緊急事態宣言が解除されて(2020/5/25)

久しぶりにこのnoteを書く。
書かなかったのは、書くことがなくなったからだ。

最初こそ「新しい生活様式」が物珍しく色々と書き留めてみたが、ひとたび定着してしまうとそれらは驚くほど単調なリズムを刻み始めた。
いつもと変わらない家。
いつもと変わらないテレワーク。
お取り寄せやら、いつもよりよい食材が回ってきたスーパーの品ぞろえのおかげでちょっと彩を増した食卓。
けれど勿論それは毎日のことではなく、基本はやはりいつもと変わらない「おうちのごはん」。

屋上に上がってみるのも飽きた。
部屋の片づけにも飽きた。

(しかし今現在、この単調な生活のおかげで我が居住スペースはこれ以上手出しができないほど史上最高に美しく整っている。
但し、これはあくまで「最大瞬間風速」的な姿なので、ここからどんどん堕落が始まっていくことは火を見るより明らかである)

そして、テレワークの手段(メール、チャット)でいっかな動かないし返事もよこさないうちのボンクラ上司二人組にも、ほんっとに、つくづく、締めあげたいほど、飽きた。
飽きたったら飽きた。

遂には、ここ15年程ご無沙汰だったアクセサリー作りなどにも手を出す体たらくであった。
おかげで昔買いためてそのままほったらかしていたスワロフスキーやビーズやらをほいほいと消費できたことはよかったと思う。
他には、録り溜めたブルーレイの背表紙ラベルプリント作りといった超絶地味な作業なども行った。
こんなこと学生時代の夏休みくらいまとまった休暇でも降ってこないとやれっこないよな、と常日頃思って手を付けてこなかった雑事がどんどんと片付いていく。
まこと、緊急事態宣言下の私たちは、あの学生の日から二度と味わえないと思っていただらだら続く夏休みに突如として放り込まれたようなものであった。

とまれ。
そんな中、ようやく緊急事態宣言解除という知らせがやってきた。
私には大阪モデルというものがどれだけの医学的エビデンスがあるのかはさっぱりわからないし、医学以外のファクターを総合的に吟味した結果このモデルが生まれたのかもどうかもわからないが(まあ絶対そこまで考えてないよなやつら、という確信はあるがそれはさておき)兎に角大阪、そして少し遅れて日本全体は解除の方向に舵を切った。

遅かれ早かれ、いつの日か解除せねばならないのは当然であるし、その妥当性も時が経たねばお釈迦様でもご存じないやつなのでしがない素人にすぎない私などの評価は差し控えるが、是非はさておき素直にほっとした、というのが偽らざる本音であった。
それは勿論そろそろおんもに出たいよう、という幼児じみた私のセルフィッシュな願望ゆえでもあるのだが、それよりなによりこれ以上続けていれば飲食業、レジャー業、エンタメ業といった日頃お世話になっているサービス業は文字通り死んでしまうのではないか、という懸念ゆえでもあった。
もっともそれも純粋に利他的な心配ではなく、結局はそれらのサービスを「私が」享受できなくなると困る、というやはりセルフィッシュな欲望からの懸念ではあるのだが。

というわけで、私、そして私を取り巻く環境の「時間」が少しずつ動き始めた。
まず、今週から5日に1度だった出勤が1日おきになった。
今日はこのシフトの1日目ということで、久しぶりに同セクションの同僚さんと再開した。
話題はといえばロックダウンの日々のこと…ではなく、ボンクラ二人への愚痴。
LINEやチャットでは時々やりとりはしてはいたものの、やはりこうやって面と向かって口に出してグチグチいい合うのは良いものである。
久々に会話できたこととかではなく愚痴に特化して良いものだと思うのは、なんというか私だ。

週末には海に出かけた。
とはいっても電車ですぐの明石の海だ。
実はさる3月の3連休、明石で海を眺めて卵焼き(いわゆる明石焼き)を食べようと計画していたのだが、3連休直前の前日、某府の某知事が同府民の兵庫県への往来の自粛要請(という名の強制力こそ持たぬが事実上の「指導」)を行ったのだ。
このところ揶揄の対象にしかならぬ「リベラル」を未だ標榜する私は勿論某府の某知事が大嫌いだが(某の意味がそろそろないがそれはさておき)、所詮反民主主義分子では断じてないしがない小市民なので、その時は泣く泣く卵焼きを諦めたのであった。

