思い出せない

私はこれまでの人生において、思い出せないことが何個かある。

その中でも1番寂しいのが、愛犬の事。

中学生の時、小さい頃から親にずっとおねだりし続けていた、念願の犬を我が家に迎えることになった。

お手、おかわり、ふせ、全部を1から私自身が教えて
犬にとっても幼少期の長い時間を私と過ごして
家族の中で誰よりも私に懐いてた。

10歳半の若さで、私の世界一愛してる犬が病気で亡くなった。

私は犬は家にいる時はいつでも一緒に居て
親に禁止されていた一緒に寝ることも、ルール違反が重なっていつしか公認され
10年くらい、毎日一緒に私の部屋で寝ていた。

学生の私が深夜までテスト勉強してても、ずっとそばにいて
私がベットに入ったらそっと腕の中に潜り込んでくるのが私たちのルーティンだった。

親と喧嘩して2階の自分の部屋に駆け込んで、ドアをバタンと閉めても
少ししてドアを優しくカリカリと手で引っ掻いて私の様子を見にきてくれるのも犬だった。

喧嘩中の親が1階から呼んでも、一緒に無視してくれた。
何もかもが一杯一杯で、明確な理由もなく泣いてた毎日も、いつも隣にいた。

居心地の悪い家で、唯一全てを曝け出せるのは犬の隣だった。

1番の家族で、1番の親友で、1番の我が子だった。

その日、朝の散歩から帰った犬が急に体調が悪くなり
昼前まで寝ていた私を親が必死で1階から呼んで

異変に気づいてすぐに駆けつけた時
犬は弱々しくこちらへ向かってきた。

ぎゅっと抱きしめて、そこから親の運転で動物病院へ急いで、帰りの車内で、私の腕の中で天国に行った。

もちろん全部覚えてる。

でも次の日から、喪失感よりも
私はこの10年半が全て嘘に感じられたのだ。

私の命より大切だった犬は本当に存在してたのかな。
昨日の夜は私の腕の中で寝てたのかな。
抱きしめた時、どんな感触だった?どんな匂いだった?どんな声だった?

犬と一緒に過ごした10年半が、私の中で一気に消えてしまった日だった。

小学生の時、母親が出て行ったそのときの感覚と似ていた。どんなふうに一緒に暮らしてたか、翌日にはもうわからなくなっていた。

私はきっと、受け入れられないことに出会うと、
自然と忘れてしまうのだ。

数年前に飛行機で隣になった赤ちゃんとか、大学のサークルのふとした休憩時間のゴシップトークとか、ピアノの先生の家で食べたお菓子の味とか、

日常の中にあるふとした事象は昨日のことのように感覚と一緒に思い出せるのに

10年以上一番そばにいた、世界一大切な存在が
私を見つけて駆け寄ってきたり、眠たくて背中をひっつけてきたり、言われた通り芸をしたり、
あの全ての感覚が全く戻ってこないのだ。

ほんとにあの子は私の世界にいたのかな。
たまに不安になるけど、いつかどこかで会えた時に全部思い出せたらそれでいい。


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