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新しい職場

 入社は切りのいいように12月からとしたが、1日と2日は土日だったので、12月3日が入社日となった。
 アルバイト先のプロバイダーには事情を話して、12月1日(土)までで辞めることにしてもらった。

 最初の日に社長から私の職務について説明があった。

 メインはお客さんからの問い合わせをAさんに伝えることと、Aさんの回答をお客さんに返すこと。
 そこは開発センターで電話がないので、やり取りはすべてメールで行う。
 Aさんは通常、自宅または海外(当時はハワイにコンドミニアムを持っていた)で仕事しているので、事務所には滅多に来ない。

 もうひとつ大事な仕事は、製品のマニュアル作成。
 この会社は、企業の社内システムに、外部から携帯電話でアクセスできるアプリケーションソフトを開発していた。
 お客さんのサーバに、開発したモジュールをインストールして環境を構築し、そこを経由して社内システムに繋ぐ。
 マニュアルは3種類あって、モジュールのインストールを含む環境構築マニュアル、管理画面の操作マニュアル、端末側のユーザ操作マニュアルだった。

 社長から、私の前任者だった女性SE(システムエンジニア)が使っていたPCの、中身をバックアップしたUSBメモリを渡された。
 これを開くと、その人が作成した、第1版から改編する都度保存された、すべてのマニュアルが入っていた。
 また、お客さんに送ったと思われる資料や、ログの解析結果なども残されていた。

 問い合わせてくるのは、プロバイダーのときのように一般ユーザではなく、企業のシステム管理をしている人だったから、内容は私が自分で調べて即答できるようなものではなかった。

 社長は営業をしているので、事務所には常駐していない。
 私の他には社長の母校である早稲田大学で情報処理を学んでいる学生が3人、アルバイトで来ていた。
 それぞれ授業のないときに来て、ドアの左手の壁際に置かれたパソコンで作業していた。
 3人一緒に仕事をすることはほとんどなく、たいてい1人か2人だった。

 ベンチャー企業なので他に社員はいない。
 毎日必ず出社する私が、ときどき来る郵便物や宅配の荷物の受け取りをし、たまに打ち合わせに来るお客さんにお茶を出したり、簡単な掃除やゴミ出しをする。

 掃除といっても、パソコンやサーバの下にはケーブル類がごちゃごちゃあって触れないから、真ん中のテーブル周りの通路の部分を、柄の長いコロコロできれいにする程度。
 それと、自分のデスクを雑巾で拭くことぐらいだった。

 私の席は入って正面左手にある大きな窓の前に置かれたデスクで、右隣りには背の低い冷蔵庫があり、その隣りには開発用のパソコン2台がパソコンラックに乗っていた。

 そこには私が入社したときにはだれもいなかったが、何ヵ月かしてインド人のプログラマーが入ってきた。
 最初は1人で、その後もう1人来た。
 2人ともインドから開発(プログラミング)の仕事をしに来ていた。

 事務所は5階でエレベーターがないので階段を使う。
 私は朝夕の出勤・退勤時と、お昼にお弁当やパンを買いに行くとき、それ以外にも郵便物を出したり、事務所で使う文房具やお客さんに出すお茶を買いに行くので、最低でも日に2回は階段を上がり下りしていた。

 当時は杖を使っていなかったが、右足の筋力は弱く、左足は常にしびれていた。
 それでも5階まで上がって息が切れたことはなかった。

 あるとき、お客さんが2〜3人ドヤドヤとやってきたことがある。
 見たところ30代初め〜半ばのややメタボ体型。
 部屋に入ってくるなり、「あー、疲れた」「あー、しんど」と口々に連発し、その辺の椅子に倒れ込むように座って、ハアハアと口で息をしていた。

 まぁ、だらしない。若いのに。
 私はちょっぴり優越感に浸りながら彼らを眺めた。

 お客さんのサーバを預かってモジュールをインストールしてから返すこともあり、そういうときは荷物の配達や集荷に運送会社の人がやってきた。
 エレベーターのないビルの階段を5階まで、重くて大きい段ボール箱を持って上がり下りするのは大変だ。
 サーバは精密機器なので、あちこちぶつけたりドスンと置いたりできない。

 こちらから集荷を依頼するときは、階段しかないので2名で来て欲しいと言って申し込んでいたが、配達のときはそれができない。
 運送会社ではドライバーが1人で荷物の運搬もすることになっているようだったが、私と同年配かそれ以上に見える人が来ることも多かった。
 社長に言うと、「まぁ、仕事ですから」と言われたが、私は申し訳なく思っていた。
 


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