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0120_忘れる

「絶対忘れないから。ありがとう」
 いつだったか、学生時代にお付き合いをしていた当時の恋人が何度目かのデートの帰り道、別れ際にそう言った。この時期になるといつも思い出す。
 その日のデートは彼女が以前から行きたいと熱望していた、キャラクターの何十周年だったかのイベントだった。10年や20年の節目のイベントだったらしく、そこそこ大きな会場で、季節が冬ということも手伝って外にはイルミネーションが施されるなどと会場内外で盛大に開催されていた。どこを見渡しても彼女の好きなキャラクターで埋め尽くされていたので、彼女は終始満面の笑みだった。果たしてそれが『絶対忘れない』ほどのものなのか分からないけれど、純粋に彼女が大いに喜んでくれたことが嬉しい。帰り際に、またね、ではなく、ありがとうと言ったのも僕には印象的だった。
 だから、その翌日に、彼女が事故に巻き込まれて亡くなったという思いもよらない事態が起こったのだけど、結果的に僕にとって彼女の最後の言葉となった「絶対忘れないから。ありがとう」がストンと胸のうちに落ち着いたのは不思議だけど納得した。 
 
 あれから20年も経つけれど、彼女は本当に忘れないでいてくれているだろうか。

 僕はと言えば、彼女が絶対に忘れないと言ったならば僕も絶対に忘れないでいようと思えば思うほど、忘れかけている。
 横にいた妻が、俯く僕の手にそっと触れた。
「忘れていいと思うけど」
 笑うことなく、絆すわけでもないと言う真剣な表情をしていた。僕は10年前に結婚したが、妻にはもちろん彼女のことを話してはいたが、それについては話したそのときだけで、以降、僕に何を言ってくるでもなかったので、僕は少々驚いた。
 僕は妻が入れてくれたコーヒーを手に取る。ふわりと香るこの香りが苦手だと、そういえば彼女が言っていたことを思い出す。
「あのね、忘れないようにって意識すると、多分あなたはずっとしんどい。大事なものは絶対に忘れないから安心して忘れたらいいと思う」
「・・・・・・結局忘れるのか」
「違う、忘れても忘れない。例えばあなた、仕事しているとき私のこと考えてる?」
「いや、仕事中は、うん、ごめん、考えてないな」
 僕はなんだか罰が悪く下を向く。
「そりゃそうだよね、全然悪くない。そこは私のこと考えなくていいです。でも、忘れてないし、大事な人に変わりないでしょ?」
 僕は強く頷いた。
「彼女のことも、同じ感じであなたの中に置いていたらいいと思う。ふとしたときに、必ず思い出す大事な人として」
 それでは同列になり、妻としては不快なのではないかと思うが、口に出さず、飲み込むこともせず、僕はそれを消した。
「私は多分、彼女のことを覚えているあなたが好きで結婚したの。だから、忘れないで、忘れて」
 そう言って彼女は薄く笑った。
 そうだったそうだった。妻の懐の深さは深海並みだった。
 安心して、僕は彼女を忘れる。

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