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中井先生のこと(退院後 3)

 2007年4月13日、九段坂病院へ首のMRIを撮りに行った。
 いつものように、地下鉄の九段下からお堀端の坂道を上っていく。
 桜並木の下を歩いていると、そよ風で起きた花吹雪が顔に当たった。

 お堀端の桜はまだ少し咲き残っていて、葉桜の淡い緑の中に、うっすらピンクの霞がかかっているように見える。
 お堀の土手は一面若草の緑でおおわれ、ところどころ絨毯を広げたような紫花菜の紫と、菜の花の黄色いボーダーが入り混じって美しい。花で織り上げた綾錦を見るようだ。

 MRIの結果、首は異常なし。腫瘍の再発もない。中井先生に「首はもう大丈夫」と太鼓判を押された。

 それより、右目の奥の腫瘍の方を心配された。
「首は大丈夫だから、あとは目だね」
 中井先生は専門外の脳腫瘍のことをいつも気に掛けてくださる。

 順番が近付いたので呼ばれて中の待ち合い室で待っているとき、診察室から中井先生が他の患者さんと話しているのが聞こえてきた。
 先生は患者さんの言うことを「うん、うん」と優しく聞いてあげていた。
 直接自分の診ている症状のことではないのに、「それは整形外科とは関係ない」なんて言わずに、親身になって聞いてあげていた。

 中井先生は優しいなぁと思う。だから、みんなに慕われるのだ。
 私も何かあると中井先生に相談する。すぐに受診できなければメールする。それだけで気持ちが落ち着く。
 私にとって、中井先生は精神安定剤みたいなところがある。

 1月に虎の門病院を受診した折、臼井先生が来年は定年だと聞いた。(実際は2011年まで残っていらしたのだが)
 もう手術はしないのだそうだ。自分は執刀しないで、若い先生たちの監督をするのかもしれない。
 そのことを中井先生に話した。

「臼井先生に、『じゃあ、私はどうなるの?』って聞いたの。そしたら、『いいじゃない、他にも先生はいるんだから』って言われたから、『先生は当たり外れがある』って言っちゃった」
 そう言うと、中井先生は笑い出した。
「臼井先生、なんだって?」
「『まあ、それはそうだけど……』って。中井先生はまだ大丈夫でしょう? あと20年は大丈夫ね」
「いやー」
「患者さんたちが引退させないでしょうから」
「正直言って、手術はねぇ、確かに厳しくなってくるよ。うーん。せいぜい65……ぐらいまでだね」

 手術は体力もいるし、目も使う。細かい作業なので、老眼になると厳しいものがあるだろう。
 ふだんメガネを掛けている脳外科の先生が、手術のときはコンタクトをして(多分)、水中メガネのような拡大鏡をつけているのをテレビで見たことがある。

 臼井先生に言った「じゃあ、私はどうなるの?」というのは本音だった。臼井先生が引退した後は、どうしよう?

 良い先生に巡り会えるかどうかは患者の運命の分かれ道。九段坂病院に辿り着くまでにさんざんな目に遭った私はつくづくそう思う。

 ありがたいことに中井先生は去年(2006年)院長になられて、引退はしばらく先になりそうだ。
 中井先生にはいつまでもお元気で、ずっと現役でいて欲しいと思う。


※中井先生は2022年に院長を引退して顧問になられたが、2024年現在もまだ外来を担当されている。先生自ら手術もなさるそうで、2023年は年間で200件とのこと。

※九段坂病院の整形外科は脊椎・脊髄専門で、年間の手術数が他病院を抜きん出て多く、データが豊富なことから他病院の医師たちも見学に来ると聞いていた。

※私が入院していた頃は靖国通りの坂の上にあったが、2015年に坂の下の千代田区役所跡地に移転し、リニューアルしてリハビリテーション病棟も新設された。


九段坂病院





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