緊急事態宣言18日目-戦場のガールズ・ライフ(2020/4/26)

まずタイトルを見て誰がガールやねん、と思われた皆さん。
エイジハラスメントの刑に処しますので後で体育館の裏に来てください。

あと、筆者の小沢健二リスペクトの意も汲み取って頂けると幸いである。
いや寧ろ、あの楽曲のタイトルを使いたいが為にそれに即した題材を書いている、という意図も併せ汲み取って頂けると幸いである。
幸い幸いうるさいですが以下本題。

この一連のnoteを書き始めた当初、つまり4月最初の記事を見ると「マスクをつけているのでアイメイクしかしなくなった」という記述がある。
そこからマスクが汚れるのが嫌なのでそもそもベースメイクをしなくなった、そして粘膜感染が怖いのでコンタクトをやめメガネ生活になったという段階を踏み今に至る。
(ここいらの経緯もnoteに書いた)

更には、髪の毛をひっつめるようになった。
私のコンプレックスは多々あれど、第一集団のトップに近いものの一つに顔のエラがある。
故に髪型はいつもエラを覆うスタイルを旨としていたのだが、ショートボブにしてからというもの、口に髪の毛が入ることが多くなった。
常時であれば余り気にもならないのだが、ここのところのウイルス騒ぎで過敏になっているので顔にかかる部分を思いっきりぱっちんピンで留めている。

そして、帽子。
ハットやらキャップやらに髪の毛をえいやと押し込む。
これでメガネとマスクなので、自分で鏡を見ても別人28号だと思う。

服は、なるべくシンプルで丸洗いできるものを選ぶ。
家に帰るや否や全て脱ぎ捨て洗濯機に放り込むので、自然安価で丈夫なユニクロをチョイスすることが増えた。

新型コロナが奪っていった日常の事象は数多いが、その中の一つにお洒落があると思う。
私くらい神経質なのは少数派かもしれないが、マスク必須ということで口紅やらのおめかしを諦めている女性各位は多いのではないか。

あと、もう少し深刻な話をすると、このコロナ禍による接客業の女性、もっというと風俗業の女性の困窮ぶりはニュースによく上るところである。
私の意見はシンプルで、彼女たちにも他の被害を受けた人と同じく生活保護や補償がなされるべき、というものだ。
というか、それ以外何があるというのか。
今現在、厚労省がこれらの人も休業補償の対象に含めると表明しているのはめでたいこと、というか当たり前の話である。
しかし今の政府がどれだけ「当たり前の」施策をしているかということに思いを馳せると、ひとまずはめでたいという評価を与えねばいけないであろう。

風俗業といえば、今日こんなニュースがあった。

岡村隆史さん、生活苦の「可愛い子が性風俗に」ラジオでの発言に批判殺到

以下、記事より引用する。

"「今面白くなかったとしても、コロナが収束したら絶対おもしろいことあるんですよ」と前置きし、「コロナ明けたらなかなかの可愛い人が、短期間ですけれども、美人さんがお嬢(性的サービスを提供する店員)やります。これなぜかと言えば、短時間でお金を稼がないと苦しいですから」と発言。

「3ヶ月の間、集中的に可愛い子がそういうところでパッと働きます。そしてパッとやめます。それなりの生活に戻ったら」とし、「その3ヶ月のために頑張って今は歯食いしばって頑張りましょう」「ぼくはそれを信じて今頑張っています」と結んだ。"

世の中には二種類の人間がいる。
このコロナ禍で生活にダメージを受ける人間と、受けない人間だ。
岡村氏の発言は、このダメージを受けない人間の中には、コロナ禍が過ぎたあとダメージを受けた人間の転落によって齎される利益を享受しようと心待ちにしている、いや今そんなつもりはなくても結果として享受する層が必然的に現れる、ということをいみじくも現している。
そして、それは恐らく現実になる。
絵に描いたように分かりやすい搾取の典型例だ。

この「ダメージを受ける人間」は女性に限らない。
けれど、今回はターゲットを「ガールズ」に絞り、また岡村氏の話を取り上げたこともあるしで敢えて女性に限って話を進める。

古今東西、貧窮した女性の最後の手段は「最も古い商売」、春を鬻ぐことであった。

(話はずれるが、現に困窮した男性が「女はいいよな、いざとなれば身体を売ればいいし」なんて嘯くのはこれまでに百万回くらい目にしてきた。
それに反論できるロジックの一つは男性も男娼という道があるではないか、というものだが、やはり現代社会ではニーズが少なく実際問題として稼ぐことは難しいと思われるので、ロジックとしてはやはり弱いと言わざるを得ない。
ただ、男娼も存在しうるという事実はこのトピックをジェンダーフリーなものとして捉えて頂く一助となるかとは思う)

尤も、このような商売は別に貧窮した女性の専売特許ではなく、好きで誇りをもってなさっている方もゴマンとおられ、それはそれでとてもよいことだと思う。

しかし、やはり生活に困り転落し、本来は信頼できる相手とのみ行うコミュニケーション行為であるところの性的接触を売り物にせねばならなくなる、というのは「一般的には」悲劇であると思うのだ。
そのことを楽しみだ、という言説は、例えそれが現実となる蓋然性が高くても、いや恐らく現実となるであろうが故に排除されねばならない、と私は思う。
頭でっかちリベラルを自称し、ポリコレや倫理に冷笑的態度を取る私ではあるが、これは笑われることを覚悟で書く。
いやー、この不況でええオネエチャン(オニイチャンでも可。とても可)落ちてくるやろなー、楽しみやわー、というにやけたおっちゃんの言葉をみんながにやにやして許してしまうような、そういう昭和の時代には絶対戻したくないのだ。

と、ここまできて、自分が前置きに「敢えて女性に限って話を進める」と書いたにもかかわらず、必死にこの話題を女性限定のものとして書かぬように注意を払ってきたことに気づいた。
元来苦手なのだ。男女、その他属性を分断した発想が。

戦場のガールズライフは、その実ボーイズライフでもある。
男の子だってお洒落ができないでがっかりしている子も多いだろう。
私達は男女を問わず、老若を問わず、今同じ戦場に立っている。

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