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焚火の興

焚火は火を起こすという人間にとって最も基本的で重要な行いの過程で自分の主体性を思い出せてくれる。だから、私にとって焚火のクライマックスは火を使ったり眺めたりする時間ではなく、まさに火を起こす過程にこそある。

まず、ナイフを使って薪を様々な太さに割る。そこから選んだ適当な薪を毛羽立たせるようにナイフで薄く削る。そして、ちょうどクリスマスツリーのようになったその薪を、一番下に敷き、その上に他の薪を細い順に積み、火を付ける。あとは、火の状態を見ながら適切な大きさの薪を適切な場所に配置していく。不思議なことに、この一連の行為は生き物を育てる感覚に近い。自分のやり方ひとつで火の在り様はどのようにも変わるのだ。

火が無事に「育って」大きく安定したものになると、私は「できた」としみじみ思う。そんなとき、少し安心したような怖いような気持になるのは、人間が昔から火に対して抱いてきた気持ちの裏表なのだろう。

現代の生活は何事も安全便利快適に、そして滞りなく行われる。それは、もちろんとても有難いことなのだが、その緩慢さの中では感じられないことも沢山ある。だから、私にとって焚火は癒しではなく、自分が人間として出来ることを確認してボタンひとつで炊事洗濯をする日常を相対化するための営みなのだ。


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