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 台所の床にぺたりと寝転んでみる。冬の床はひんやりを通り越して冷たい。汚れて洗濯をするのが面倒だからと、いつからかマットを敷くことやめたので暖かな場所はそこにない。マットがないお陰で洗濯は不要になったが、床が汚れることがなくなるわけではない。だから、汚れたときや気が向いたときに、私はせっせと床を磨く。磨くと言うか手拭き用のウエットティッシュで拭くだけだけど、それでも陽の光が当たるときらきらしていてとてもきれいだ。
 で、きれいに磨いたあとに思わずぺたりと寝転ぶのが常だった。
 取りきれていない汚れや、奥の方にある子供のスーパーボールや小さなビーズ。あんなにねだられて買ったのに、あんなに祭りの度に増えていたのに、それらがここにいるということは、子供たちはもうスーパーボールやビーズに興味を示さなくなったのだろう。そりゃそうだ。彼らはもうそれぞれ高校生と中学生である。小さなおもちゃで遊ぶような年ではない。
 腕を伸ばす。思えばこの腕もなかなかに上げづらくなり、伸ばしづらくなったものだ。そりゃそうだ。私はまもなく50歳を迎える。伸びていた腕は縮みこそすれ可動域を広げることはないだろう。私自身と同じだ。私の生きる世界は狭まるばかりでこれ以上は広がらないだろう。そんなことをぼんやりと考えるのに台所の冷たい床が適当なのだ。
 あなたたちはあと10年もこの家にいないかもしれない。段々と、今はまだこの台所だけの床の冷たさが、いずれはリビングに広がり、和室から、2階の小さなへやまで伝わっていくのかもしれない。あなたたちのスーパーボールを見つけることも、いろんな形や色のビーズを見つけることもなくなるかもしれない。あなたたちが帰宅したときの床の振動も話し声の響きもなくなって、とても静かな空間になるのだろうか。そのとき私は、台所の床がどこまでも広がったようだと笑って泣いたりするのだろうか。
 夫に話せばきっと、まだ先の話だよと笑ってくれるだろう。私も、まだまだ先だよねと言って笑う。
 今はまだ台所の床だけに体と頬をぺたりとつけて目を閉じる。
 玄関の鍵を開ける音がして、私はスーパーボールとビーズを床の奥まで転がした。

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★著者:あにぃ


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