考えすぎてるわけではないのかも
ずっと思っていたことがある。それは、相手を不機嫌にするコミュニケーションを取ってしまう人に対して「なんで人の気持ちを慮らないんだろう」
一口にコミュニケーションを取ると言っても人によってその中身は様々で、だからこそ人それぞれに寄り添った形で作り上げていくものだと思っていて。それのためには想像力というかある程度推察して地雷を避けたり逆に話を前に進めたりする必要があると思っている。
今話したいと思っていることを気持ちよく話してもらうことも必要だけど、それより不快にさせない、腹立たせないことって別に友人関係のコミュニケーションでも私は大事だと思っているのだけど、それを意図してやってないのか⁈ってくらい地雷を踏み抜く人っているなあと思っていた。それの原因は想像力、推察する能力のなさだと思っていたし、逆に言うと(自分を棚に上げるけど)自分にはそれが多少なりとも他人よりあると思っていた。
ただ最近気づいたのは、私は推察できる人ではなくて、推察するための材料が多いから確度が高まっている人だということだ。どういうことか。私は「他人から愚痴を言われたり相談を受けることが多い」のだ。いきなり秘密の暴露をされることも多い。そもそもこの人はこういうことを嫌だと思っていて、実はあの人のことが嫌いで、最近これについて悩んでいて、こんなバックボーンが秘かにある…。これを知ってるだけで、表出されているものは同じでも見えているものが違うものになっているということなんだな、と気づいた。
別に全然私も地雷は踏んでるけど、人と話すときに気を付けることについて人と話してたら「考えすぎでは⁈」とめちゃくちゃ言われたのでそれについての考察でした。頭の中のこともっと文章にする癖をつけたいんだけどな。
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