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親愛なるSexyZoneへ

1/8に健人くんが脱退するというお知らせを読んでから、何度も何度もなんどもこの画面をたちあげては消している。何かを書こうとして、でも言葉がまとまらなくて、何を書いても嘘のような気がして、そんなことをしてる間に5月になって、約5か月も経っていてびっくりした。5か月て…え……?5か月経っても1/8のことは新鮮に思い出せるし新鮮にショックで、自分がそんなにも心を揺さぶられると思っていなかったからそのことにいつも驚く。

先日、ようやくSexyZone最後の公演であるChapterllの映像を観て、やっぱり何かを書いておかないと、永遠にずるずるとツイッターで亡霊として生きることになってしまいそうだなとおもったので、今これを書いています。

健人くんがSexyZoneを脱退するというお知らせを受け取ったとき、嘘だ、という気持ちと、でもどこか、今だったのか、という気持ちもあった。それは別に健人くんがSexyZoneをやめたがっているようにみえるとか、そういうことでは全くなくて、ただ、中島健人という蝶を永遠に閉じ込められる籠などこの世にはないのだという漠然とした気持ちの具現だったと思う。それから4か月、飽きもせず毎日毎日「自由に生きてほしい」と「やめないで」を繰り返して、もう辞めないでも何も、SexyZoneというグループはなくなって、中島健人はソロになり、それぞれの活動は精力的に始まっているのに、私だけがまだ、あの3/31……よりももっと前、12/26に取り残されているのかもしれない。勝利くんは3/31にSexyZoneを封印する、といったけれど、私の魂はそのもっと前に地縛霊のように縋りついている。自分でも未練がありすぎて怖い。

12/26のオーラスで、ながいながい、永遠のような2分弱のRUNの背中合わせをみたとき、私はこの人たちに確かに永遠を感じていて、この先いろんな試練や苦しいことが起こったとしても、それでもこの人たちは四人で手をつないで生きていくのだろうと、もしも手を離すときが来るとしてもそれはもっとずっと遠い未来のことなんだろうと確信していたと思う。それくらいきらきらしていて、この数年で本当に心の底から一番”たのしい”ライブだったから。SexyZoneはいつも何かがあるグループで、ツアーをやるたびに心の柔らかいところから血を流し続けている人たちだったから、マリウスの卒業から1年、やっと本当の朝焼けをみんなでみれたと、本当にそうおもったんだよ。

だから、1/8に健人くんが脱退する、と言われたときはそういう私の感じたすべてのことが、これまでずっと無邪気に信じていたものが全部消えてなくなってしまったような気がした。あの時のRUNの背中合わせが「最後だから」だったなんて、思いもしなかったから。自分の犯してしまった「誤読」に心が耐えられなかった。

でも、そこから5か月近く経って、その間にいろんなことが起こって、新しい名前が発表され、新メンバーオーディションが決まり、ふまけんそれぞれに個人FCができ……個人の仕事としては健人くんの映画が発表されて、puzzleの発売にあわせたプロモーションではいろんな媒体で今回の決断についてみんなが丁寧に言葉を尽くしてくれて……。もらいすぎるほどたくさんのものをもらって、少しずつ現実が浸透してきた感じがした。やだやだと駄々をこねて12/26にい続けることはできないんだ、ということに気がついてしまった。だから、やっぱりちょっとずつ、ことばにしていこうとおもう。

ChapterⅡの円盤を観たとき、あの日福岡の初日に感じたことを全部一気に思い出すことができた。人生遊戯から始まって、TryThisOneMoreTime、麒麟の子って、こんな攻めて攻めて攻めまくったオープニングをつくれるのは世界でSexyZoneだけだとおもった。

どんな不条理だった時代のせいにすんな 自分で答えを選べ
いっそ全部壊して未来投げ出してゼロになれたならって 負けるつもりか

人生遊戯

Wild and Peaceful 目を向け語り合って
当たり前をTranceform

TryThisOneMoreTime

限りない草原を知らないままの僕らは
こんなにも汚れ切った世界を ありがたそうに生きてる
黄金のたてがみをたなびかせた勇気あるはみだし者よ
こんなにもむなしい時代でこそ 魂の限り叫べ

