「神の恵みの地」は遍在する〜「ゴッズ・オウン・カントリー」を観て

「神の恵みの地」で僕等は出逢い、愛し合った〜

そんなポップが印象的だった「ゴッズ・オウン・カントリー」。
正直、ツイッターのフォロワーさんにお伺いするまで全く存在すら知らなかったのだが、全幅の信頼を置いている彼女達に良い映画らしいという評を聞き、またポップから美しいゲイ映画なのだろうな、という先入観も得たので観に行ってみた。
(「ので」、というとまたリベラルで美しい皆様から怒られるのかもしれないが、怒る方もその興味の持ち方がゲスであるという偏見をお持ちなのでは?という防禦線を張っておく。閑話休題)
感想というか想起した事などを以下縷々と綴る。
あと、内容はネタバレまみれになるので、ご覧になる予定の方は読まれない方がよいかと思う。

ストーリーをさっくりと頭悪く?要約すると、本作はハッピーエンドのボーイミーツボーイ話である。
ボーイミーツボーイものといえば、通常ゲイラブストーリー特有の障害(親類縁者友人の無理解、など)が描かれるものだ。
しかし本作にはほぼそれは表出しない。
主人公のジョニーが住む土地はヨークシャーの田舎ではあるが、彼は性欲のはけ口を求めるのに余り不自由していないようだ(競りの合間に可愛い男の子とアイコンタクトして、次の瞬間には自分のトラックで致したりしている)
また、彼の父も1週間の山ごもりの後急に親しくなったジョニーとゲオルゲを見て何かしら感づいているようであったし(その後再発作を起こして倒れるので責めるつもりだったのかどうかは分からないが)、祖母も2人の脱ぎ散らかした衣服の中から使用済みコンドームを見つけるもふぅ、と溜息をついてトイレにジャーと流すくらいの反応だった(後にほんの少し否定的にほのめかすような言葉を口にするも、最後には去ったゲオルゲを追いかけるジョニーを後押ししている)

では障害無しのハッピーラブストーリーか、といえば勿論そんなものではない。
本作の「ままならなさ」はずばり、田舎、そして衰退する第一次産業である。

ジョニーはこのヨークシャー、そして牧畜の世界しか知らぬ若い男子だ。
同級生の女の子は大学に行っている。
夏休みに帰ってきた彼女と話すも、どうしても僻みが言葉の端々に滲み出てしまいあんた面白くなくなったわね、と痛烈な一言を浴びる。
身体を患った父親と高齢の祖母しかいない家で1人、牛や羊を飼う生活。
どうにかやり方を変えねばならないと思いつつ、その知恵も資金もない。
牧歌的な風景とは裏腹に、彼一人にひしひしと迫ってくる出口無しの閉塞感が淡々と描かれていて、観ている此方も息が詰まるものを感じる。
そして、舞台は現代にも拘わらず、この田舎ではネットも使えない。
最初に二人が出会ったとき、スマホを出したゲオルゲに対し、ジョニーはここは電波も繋がらねえよ、と冷たく言い放っていた。
(正直このご時世でこの設定はファンタジーでは?と思ったが、まあそれは言うだけ野暮というものだろう)
家には本も殆ど見当たらない。
娯楽ゼロの或る意味ストイックで修道院的な「神の恵みし地」。
そしてジョニーには教養もない。
「教養」の定義には色々あろうが、今気に入っているのは森羅万象を楽しめるスキル、というものだ(視点でも窓でも比喩はご自由に)
それすらほぼ皆無の彼は、この世の数多ある快楽や欲求を満たす術を知ることもない。
手軽な行きずりの公衆トイレ的セックスや酒に溺れるのもむべなるかなである。

そこに現れたのがトリックスター的なゲオルゲだ。
彼はルーマニアからやってきた「よそもの」だが、英語はとても折り目正しい。それこそ、ジョニーはじめそんじょそこらのヨークシャー者よりも。
なんでも、彼の母親は英語教師だったそうだ。
そして彼のルーマニアの実家も牧畜業を営んでいたらしく、色々なことをよく知っている。
つまり、ジョニーよりも数段「エリート」なのである。
そんな彼が何故流れ流れてこんなイギリスの田舎の臨時雇いに応募したのかは結構謎なのだが、どうやら彼の実家の牧場がジョニーの牧場と同じような危機(旧弊からの脱却の失敗、人手不足といったところだろうか)に陥り、結果破綻した「らしい」ことが窺える。

ジョニーは最初、彼に対しイギリスの田舎人的ティピカルな反応(勿論ネガティブな意味のやつ)を見せる。
「パキ(パキスタン人)か?へえ、ルーマニアの出か。じゃジプシーだな」
神よ赦し給え。
貴方の恵みし地ではポリコレなどという麗しの人類の叡智の光はまだ到達していないのです。

このジプシー呼び、ゲオルゲとの関係が深くなっていくに従い自然的に解消される、といえば美しい話なのかもしれないが、その実何度も呼ばれたゲオルゲがブチ切れてジョニーに馬乗りして首締めてやっとこさ止めさせるというお話になっており、強い者には隷従する、という生物の掟その一みたいなシンプルな話で非常によかったと思う。

とはいえ、彼と恋仲になったり、また彼の知識を目の当たりにしていくうちに当然ジョニーの意識も変化していく。
ここらへんはイイ話、と普通は取るのだろうけど、私は人が悪いので、大半の人間にとってポリコレとかダイバーシティなどといった大きくて美しい理念はまだ早すぎて、結局対個人の関係でのみ偏見や融和は解消し「得る」ものである、という150回目くらいの己の霊感を新たに裏打ちしたことであった。

少し話がずれた。
そうやっていい感じになっていった二人なのだが、パブに行ったことがきっかけでゲオルゲはジョニーの元を飛び出していってしまう。
理由は二つ。
1.パブの親爺にレイシャルハラスメントを受ける
2.トイレの個室で酔っぱらったジョセフが行きずりの相手(大学に行った同級生の友達。多分都会の子)と致してるのを目撃した
要は属性への攻撃、そして信頼への裏切りを同時にくらった訳である。
しかしジョニーはその事を知らない(1.はトイレにいたから知らないし、2.は目撃されたことを知らない)
理由も分からず去った彼を想い、ジョニーは自暴自棄になる。
けれどどうにかして行き先を突き止め、父や祖母の了解を得、そして…
その先はハッピーエンドなのでもう語る事は無い。

この小文のタイトルに「遍在」という文字を使った。
「神の恵みの地」はどこにでもある。
日本にだって勿論、ある。
風景こそ美しいが、排他的で閉塞感溢れる田園。
よそものには冷たい視線を浴びせ若者には昔ながらの生き方を強いるが、その実若者は外の世界に憧れどんどん流出し、結果よそものや残った数少ない若者に頼らざるを得ない年老いた人々。

本作において心に残ったのはゲイのラブストーリーではなく、寧ろヨークシャーのちいさな牧場の話で以て都鄙の格差、第一次産業の衰退というどの国でも「遍在」する問題を浮き彫りにしていることであった。
その解決策が人と人との繋がり、トリックスターの登場であるというのはなかなかに心許ない話であるが、コルホーズやらソフホーズやらで強制的に活性化できない資本主義社会に於ては、結局はやはりそういったものにしか辿り着かないのだろうなと思う。
しかし世界津々浦々、数多の資本主義社会の「神の恵みの地」には、同じく閉塞しつつ数多の危機に瀕している農家や牧場、そして家族があるのだろうが、一体どれくらいが「幸運な出逢い」的な一攫千金ミラクルで救われるのだろうか、と思うと暗澹たる気持ちになることであった。

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