リハビリ開始(頚椎腫瘍 15)
手術から1週間後の11月29日。
手術前日と手術当日も含めると、もう8日も寝ている計算になり、自分でも焦りを感じ始めていた。
「起きてみたい」と看護師さんに言うと、「先生が来たらね」という返事。
いよいよ回診の先生が来たので、カラーをはめて横向きになり、看護師さんに教えられて足を先にベッドから下ろし、ベッドの柵につかまって上半身を起こそうとした。
ところが、まるで起き上がることができない。
前にも書いた通り食べなかったせいでげっそりやせてしまい、腕の筋肉がないに等しかった。
先生に助けられ、先生の腕につかまって、必死の思いで上半身を起こすことができた。
やっと起き上がったのに、今度は1人で座っていることができない。体がだるくてたまらない。ほんの数分ベッドに腰掛けていただけで、また横になってしまった。
翌日も起きあがる練習。
前の日より少しマシ(だったはずだが、この辺りの記憶がない)。
夕方、リハビリのW先生がやってきた。この道30年というベテランだ。
2、3質問してから、リハビリの期間は1カ月と宣告された。
「ええっ! これから1カ月ですか?」
入院する前は1カ月で退院できるという話だった。入院してから既に2週間たっている。これからさらに1カ月だなんて、とんでもない。
「あと2週間で退院しますから」
まだ歩けもしないくせに強気で宣言する。
「2週間じゃ無理だな」
「します!」
国分寺のお姉様から、退院後1カ月は病院にいるときと同じように過ごさなくてはならないと聞いていた。体力が回復するには最低でも1カ月はかかるということだ。
それを聞いたら、なおさら早く退院しなくてはならないと思った。仕事をしない間収入が途絶えるだけでなく、入院が長引けば仕事そのものを失うおそれがあったからだ。
それに、入院中も部屋の家賃はかかる。無収入でも出費だけは変わらない。
「どうやって退院したい? 自分で歩いて帰る?」
「自分で歩いて帰ります」
W先生はベッドの足元に回ると、私の足を持って脚を上下させる運動を始めた。続いて膝の屈伸、脚の開閉、腕の運動……。
私は最初のうち、自分では力を入れずに、脚でも腕でも先生に動かしてもらっているだけだった。
リハビリの意味がわかっていない。
力を抜いてやってもらっているのではリハビリにならない。先生の力に逆らうように、自分でも力を入れて運動しなければならないと注意された。
「それじゃ、起きてみようか」
腕の運動が終わると、カラーをつけて起こされた。
先生に手伝ってもらって、ベッドの脇の椅子に座ってみる。
壁につかまって、ベッドの足元までゆっくり歩いてみる。
1日目はこれで終わり。1つ1つの動作がとてもきつかった。
W先生は毎日夕方にリハビリに来てくれることになった。手足の運動と、歩行器で歩く訓練。毎回30分ぐらいのメニュー。
2日目の夜から歩行器を使って自分でトイレに行かれるようになった。
3日目にはトイレで手すりにつかまらずに便座から立ち上がれた。
ところが、この同じ日、病室の外に冷蔵庫が置いてあるのだが、ドアを開けて下の物を取ろうとしゃがんだら、立ち上がれなくなってしまった。
こんなときに限って廊下にはだれもいない。
だんだん足が疲れて辛くなってきた。
困ったがどうしようもないのでしゃがんでいたら、看護師のNさんが向こうの病棟からナースステーションに戻ってくるのが見えた。
大声で呼んで手を振ったら、急いで来て、後ろから脇の下に手を入れて立ち上がらせてくれた。
後でW先生に話したら、しゃがんだ拍子に後ろにひっくり返る人が多いから、しゃがんではいけないと言われてしまった。
ところで、N先生にもリハビリに1カ月は長過ぎる、あと2週間で退院したいと訴えた。
「それは無理ですよ」
「でも、1カ月の予定で入院したんですから」
「アンヌさん、こうして上を向いて物を取ったり」
と言いながらN先生は両手を上に上げて万歳したが、私はまだ首の傷が痛くて両手を上に上げることもできないのだった。
「下を向いたりできないですから。下を向くのは絶対にだめです。家へ帰ってもふとんの上げ下ろしなんてできないですよ」
「だけど、仕事の都合もあるし、2週間も延びるのは困ります」
私があんまり強く言い張るので、N先生は閉口したようだった。
しかし、自分でリハビリ室に出向いて本格的にリハビリできるようになったのが1週間後。それからたったの1週間では、歩行器がはずれそうもないのは歴然としていた。
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