麒麟の子

SexyZoneは、反骨精神のグループであり、強者と弱者がいるなら必ず弱者の視点を歌うグループであり、体制主義の真逆にいるグループだ。大人の都合によって彼らがまだ意思決定権をほとんど持ちようのなかったころに結成されたグループが、旧ジャニーズ事務所の王道と呼ばれ、きらきらの衣装をきて踊っていた彼らが、こんなにも力強くいろんなものに抗ってもがいているすがたをみせてくれるたびに、彼らの生きざまのうつくしさと潔さに胸を打たれる。そういう魂の叫びみたいなオープニングだったし、SexyZoneそのものだった。かっこいい曲を歌うグループも、歌のうまいグループもたくさんいるけれど、こんなにも強烈な歌詞を持つグループはほかにいないんじゃないかな。麒麟の子、NOTFOUND、RUN……どれをとっても、SexyZoneにしか歌えない歌詞がそこにある。

SexyZoneというグループは本当に不思議なグループで、家族のように例えられることも多いけれど、ひとりずつが独立していて、仲が悪いとは思わないけれど会話は多くない。最初に好きになったとき、彼らの関係性をどう捉えれば良いのかわからず戸惑ったことを思いだす。全員の距離は近いのに、べたべたはしない。仲良し、ということばは似合わないけれど、不仲といわれたら絶対にNOだ。聡ちゃんがいつか言っていた「SexyZoneはずっとそれぞれの人生を生きている集合体で、誰も他のメンバーの人生に入り込もうとはしない」という言葉はまさに彼らの生きざまだなと思うし、そういうところを愛している。彼らは「自分の人生は自分にしか歩めないし、あなたの人生もあなたにしか歩めないものだよ」って全員が思ってる感じがあって、それは私たちファンに対してもそうだし、メンバー同士にも互いにそう思っているような瞬間がたしかにある。勝利くんが以前「このポジションは僕じゃなかったら絶対に無理だった」と言っていて、彼が自分だけの人生を歩んでいる自覚を持っていることを知った。そういう関係性は、彼らが意識して作り上げた部分ばかりではないだろう。元をたどれば、まだ社会のことも自分自身のこともわからないような年齢で芸能界に「デビュー」という形で組み込まれたこと、その後さまざまな要因で五人というくくりで活動する期間が短かったこと、そういう環境や外的要因によってそうならざるを得なかった部分もあると思うし、そういう体験が礼賛されるべきものではないことも理解したうえで、それでももう、こういう形のグループはこれから先現れることはないだろうし、私はSexyZoneだけが持つ、この不思議な関係のグループを愛していた。ある意味、ひとりも人付き合いがうまくない人達で、そんな彼らが不器用に、でも一生懸命に手を繋いで生きているすがたに、おおげさだけど希望をみていたのかもしれない。

SexyZoneには裏側がない、ともよく思う。SexyZoneというグループの歴史は常に表舞台にある。彼らのエポックメイキングはいつだって私たちの眼前にあり、言い換えるなら、SexyZoneというグループは、ステージの上でしか存在しえないのかもしれないとさえ思う。楽屋では言えないことがステージでは言えるし、プライベートではできない約束が、ライブのMCでなら交わせる。プライベートで遊ぶことはないのに、ステージの上で背中をあわせたら全部がわかってしまう人たちは、いつだってステージの上で物語を紡いでいた。だからこそ、グループのかたちが変わってしまうことは私にとって簡単には受け入れられないことだったのかもしれない。健人くんは友達になるといってくれたけれど、私はSexyZoneはSexyZoneというかたちだからこそ寄り添いあっている人たちだと思っているから、このかたちがなくなったら、もう全部なくなっちゃうような、あったこともなかったことになってしまうようなそういう気持ちがずっとあった。

ChapterⅡの映像を観ながら、でもさあ、そういう人たちだから好きになったんだよなあ、ともおもった。彼らの好きなところはたくさんあって、もうそれこそ数えきれないくらいにあるのだけれど、私が2023年をアイドルファンのまま生きることができたのはSexyZoneのファンだったからだ。ほかの誰でもだめだった。SexyZoneの、中島健人くんのファンだったから、わたしは多分ずっとアイドルの善性を、彼らの信念を信じることができた。そういう気持ちをわーーーーっと思い出して、やっぱりいま、息もできないくらいに泣いている。

