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吉備津神社は吉備国(三備)の一ノ宮@岡山

今回訪れたのは、備中国の一ノ宮である吉備津神社です。
すぐ近くに吉備津彦神社もありましたが、まずはこちらから参拝することにしました。
岡山は、桃太郎伝説発祥の地とされるこの地において、吉備津神社も吉備津彦神社もどちらも桃太郎伝説を掲げているため、どちらが正しいのかも知りたいと思っていました。
そこで予備知識を入れようと吉備津神社のHPを検索すると、「三備一宮・吉備津神社」と書いてあり、「三備?」に疑問に感じたのでした。

三備一宮
元々は、この一帯は吉備国だったのですが、大化の改新のころに吉備国が備前、備中、備後の三つの国に分割解体されたそうです。
吉備国の一ノ宮であった吉備津神社も三つの国の一ノ宮として分社され、
・備中:吉備津神社(岡山市北区吉備津)
・備前:吉備津彦神社(岡山市北区一宮)
・備後:吉備津神社(広島県福山市)
ができたそうです。
このことから吉備津神社は、三備一宮とも呼ばれているのです。

ちょっとスッキリしました。
三備一宮も吉備津神社と吉備津彦神社の違いも分かったところで、いざ吉備津神社に参拝です!


今回は車で、参拝しました。
山陽自動車道を広島方面から岡山方面に向かって走り、倉敷ICを過ぎて、総岡山JCTから総社/米子方面の中国自動車道へ入り、岡山総社ICを出ます。
出口から国道180号を岡山方面に向かい、約15分ほどでJR吉備津駅を通り過ぎるとすぐに吉備津神社前交差点を右折すると、素敵な松並木を抜けたところが、目的地の吉備津神社です。
広い参拝者用の駐車場がありますので、そこで駐車しました。

松並木と参道

鳥居
松並木から進む参道が現在の主たる道筋になっているようですが、たぶん昔は、松並木側から反対の南側が参道であったのではないかと思います。
車で、岡山総社ICを出て、国道180号を約15分ほど走ったところで、JR吉備津駅前を通り過ぎましたが、その手前にある板倉交差点から右へ県道245号に入り数分で、県道389号へ左折。
そこから1〜2分で鳥居が現れます。
その先に旧社務所があったようで、ここに鳥居ってことは昔の名残りかもしれませんね。もしくは神体山を祀りしているためかな?

鳥居

少し走ると整備された広々した駐車場がありました。
駐車場の広さから、多くの参拝者が参拝する神社であることが容易に想像出来ます。

矢置岩・手水舎
写真右手に見えるのは、吉備津彦と温羅の伝説に基づく岩で、吉備津彦が戦いの最中に矢を置いたと言われる矢置岩です。
それにちなんで矢立の神事が現在も行われています。
写真の左側が手水舎です。

矢置岩・手水舎

駐車場横にあった境内図を見ても分かるように、とても大きな神社です。

境内図

では、北の参道から参拝を始めます。
いきなり急な石段が待ち構えていました。
写真の右側に見える社号標ですが、これは五一五事件で暗殺された犬養毅の書だそうです。
この地で生まれた犬養毅の祖先は、ご祭神といっしょに温羅を退治した犬養健命といわれ、神社にゆかりのある人物だったそうです。

北の参道・社号標

北随神門
階段を登ると北随神門が待ち構えています。
吉備津神社には、北側に北随神門、南側に南随神門があります。

北随神門

北随神門をくぐるとさらに石段があります。
階段から見える手前は授与所の一部で、その奥に見えるのが拝殿です。

石段
拝殿前

拝殿
階段を登り詰めると、すぐに拝殿です。
なので参拝者が多いいときは、階段に参拝者が列をなしています。
ちょっと驚きの造りです。
また、授与所と連なって拝殿があるため、一体化したアーケードのような状態ですが、本殿と拝殿は一体ですが、授与所とは繋がっていません。

拝殿
拝殿・内部

本殿
吉備津神社の本殿・拝殿は、建築様式「比翼入母屋造」といわれ、全国唯一の様式から「吉備津造」とも言われる国宝です。
比翼入母屋造とは、入母屋造の2棟を1棟に結合した形態の建築様式のことで、入母屋の千鳥破風(はふ)を前後に二つ並べ同じ高さの棟で結び全体を桧皮で葺き上げ、ひとつの大きな屋根にまとめた構造で、上から見ると棟はカタカナの「エ」の字型になっています。(Wikipedia参考)

