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最強のパワースポット武雄神社@佐賀

佐賀県は武雄市にある武雄神社です。
武雄市といえば、武雄市立図書館や御船山観光ホテルで開催されているチームラボのイベント、そして古くからの温泉地として有名です。
しかし武雄神社といえば武雄の大楠や夫婦杉で、縁結びと開運UP!と言われるほど、日本屈指のパワースポットだそうです。
では、どんな神社なのか楽しみながら参拝してみます。

武雄の温泉街やJR武雄温泉駅、市役所などの中心部より少し離れた場所に神社はあります。
神社の周辺には武雄市立図書館がありその裏手に位置します。
図書館からは側道(たぶん昔の参道)を通って直ぐに神社に行くことが出来ます。
車だと中心部から県道330号線を南下すると2〜3分で神社前に着きます。

駐車場から参拝すると一の鳥居、二の鳥居を通らず、最初に現れるのが夫婦檜です。

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夫婦檜(縁結びの御神木)
御祭神である仲哀天皇・神功皇后の御神威によって、2本の檜が根元で結ばれ、樹の中ほどで再び枝が合着したと云われています。
仲睦まじく立っているその姿から根元は夫婦和合を、繋がった枝は様々な縁を繋ぐ縁結びの象徴として信仰を集めているそうです。

本当に根の部分と枝の部分が繋がっていて、驚きです!
2本の檜が真っ直ぐ伸びて、仲睦まじく感じる夫婦檜です。

願掛け宝来鈴
境内の授与所にて、各々の願いにあった宝来鈴を買い求めます。
 ■赤色の紐は良縁・恋愛成就
 ■黄色の紐は商売繁盛・金運向上
 ■白色の紐は心願成就
その宝来鈴を夫婦檜の間に下がる鈴緒に結びつけ、結んだ鈴に願いを込めて優しく鳴らし、御拝礼するそうです。

武雄神社の参拝順序としては、ここは一番最後に参拝する場所だそうです。
私も社務所で宝来鈴を買って帰りに願掛けをしたいと思います。

夫婦檜を通り過ぎると、小さな鳥居が待ち構えていました。
あまりにも小さくて、これはくぐることが出来ません。(笑

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階段の上に鳥居が・・・
そこから御神光が差し込んで、眩しい!!

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御神光に導かれ、階段を上り詰めるとそこには、真っ白な御社殿が・・・
白い御社殿はとても印象的です。
御社殿は、昭和39年の火災で新たに銅葺屋根の鉄筋コンクリートの社殿が再建されたそうです。
流造の本殿に唐破風付き入母屋造りの拝殿となっていて、色は武雄神社の使いとされる白鷺に肖り白を基調としているとのことでした。

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本殿には、千木が外削ぎ、鰹木は5本を見ることが出来ます。

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御祭神
 ・武内宿禰【たけうちのすくね】
 ・武雄心命【たけおこころのみこと】
 ・仲哀天皇【ちゅうあいてんのう】
 ・神功皇后【じんぐうこうごう】
 ・応神天皇【おうじんてんのう】
 五柱の神を総じて武雄大明神と号します。

主祭神である武内宿禰は、政治を補佐する大臣として第12代から第16代までの五代の天皇に仕え、実に360歳を誇る日本一長寿の神様として知られています。更に武運長久、開運、厄除けに霊験あらたかな神様としても信仰があります。
(出所:武雄神社HPより)