そしてそれから早や2ヶ月。
某府は独自に解除を宣言した。
さあ、いよいよ卵焼きの恨みを晴らす時が来た。

明石の4つばかり手前の朝霧駅で下車した。
空は快晴、明石大橋もよく見える。
目の前のおっちゃんが一本釣りでタコを釣り上げた。
釣り人たちはフィジカル・ディスタンスのお手本のような適度なバランスを保ち、静かに釣り糸を垂れている。
初夏の陽の光を反射する水面が眩しい。
心做しか、普段の瀬戸内海より澄んでいる気がする。
長閑な風景。
悪いことなんか何一つ起こっていないような、いつもと変わらない風景。

海沿いをただただひたすら歩き、その後明石市街へと向かう。
商店街の手前に古びた赤い暖簾に「卵焼き」の文字が見える。
待たせたなベイビー。

卵焼きは20個で900円。
多いようだがぺろっといける。
常連さんが出汁とは別に塩で食べてらしたので真似してみると、これがまた卵焼きの香ばしさをダイレクトに感じられて想定外に美味い。
出汁をつけて食べる卵焼きはどちらかというと冷酒向きだが、塩のそれはビールにもってこいだ。
「味変」と称して途中でソースを塗りたくっていた過去の私よ、滅せよ。

そうそう、話が前後したが、ここでこれまた2ヶ月ぶりの「生」ビールを摂取したのであった。
暑い中散歩した後、ジョッキでごきゅごきゅ飲む生ビールはくっはー!うめー!(おでこぺちーん)、と人を容易におっさん化するほどにエクセレントな神の飲み物であった。

とまあとりとめもなくなったが、久しぶりに「お出かけ」をしてみたという話であった。
人間はやはりホモ・モーベンス であり、モビリティーが唯一の存在意義である、とまではいわずともきわめて重要な意義を持つことは否めないであろう。
(卵焼き食べただけで偉そうに)

あと、化粧を復活させた。
とはいってもマスクにファンデーションがつくのは嫌なので、目の周りだけである。
目のポイントメイクをするためにはベースメイクも必要なので、そこだけはファンデーションを施す。
マスクを取った私はきっとタヌキのような面白い色合いになっていると思う。

そういえばツイッターでこのままマスクが全人類必須アイテムになればブルカのような存在になり、「マスクを特定の人間の前で外す」というのが超親密で超セクシーな意味合いを持つのではないか、という考察?を目にして非常に面白かった。
お見合いの席や合コンなんかで「ちょっとだけよ」と口をチラ見せするような風習が爆誕するのかな、などと想像してみるものの、所詮どちらにも縁がなかった非リアでありこれからも縁がないおばさんなので、若い人たちの「新しい生活様式」がどうなるのか興味を持って見守りたい。
(とんだ出歯亀)

そして、美容室の予約をした。
今現在ショートボブなのだが、これが中途半端に伸びると昔のヘルメット系ボブになってしまいダサいわ暑苦しいわで見た目だけでテンションが下がる。
これを奇貨にいっちょ伸ばしてみるか、とピン留めやら何やら工夫もしてみたが、もうダメ。全然ダメ。ダサい。
ダサいったらダサい。

という訳で明後日、えいやと行きつけの都会の(ここがポイント)美容室を予約した。
都会に這い寄るのは1ヶ月半ぶりなので緊張する。
ヘルメットヘアで(行きは)行かねばならないので気後れもする。
しかしまあ、綺麗に、とまではいかずとも当社比小マシなスタイルになりにいくのは愉しい。
バチバチにピン留めしていた時にはこういった密やかな愉しみですら奪われていたのだから。

とりとめもなく色々書いてきたが、ま、こんな風に少しずつ止まっていた時間が動き出しているのを感じている。
てな感じでポジティブなムードでこの駄文を終えたいところだが、でもやっぱり第二波は来る。必ず来る。
その時は粛々と元の自粛生活に戻るまでだ。
そして、その繰り返しが恐らく暫く続く。
目下の課題は、その浮き沈みの中でいかに自分の機嫌をとってテンションを上げていくかだと思っている。
勿論、ここに書いている駄文もその手段の一つである。

という訳で、暫くさぼってはいたけれど、またこの場所で小さな発見だの愚痴だの小人閑居して考えたよしなし事だのをぼちぼち綴っていきたいと思う。
その節はお相手くださると嬉しい限りである。


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