本殿

桃太郎伝説
さて、この神社がなぜに桃太郎伝説にゆかりの神社なのか?
そもそも桃太郎伝説ですが、
ご祭神の吉備津彦命が、国土統一の為に四方に派遣された四道将軍のひとりとして、この地に派遣されました。
当時この地で悪事を働いて人々を困らせていた鬼ノ城に住む温羅(うら)という鬼神を、吉備津彦命が犬飼部の犬飼健命、猿飼部の楽々森彦、鳥飼部の留玉臣命の三人の家来を率いて平定したというお話が桃太郎伝説のもとになっているそうです。
このとき吉備の中山に陣を構え温羅を成敗し、その後吉備国の祖神として崇められたのがこの吉備津神社です。
そのため境内には、退治された鬼の首が埋めてあると伝えられる御竈殿や釜の鳴動で吉凶を占う鳴釜神事などさまざまな歴史的な遺産や建物、伝説、神事がいまでも残っているそうです。

回廊
拝殿の右手にはとても美しく長い長い回廊があります。
その長さは398mで両下造り本瓦葺きで、一間毎に氏子が寄進して建てられたとのことです。
京都の伏見稲荷大社なら赤い鳥居ですが、ここでは回廊なんですね。

回廊
回廊

御竈殿と鳴釜神事(桃太郎伝説の続き)
桃太郎伝説は鬼を退治しただけでは終わらなかったようです。
温羅の首を切り取り、頭を晒しても唸り声をあげ続けるので、吉備津彦命は犬にその頭を食べさせますが、骨になっても唸り声は静まらず、吉備津神社で神事を行い、温羅の亡骸を釜の下に封じ込めました。
しかしそれでも鳴き声は収まらなかったそうです。
ある日吉備津彦命の夢枕に温羅が現れお告げがあり、そのお告げの通りにすると唸り声も収まり、遂に温羅との戦いが終わりを迎え、この地に平和が訪れたということです。
退治された温羅の首が埋めてあると処として祀られているのが御竈殿で、
以後釜の鳴り方でこの地域の吉凶を占う神事として「釜鳴りの神事」(鳴釜神事)が今でも行われています。

御竈殿
御竈殿と鳴釜神事の由来

主祭神
 大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)
   別名:五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)
      第七代孝霊天皇の皇子
      吉備津開国之神
神体
 吉備中山(神体山)

御由緒
古代より背後の吉備の中山に巨大な天津磐座(神を祭る石)磐境(神域を示す列石)を有し、山全体が神の山として崇敬されてきました。第10代崇神天皇の御世に 四道将軍 として遣わされた大吉備津彦命もこの山に祈り 吉備の国 を平定し、現人神として崇められました。諸民と国を深く愛し、永住された吉備中山の麓の屋敷跡に社殿が建てられたのが当神社のはじまりとか・・・。

御朱印
御由緒書
絵馬

いやはや、書き出すと色々出てくる吉備津神社です。
桃太郎の昔話も意外な内容で、さらに後編まであったとは、びっくり驚きで今まで何も知りませんでした。
また、三備一宮の話も知ればなるほどの話でした。
さらに歴史的な建造物に数々の神事、知るとちょっと得した気分です。
桃太郎伝説などは誰かに話したくて仕方がありません。
日本のさまざまなお話や建物、神社仏閣、お祭り、さらには日々の営みまでも全て繋がっていることに気が付かされ、ただ単に古いだけではないことに感動しています。
いや〜〜本当に勉強になる1日でした。
実は、吉備津神社はすでに3度ほど参拝させていただいていましたが、ここまでの歴史があるとは驚きでした。
すぐそばにある備中高松城の豊臣秀吉の水攻めばかり目を向けていましたが、改めて神社の素晴らしさを再確認しました。
荘厳な吉備津神社でしたが、参拝して本当に正解でした。
とても素敵な神社です、皆さんも岡山を訪れた際には、一度参拝してみてはどうでしょうか。
さぁ、備前、備中、備後それぞれの一宮も征服するぞぉ〜!


神社: 吉備津神社
住所: 岡山県岡山市北区吉備津931
HP: https://www.kibitujinja.com/


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