村氏発言を再掲してみる。

「コロナ明けたらなかなかの可愛い人が、短期間ですけれども、美人さんがお嬢(性的サービスを提供する店員)やります。これなぜかと言えば、短時間でお金を稼がないと苦しいですから」
「3ヶ月の間、集中的に可愛い子がそういうところでパッと働きます。そしてパッとやめます。それなりの生活に戻ったら」
「その3ヶ月のために頑張って今は歯食いしばって頑張りましょう」

そもそも、彼の欲望が他人の苦境を前提としていることがお分かりいただけるだろう。
この「欲望」を上記の美味しいもの食べたい、人助けになるかも、でも売り切れてたらまあよかったよね、というようなふわっとした「欲望」と同一視してよいものだろうか。
私は「否」だと思う。

あと、先程思考実験的に書いた「あのお店のもの安く手にいれたいな。経営困らないかな」という欲望こそが岡村氏の欲望と同じものなのだが、もし前者の表明をすれば恐らく擁護のしようもないほど炎上すると思われるのに(故に観測範囲ではあるがここまでの極論は目にしていない)、何故岡村氏風俗発言に関しては、いや、欲望なんてみんな一緒でしょ、という雑な(敢えて雑という)、そして雑が故ににわかには反論し難い一般論で擁護者が現れるのだろうか。
(これは修辞疑問である。私の結論は明らかかと思う)

3.風俗業というサービス業の特殊性

風俗業は、普通であれば親密な人間と結ぶべき肉体(擬似)関係を売り物にするという商売である。
これを自ら選び取る方も勿論いらっしゃるし誇りを持っている方もいらっしゃるだろうが、そうではない方々には「概して」抵抗があるであろうことは否めないところではないかと思う。
故に、それを選ばざるを得なくなる、という事態はやはり一定の人にとって苦しい選択となり得るのではないかと推測する。
(まだるっこしい言い方をご寛恕頂きたい。ここは純粋にエビデンスなき私の推測でしかない。しかしそうではない、と反論される方にも同じくエビデンスはなかろう)

そのような特殊性を有した職業へ他人が望まぬ形で「おちてくる」ことを期待する発言は、やはりシンプルにゲスと呼んでもよいのではないだろうか。

以上が私の意見である。

余談だが、この岡村氏発言に関しては女性蔑視だ!という切り口からの批判を多々見たが、私はその意見に与しない。
それは風俗業という職業に対する蔑視だと思うからだ。
前述の通り、風俗は本来は親密な人と結ぶべき肉体(擬似)関係を売り物にする商売であり、正直「私は」否定的だが、対価を以てサービスを提供するという点に置いて紛れもなくビジネスであり、繰り返しになるがそこに望んで勤め誇りを持って働いておられる方もおられるであろうことは想像に難くないからだ。
それを勝手に悲惨な苦海と決めつけることは私にはできない。
先程「おちてくる」とは書いたが、これは決して風俗業自体を下のものと見ているわけではなく(「特殊性」については指摘したが)あくまで望まぬ職に就かざるを得なくなったことを表現している、ということを再度書いておきたい。

先日のnoteにも書いたが、この問題を私は男女間の軋轢にしたくないのだ。
例えば、今まで記述した「風俗」を「男娼」に置き換えて頂いても意味が通じるように書いてきたつもりだ。
つまり、己の欲望のために人の不幸を願うやつはゲスだ、というごくシンプルな話でした。おしまい。

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