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スガシカオの「斜陽」と私

私とスガシカオの出会いはアルバム『PARADE』だったわけだが、「斜陽」はそのアルバムの4曲目に収録されている。
私の好きなスガシカオの曲ランキング不動の2位。
小学生の時からずっと2位。
中学生の時にスガシカオと電話で話した際、「サナギと斜陽が好き」と言って、本人から「暗いなぁ」というお言葉をいただいた。

長らく「公団」という言葉の意味を知らなかった。
子供の頃は社宅のアパートに住んでいたが、そこは「社宅」あるいは「アパート」と呼んでいたから、実際には似たようなものであったとも思うが、「公団」という語に聞き馴染みがなかった。
でも、住んでいたアパートの庭にはブランコと砂場があったから、歌詞の「ブランコさえない公園で」という描写を妙にリアルな肌感覚として受け止めていた。
(うちの社宅の庭もたいした遊具はないけど、ブランコもない公園なんて、それは随分寂れた公園だなぁ)といった風に。
そして、そういう場所でするキスの良さを小学生ながらに思っていた。

私は読書中、知らない単語が出てきたら読み飛ばす。
特に歌集・句集で読めない単語が出てきたら、その一首(一句)まるまる飛ばす。
それでもたまに、「この漢字は読めないが、この一首(一句)は気になる。ちゃんと全部意味をとりたい」と思う作品に出会うことがある。
その時はスマホでその漢字と意味を調べる。
子供の頃も、わからない単語は全部飛ばして読んでいた。
それでも、夏目漱石や太宰治や森鴎外が大好きだった。

歌詞においてもわからない単語はたくさんあった。
母に向かって、「サダちゃん(岡本定義)の歌詞って『まぐわう』って言葉多い」と言ってしまったことをいまだに覚えている。
テキトーにスルーしてくれた母よ、ありがとう。
また、単語はわかっていても文意やシチュエーションがわかっていない場合も多かった。
これまた母に「バービーボーイズの『タイムリミット』に出てくる男って酷いよね。そんな時間に追われることないのに」と感想を述べたことがある。
母は「不倫だから当然でしょ」みたいな返答をしていた気がする。
当時の私はこれが不倫の歌で、奥さんにバレないように時間を気にしているという内容だと思っていなかったのだ。
単に付き合っている男女の、男の方がいつも時間に気を取られているのだと思っていた。
「デートに集中しろ!」と男に憤りを感じていたのだ。

「公団」の意味がわからないだけでなく、当時はスガシカオ本人に「暗い」と評された理由もわからなかった。
歌詞の「ぼく」は「君」のことを救えないし、自分のやさしさが「君」のためではなく自分のためにあることもわかっているんだけど、それをわかっているからこの人は優しいと思っていた。
全然何もできないんだけど、それでも君のために何かしたかった、その感情だけで十分だと思っていた。
自分の力のなさ、相手の痛みをわかってあげられないこと、そしてその事実に傷つくことができる心の有り様。
この歌詞は「救済」だと思っていた。
この歌詞は世界のあるべき形で、美しい黄色い夕陽の色をした、明るい歌だと感じていた。

それを大人は「暗い」というらしい。
その評も、今の私にはわかる。
でも、やっぱり、こんなに優しい人間の歌って他にないなと思う。
こういう人がいる世界は正しくて、美しい。
私の感覚でいえば、これは明るい歌だ。

最後に思い出をひとつ書いておくと、この歌が好きと母に言ったら、「太宰治の本に『斜陽』というのがある」と教えてくれた。
すぐさま太宰治の『斜陽』を読んだ。
ちなみにこの時も「衰退していく」という意味の「斜陽」という言葉は知らなかった。
だから読後、なんか想像していたのとはちょっと違った、という気分になった。
でもスガシカオの曲とタイトルが同じだったから好きになろうと思って「面白かった」と自分を洗脳した。
ただそれだけのそんな思い出。

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