多様性という名の縛り

こんにちは。杏ジャムです。
時代の流れが速すぎて全く乗れず、オロオロするばかりの私。
でも、まぁ、それでも自分のペースで少しずつ進めばいいかと思いながら
日々つらつらと過ごしています。

新しいものは大好きなので、できれば楽しみながら使ったり取り入れたり
慣れていきたいと思っています。
言葉もその一つで、新しい言葉、使いかた、カテゴリー、面白いなぁと感じています。

そんななか、多様という文字を多く見かけるようになりました。
大切なことですね。
これまでの括りに拘らず、広く見て、取り入れて、受け入れて・・・。
知らなかったことを知識として学んでいく。
例えば性のこと。発達障害のこと。
なんとなく、日の当たる場所から少し遠かった人や在り方を
「普通」というカテゴリーに跳ね返されていたような時間を取っ払って「人」としてごく自然なことであることを再認識していくことはとても大事です。

でも、だからといって、その表現は性差別だ、とか、障がい者を冒とくしている、とか、批判しまくるのも何か違いように思います。
今いる自分たちの場所に一緒にいること。
共に生きること。
様々な考え方を尊重することが多様という事なのではないかと思うんですよね。

女性に生まれて
女性を愛してもいいように
女性であることを思う存分楽しむことも同じように、いい。

昨日、ディズニーのキャラクターがパンツスーツを着ているというネットの記事を観たのですが、それもいいし、これまでのスカートの姿も可愛いし、どちらが好きかはそれぞれなのであって
あんまりやいのやいのと言いすぎると、どんどん本来の目的から遠ざかっていく気がするのは私だけじゃないはず。

大事なのは「自分で責任をもって感じる。判断する」こと。

それをなんか、いちいち何かのせいにして批判するって・・・違うよねぇ。

確かにこれまでは「同性愛者」と聞くと「えっ?」とか「げー」という反応があったことは事実。でも今は「そうなんだね」「素敵ね」と言える時代になったのです。そしてそう感じることは自己責任なのです。
私自身、性のことでこんなにも悩んでいる人がいたことを知らずにいたので、ここ数年のLGBTの取り組みには本当に感謝しています。
でも声高にすることで、かえって傷つけることもあるのでは、と心配です。

多様ということを自然に受け止めることができる社会がくるといいな。
人が人であることの素晴らしさ。
いろんな人がいることの素晴らしさ。
そして、これまでの考え方も受け止めていく強さ。
男らしさや女らしさも同じように尊重してほしい。
それが本当の多様ということじゃない?

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