楽しく過ごしたクレイジー祖父の話


わたしにはクレイジーな祖父がいた。
前回noteに書いたのは母方の祖父だか
今回書くのは父方の祖父だ。

父親がまだ小さい頃、
祖父は仕事から徹麻(徹夜麻雀)の流れが好きで、しばらく家に帰らないことが多々あった。
その度に祖母は「あいつは女と遊び歩いてる!」と子供を引き連れて実家に帰り、久々に家に帰った祖父は誰もいない家を見て、急いで祖母の家に迎えに行ったエピソードがある。
昔は牛を飼っていて、愛牛を朝早くから散歩するということもあり、写真が残っていた。裏には「愛牛と」と震えた字で書いてあった。
今の時代だと「育児しないなんてどんな親だよ」と言われるかもしれない(笑)
そんな自由な祖父をある出来事が襲う

子供と一緒に楽しむはずが

家族旅行で訪れた海にみんなではしゃぎ、岩場から飛び降りで楽しんでいた。
バッシャーン!と飛び降りた後に浮かんでくるはずの祖父がなかなか浮き上がって来ず、1分、2分と時間だけが過ぎていく……
周りにいた大人達が救助に向かい岸に上がった祖父は意識がなく、病院に運ばれた。

脊椎損傷の生活

その後首の脊椎損傷の診断を受けた。肋骨から下は全く動かなくなった。
仕事も辞めざるを得なかった。愛牛との散歩も行けなくなった。

が、しかし祖父はそんな生活も楽しんだ。

全く練習せずに急に車椅子レースに出た(結果はビリ)
沖縄にも旅行に行った(家族旅行)
障害年金を貰いながら、何とか家計をやりくりし3人の子供を独立させた。

なんともクレイジーである。

自分でトイレに行き、眠かったら自分でベッドに移動。
好きなお茶も自分で入れて、毎日の晩酌は欠かさなかった。

「おい!このズボンのチャックに紐つけてくれ!そうすりゃ自分で下ろせっからガハハ」

なんて気丈な祖父だった。
いつも教育テレビを見たい私 VS 相撲がみたい祖父
の戦いが始まり、家をグルグル追いかけっこした。
たまに車椅子の後ろポケットからお菓子が出てきて、貰って食べたりした。

祖父との別れ

何度も車椅子から落ち、骨折し、その度にボルトで骨を繋ぐ手術をした。
気丈に振舞っていた祖父も車椅子からよく落ちるようになった。
その度に病院に長期入院していたので、家に祖父が居ない日が続いていたが、そんな日々も終わりを迎えた。

夜中12時に家の電話が鳴った。

急に家がバタバタして、母がこう言った。
「病院いってくる、多分大丈夫だから家で待ってて」

しばらくして帰ってきたのは動かない祖父だった。
全然大丈夫じゃなかった。行った時には
伯母夫婦がもう駆けつけていて、大きなため息をしていて「お父さん、ため息なんてついてどうしたの?」と声をかけたら既に亡くなっていたという。
延命治療は望まなかった為、心臓マッサージなどはせず、静かに安らかに息を引き取った。

祖父が火葬され、遺骨になった時
キラキラ光るものが骨に焼き付いていて
火葬場の方が「これは医療器具が焼き付いております」と言っていた。おそらく骨を繋いだボルトだ、と理解した。
粋な計らいでボルトは骨ではありませんので、と伯母はボルトを持ち帰らせて貰っていた。

最後の遺骨までクレイジーな祖父であった。

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