見出し画像

0122_繰り返し忘れる

「3番線に電車が参ります。黄色い線の内側までお下がりください」
 寒さからなのか、もとからの声色なのか、震える声で車掌がマイクで告げた。私はそこに奇妙な感覚を覚えた。
 ついさっきも聞いたではないか。
 いやいや、待てよ。そんなはずはない。私がこの駅のホームに着いたのはたった今である。前の電車には遭遇していない。向かいの番線にも電車はなかった。では何の感覚か、私が聞いたのはいつか。
 先週金曜日の朝である。考えてみればすぐに納得する。平日毎日通勤で利用している最寄り駅なのだから、同じ車掌が(時々違う人だが)同じ時間に同じ文言をアナウンスするのは至極当然のことでなんら問題も違和感もない。聞き慣れたものである。問題なのは、前回聞いた車掌のアナウンスと、今しがたに聞いた車掌のアナウンスとのその間の記憶がすぐに思い出せないでいることだ。土日を挟んだその土日の記憶がすぐに出ない。
 たしかにこの土日はそのほとんどを家で過ごしており、記憶するほどでもなかった。起きて食事をし、部屋の掃除と洗濯をした。本を読んでテレビを見て、寒空の下ベランダからぼんやりと空を眺めたりもした。そんな日を2度繰り返せば、土日は終わる。で、月曜日の今朝となる。
 忙しかったわけではない、特段イベントなどはなかったけれど、つまらなかったわけでもなく、土日の気持ちはとても充実していた。癒やされたのだ。
 癒やされすぎて、なかったことになったのか?
 いやいや、そんなバカなことはあるまい。ゆっくりと休めたと言うことである。これで問題ない。
 でもきっとまたある時に、ハッと気付けば車掌の声とホームに私は立っているのではないか。そうして毎日は進み、日々を繰り返していくのだろうか。土日に体を休めなかったこととなり、その上、平日の仕事は記憶にも残さず、ただ、私は毎日をこなす。
 怖い。
 ただ、怖い。
 なにもないのだ。
 私に家族はなく、頼る身内もない。
 私がどのような日々を送ろうと、誰にも何にも影響はない。別にいい、それでも別にいい。
 でも、せめて、私くらいは私の影響を受けて覚えておいてやりたい。楽しいことをして、影響されて笑ってやりたい。悲しい映画を見て、影響されて泣いてみたい。私は私の記憶に残るために、毎日をもう少しだけ丁寧に生きたい。どこで何をしてどんなふうだったか、寸分も飛ばすことなく覚えていたい。

 ついでに、あなたの日々も、少なくとも私は覚えていよう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

18時からの純文学
★毎日18時に1000文字程度(2分程度で読了)の掌編純文学(もどき)をアップします。

★著者:あにぃ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?