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彼らは今日もあなたの為に、体と命を張っている

重い話を書きます。
動物が好きな方には特にキツイと思います。
でも、動物好きな方にもそうでない方にも、もれなく読んで頂きたく思っています。

今週末、職場で「実験動物慰霊祭」があります。
毎年あるんですが、職業柄、できるだけ出席するようにしています。

私は、今は病院所属の臨床検査技師ですが、
10数年前までは大学研究室所属の技術員でした。

薬であれ手術であれ、新しいものが人間に施される前に
膨大な動物実験を行います。

知識としては、もちろん知っていました。

でもただ知っていて、目をそらしていたことを
目を見開いて手を動かしてこなすというのは、かなり違うわけで。

分かっています。
必要なことです。医療の進歩の為です。

だけど。

本当に必要なの? こんなに?
殺すために殖やすの?
実験されるために産まれたの?
この子たちは何もしてないのに、今から私たちに殺されて
私たちは誰を救うの?

人体実験はダメなのに、なんで動物ならいいの?

最初は震えました。吐きました。肉を食べられなくなりました。
だけど本当に最初だけでした。食べられない、なんて失礼にもほどがある。

泊りがけで実験して実験して、屠殺して、
そのくせ、家では猫を溺愛しました。

病気になった人間は、素直に死ねばいいのにと思いましたし、
実験するなら、罪人ですればいいとも思ってました。
(その場合、死罪よりもこれは重いのだろうか、軽いのだろうか?)

絶対に耐えられないと思っていたのに、
だんだんその光景にも慣れました。
心が折れる、激痩せするって思ってたのに、
むしろ太りました。

でもとにかく、きちんと仕事しました。

私は気が小さいし、「動物実験反対!!」と声高に叫ぶことはしません。できません。

思うことすら、安易にはできないと思っています。
今も医療者であることが、私の出した答えの一つだから。

ただ、「生きるために食べて血肉にする」、それだけでなく

「少しばかり健康に、長生きする」ために、
血肉もせず殺した動物たちの上に、
私も私の大好きな人たちも立っている。

そのことは心に留めて生きていきたいです。

例えば私や家族や友人が、現代医療の恩恵に預かって命を長らえた時には

治療を施してくれた臨床医にするように
薬を開発した研究者にするように

あるいはそれ以上に

その為に散った、散らせた彼らの命に、せめて感謝と敬意を捧げたい。
責任持って生きていたい。

そんな風に思っています。

あまり気持ちのいい話ではないでしょう。
でも、現代医療を受けたことのある人にはせめて知っていてほしい。
年に一度とは言わない、一生に一度でもいい。
彼らに感謝の意を表して黙祷する1分間を持ってほしい。
そう思って書くことにしました。

彼らは今日も貴方のために(もちろん、私の為にも)。
体を張り、命を張っています。

ここまで読んでくださってありがとうございます。
慰霊祭の日、貴方の気持ちも持って動物たちに祈りを捧げます。

ありがとう、ありがとう。
安らかに眠ってください。


この記事はたくさんの人に読んで頂きたいので、
記事紹介・リンクなどしてもらえると大変嬉しいです。

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