こうして振り返っていると、好きなところばかり思い出す。SexyZoneのファンダムって、わりとしんどいこともある環境だったけど(度重なるファンダムのいざこざとか笑、グループ活動の供給の少なさとか笑、運営との意思疎通の難しさとか笑)(ホワイトデーとバレンタインにリリックビデオをプレゼントされて全員が困惑するなんて、他のグループでもあることなんだろうか)でも、今こうしてぼんやりSexyZoneのファンになってからのことを思いだすと、やっぱり全部ぜんぶ大好きだったよ。健人くんの発行してくれるハッシュタグも、あの風磨くんが唯一困り顔になるMCも、へたくそすぎて終わらないビリヤードも、勝負ごとで手を抜かないから特典映像の優勝がいつも風磨くんか健人くんなところも、マリウスを想ってつけたオレンジのペンライトも、いつも五人のSexyZoneのことをいちばんに考えている勝利くんも、ただいまと笑顔でもどってきてくれた聡ちゃんも、すべてが大切で大好きだった。

そういうひとたちが選んだ道として今回の選択をふりかえれば、私のこれまでの彼らへの祈りは「誤読」なんかではなかったのではないか。私は、SexyZoneを、中島健人を好きになってからずっと、彼らがグループであることを望んでいると無邪気に信じていたこと、あの12/26のライブに永遠性を感じたことを、まったくの誤読だったのだと思っていたけれど、そうじゃないのかもしれない。私はどこかで、健人くんはSexyZoneであることを、グループであることを「諦めた」のだと思っていたし、他の3人はそれを「とめなかった」と思ったけれど、ほんとうにそういう構図として解釈することが、私のまなざしてきたSexyZoneというグループにとっての最適解なんだろうか。このブログを書くことを再開した前日(何度も書いては消して、書くのを中断して…を繰り返している)、健人くんのオンラインファンミーティングをみて、ふとそんなふうに思った。

ファンミーティングの内容そのものというより、健人くんがそこにいて、笑っているのをみて、彼のエネルギーがひとつの衰えもなくそこできらきらと輝いていることを感じた。そこにいるのは確かに私の知っている、私の大好きな中島健人だった。ファンを大切にするところも、笑顔も、彼の独特のテンポ感も、わくわくが全身からにじみ出ているところも、全部私が好きな中島健人で、誤読のわけがないと思った。私がこの数年、中島健人をみて感じたことも、彼の言葉を聞いて考えたことも、SexyZoneというグループへの希望も信頼も何もかも、決して誤読なんかじゃない。わけもわからずそう確信した。ここにあまり理論やロジックはないからもしかしたら今これを読んでる人はなんで!?と思うかもしれないけど、本当に直感的にそう感じた。(そういうものを吹き飛ばす力を健人君は持っているし、そういう彼の、私にはまったくコントロールすることも理解することもできない部分が何より私を魅了しているから、この論理の飛躍は、起こるべくして起こっている)

もう、散々言われていることだし、私もXで似たようなことをポストした気もするけれど、彼らにとってSexyZoneであるということは、日常の延長ではなく、彼らの確固たる選択だったし、その選択には常に鋭い痛みが伴っていたようにみえる。SexyZoneでいつづけることは彼らにとって当たり前ではなく、その都度選んできた道だった。私が(もちろんすべてとは言えないが)彼らの選択を何度も目撃してきたその事実は、最後の分岐点で別の道を選んだことで変質してしまうものではないんだ。そもそも彼らはSexyZoneでいるためにSexyZoneを選んできたわけではなく、彼らが彼ら自身の人生をまっすぐに歩くためにSexyZoneを選び続けてくれていた。そして、最後の分かれ道で、それぞれの道を選んだこともまた、彼らの人生のために必要な選択だったし、そういう精神こそが私が愛したSexyZoneだったよなあと、本当に心の底から思うことができた。

私が愛している人たちは「SexyZoneを選んでくれる人たち」ではなくて「痛みを伴う決断を恐れない人たち」だ。

健人くんのはじけるような楽しそうな顔をみて、やっと、やっと、この道を選んだ人たちのことを大好き!って思うことができた。SexyZoneは誰かの人生の代わりはやらない。彼らは彼らの人生しか歩まないし、私たちにもそうあれと言ってくれる人たちだ。だからこそ、この決断はまさしくSexyZoneそのものなんだ。私にとって、それは理想のアイドルのかたちだったし、アイドルを好きでいることの功罪に揺らぐとき、彼らのそういう姿勢に何度も救われた。