御由緒
 『武雄神社本紀』によると、神功皇后が三韓征伐の帰途、武雄に兵船を止め、それが御船山に化したとあります。これにより同行していた住吉神と武内宿禰が御船山の南嶽(船の艫)に鎮座し創祀されました。
 而して天平7年(735年)初代宮司 伴行頼に『吾は武内大臣である。艫には住吉神がおられ、艫嶽に祀られていても畏れ多く落着かないので、幸い軸嶽に自分を祀るならば、末永くこの地に幸福が訪れるであろう。』との神託がありました。行頼は太宰府を通じて朝廷に奏請し、武内宿禰を主神に、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、武雄心命を合祀し北麓に奉遷し武雄宮が創建されたと記されています。
 平安時代での旧社格は、九州地区の統治組織「大宰府」の府社とされ、祭礼に国使が参向するなど、杵島郡の鎮守として郡民の崇敬をうけていたばかりではなく、肥前に於ける名社として深く重んぜられていました。また、それらを裏付ける218通にもおよぶ古文書が現存しており、九州における神社文書の代表的な遺品とされています。
 元永年中(1118~20年頃)武雄二代領主 後藤資茂が、朝夕秀麗な御船山の麓に鎮座する武雄神社を望み、築城の適地と思い、朝廷に奏請して当社を舳嶽東麓(現在地)に遷しました。
 文治元年(1185年)の壇ノ浦の戦いでは、源頼朝が当社に密使を使わせ平家追討祈願をしました。平家を滅ぼした頼朝は、勝利を武雄神社の神徳によるものと感じ、後鳥羽天皇の勅使と名代の御家人を赴かせ『御教書』を送り深謝しました。
 この参詣を歓迎して、武雄四代領主の後藤宗明が流鏑馬を奉納し、以来、氏子のてによって『武雄の流鏑馬』は、八百年以上ものあいだ連綿と継承されています。 また、これを機に武雄神社と源氏との関係は極めて密接となり、神社として将軍家の祈祷に当たる関東御祈祷所の使命と、社家として御家人の使命を有し、二重の立場に於いて活動することになりました。
 鎌倉中期の元寇では、未曾有の国難に際し、伏見天皇より異国降伏の祈祷の『綸旨』を賜る光栄に浴するなど、国家的な存在でありました。本紀によれば、文永の役の10月20日の夜、武雄神社の神殿から鏑矢が元軍船目掛けて飛び、元軍は逃げていったとしてあり、また、弘安の役では上宮から紫の幡が元軍船の方に飛び去って、大風を起こしたとあります。この霊験により『九州五社ノ内』と称され、九州の宗社として隆々と栄えた時代もありました。
 現在では武雄の氏神社として、また樹齢三千年のご神木を祀る神社として、氏子はもとより全国各地から広く信仰を集めております。
(出所:武雄神社HPより)

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御神木(武雄の大楠)
武雄神社の背後には、御船山の神奈備(神が隠れ住まう山)があります。
本殿裏の竹林を抜けると眼前が開け、そこには3000年の悠久の時を経て今もなお未来永劫に生き抜こうとする大楠が姿を現します。

この大楠には、主祭神の武内宿禰が宿っていると言い伝えられています。
また、この大楠には龍神様も宿っていると言い伝えられて、根元には天神様(菅原道真公)も祀られています。
大楠の前では、空気が違うのを感じることが出来ます。

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武雄の大楠
とても大きな楠ですが、何かの生き物のようにも感じられ、今にも悪しきものを飲み込んでしまいそうな一面と、大きく手を広げて私たちを優しく包んでくれそうな姿の前では、自然と手を合わせてしまいます。

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御朱印

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御神光を浴びながら石段を登り、鳥居をくぐって御本殿を参拝する時から、御加護を全身で受けているような気になりました。
また、武雄の大楠の前では本当に身も心も清められた感じで、武雄神社の境内はパワースポット満載なのを実感させられました。
そもそも武内宿禰を主祭神とする神社であることが、とても興味を掻き立てる神社でした。


さて、たっぷりとパワーを頂いた後は、武雄温泉の元湯へ。
せっかくの武雄来たので、温泉に入らない手はないです。
皆さんも武雄神社を訪れた際には、温泉を楽しまれてみては如何でしょう。
あ、逆かな?武雄の温泉に訪れた際には、武雄神社まで足を伸ばしてみては如何でしょうか?

武雄温泉・元湯の楼門

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神社: 武雄神社
住所: 佐賀県武雄市武雄町大字武雄5327
HP: https://takeo-jinjya.jp/


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