健人くんがどこかのインタビューで「デビューするまでは、それが一番の夢だった。でも(オスカーの現場に行って)違う夢をみた」と言っていた(今手元に雑誌がみつからずかなり意訳ですが)。そうしたらさ、やっぱりその夢のためのかたちを、痛みを恐れずに選ぶことのできるグループだから好きになったんだよ。

もちろん、物理的に変わってしまうこと、なくなってしまうものを惜しむ気持ちはまだめちゃくちゃある。4人でのバラエティ的掛け合いや、ふまけんの背中合わせや、健人くんを含めた彼らの歌声や、いろんな、もう二度と手に入れることのできないものに思いを馳せる瞬間。ChapterⅡのオーラスのRUNをみながら、彼らが背中合わせじゃなく、互いをみつめあうようなふたりだったらどうなっていたのかなと想像してしまう。健人くんに背中をあずけられ、規定の時間をこえてもずっとぴったりくっついた背中越しに、風磨くんは確かに幸せそうに、世界でいちばん照れてるみたいに笑ってた。中島さぁん、という声が聴こえてくるみたいなやさしいかおをしていて、五万五千人がそれをみていたけど、あの会場でたったひとり、背中をあわせて歌う健人くんだけはそれを知らないから、もしも知っていたらどうだっただろうと思うこともある。でも、やっぱり結論はどうしたって「背中合わせで生きてる人たちだからこそ好きになった」だ。

決して完ぺきなグループだったとは言えないだろう。ちぐはぐで、かみ合っていない時期も長くて、風磨くんも健人くんも強烈に我が強くて、勝利は頑固だし、聡ちゃんは優しすぎるくらいに優しい。マリウスはデビューしたころまだ11歳だった。この数年しか追っていない私からみたら、今の流行りのかたちではなかったし、それにハラハラすることもたくさんあった。でも、SexyZoneという五本の鍵がそろって、その宝箱を開けてくれる瞬間が私はいっとう好きだった。これ以上に美しいものなんかこの世にひとつもないと思わせてくれる煌めきがそこにあった。そしてそれはいまも、同じかたちではないかもしれないけれど、彼らひとりずつに、ちゃんとある。そう思えたのは、やっぱり健人くんの笑顔をみたから。timeleszの新しい挑戦にワクワクしたから。彼らを好きになってよかった。いま、本当に、心の底からそうおもう。

これから先も、きっといろんなことがある。SexyZoneだったひとたちが私の思い通りになったことなんか一度もないし、そんなものになるなとも思う。私の想像もしないようなことをたくさんやってほしい。ワクワクさせてくれたら嬉しいし、ドキドキできたらもっと良い。そして、timelszにも中島健人にもその予感が確かにある。それって、やっぱりすごく、何にもかえがたく幸せなことだ。

親愛なるSexyZoneへ。
私の人生で、あなたたちに出逢えたことは本当に、ほんとうに幸福なできごとでした。あなたたちのようなグループがあったこと、一緒に夢をみたこと、ドームツアーをかなえたこと、ここまで走ってくれたこと、そのすべてに感謝しています。SexyZoneを知って、自分の人生を生きるということ、そのうつくしさ、むずかしさ、大切さについてたくさん触れることができました。まぶしいライトに照らされたステージのうえで、必死に手を繋いでいるあなたたちのすがたは私の人生の何よりうつくしかったです。
思い出も、友だちもたくさんできました。SexyZoneを好きになったからこそ知り合うことのできた大切な人がたくさんいます。名前も知らない、席が隣になった女の子から譲ってもらった銀テープのことを私はきっと一生忘れないでしょう。社会の話をするコミュニティと、SexyZoneを通して触れ合うことがありました。これまでファンアカウントなんて一度も作ったことがなかったわたしに、たくさんの人たちが優しくてあたたかな言葉や視線をくれました。SexyZoneがつれてきてくれたすべての出会いが愛しい宝物になりました。
SexyZoneというかたちはなくなってしまうけれど、でもあなたちを愛したことも、もらったものも、紡いだ言葉も、祈りも、全部ほんとうにあったもので、結果としてSexyZoneがなくなって、新しいかたちになってしまっても、これまであったものにうそなんてひとつもなかったと、ようやく思うことができました。まだ、思い出の詰まった曲を聴くと涙があふれてしまう夜もありますが、それでも、またこれから、新しい夢を一緒にみよう。


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