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銀座でデート

 プロバイダーに勤め始めた年のお盆休みに、サポートの優しい先輩と銀座でランチデートをした。

 先輩と言っても親子のような年齢差。けれど、気が合う。
 息子と出かける母親のような気分かも。ルンルン!

 1時に有楽町の駅で待ち合わせ、東京国際フォーラムのガラス棟を見学してから、当時は銀座1丁目にあったつばめグリルへ。
 先輩のSさんはハンバーグ、私はロールキャベツ。

 つばめグリルのロールキャベツは初めてだったが、キャベツが柔らかく、味付けもさっぱりしておいしかった。
 名物の丸ごとトマトのサラダも良く冷えていた。
 2人ともトマトが大好き。
 職場では、共通点が見つかるたびに「親子だもんね」と冗談を言っていた。

 食事の後は、松屋で開催されていた「星野道夫展」へ。
 私はこの人が亡くなる前からのファンで、そのときも招待状をもらっていた。
 お盆休みの上、その日が最終日とあってものすごい混みようだったが、やはり良かった。写真はもちろんのこと、大自然の中にいてこそ湧いてくる言葉の数々に、心を揺さぶられた。

 Sさんも星野氏の言葉に感動したようで、「やられた」と思ったとか。
 すばらしい言葉に出合うと悔しいのだそうだ。だれかが先に書いてしまったら、もう自分が書けないから、同じことを書いたら真似になるから、と。
 これって、最大の讃辞では?

 立ち通しで見ていたので足が疲れた。さっさと歩くよりも、のろのろ歩いたり、立っている方が足には負担がかかった。

 松屋の裏から少し海寄りに歩いたところの、銀座クレムリというソフトクリーム専門店に入って休憩。
 居心地のいい店で、ソフトクリームが甘過ぎずにとてもおいしかった。
 ここで2時間ばかりお喋りした。

 Sさんとは、気取らず、構えず、自然体で話ができた。
 Sさんの性格が良いせいもあるだろうが、あれだけ年齢差があってあんなに仲良くなれるのは珍しい。
 波長が合うということか。

 いずれにしても、楽しい1日だった。

 Sさんは、私が辞めてからどれぐらい経ってだったか、結婚したという話だった。

 私にそれを教えてくれたのは、同じ職場にいた女性社員のSさん(後に結婚してTさんになった)で、彼女はサポートの先輩のSさんより少しだけ若く、私とはやはり親子ほど年の差があったが、毎日ランチを一緒にするほど仲が良かった。

 同じ頭文字で紛らわしいので女性のSさんはTさんと呼ぶが、私がバイトを辞めてからも彼女とは毎年1回は会って、ランチしたり遊びに行ったりしていた。

 Tさんは顔が可愛くて気立も良いのに、なぜか縁遠くて、会うと彼女の婚活の状況を聞くのが私の役目のようになっていた。
 私が辞めてから10年ほどして良い人に出会って結婚し、5年前に男の子が生まれた。
 運悪くコロナの前年で、その後しばらく子育てに忙しいこともあり、私はコロナが怖いので会えずにいた。

 今年の年賀状に「会いたいです」と書いてあって、私もそろそろ会いたいと思っていたので、久しぶりにメールでお喋りした。
 まだ会っていないが、年内にどこかで会えるかもしれない。

 この会社は社員がみんな仲良く、和気藹々としていた。

 可愛いアクセサリーをつけているのでほめると、「ダーリンが買ってくれたの」と嬉しそうに言う、長年連れ添ったご主人といつまでもラブラブな経理課長。

 女手1つで2人の娘を育てあげたHさんは、私より3つ4つ年上だった。
「メールが送信できない理由は」に登場したHさんで、今は引退しているが、あれからずっと年賀状のお付き合いが続いている。

 何年か前にTさんがアレンジしてくれて、経理課長とHさんを入れて4人で、表参道の交差点近くにある花でいっぱいのカフェで、同窓会のようなランチ会をした。
 今年もTさんが何か考えているらしい。

 私を採用してくれたO部長はときどきみんなにおやつの差し入れをしてくれたが、いつだったか、自宅の近くで買った塩豆大福を持ってきてくれたことがあった。
 私は豆類があまり好きではなく、あんみつのエンドウ豆もできれば入っていて欲しくないと思うのだが、この塩豆大福はとてもおいしくて、さんざんほめた。

 部長はそれを覚えていて、私が辞めるときにこの塩豆大福を買ってきてくれた。
 何度食べても、あのエンドウ豆のおいしさには感激だった。

 いつもお昼にカップ麺を食べるシステム課のS課長。課長のデスクの下にはカップ麺が何種類もストックしてあった。
「今日はどれを食べるんですか?」
 と、毎日お昼になると課長のデスクを覗きに行った。

 システム課のKさんには、仕事でハードを扱うときに何度もお世話になった。
 PCのメモリボード(マザーボード)の取り外し方や、処分するPCからハードディスクを抜いて処理する方法なども教えてもらった。

 PCの裏を開けてメモリボードを取り出したのも初めてだったが、このときの経験があったので、何年も経ってからだが、自分のiMacのメモリ増設をやってみた。

 Apple製品はWindowsとは違って、昔はユーザが自分でハードをいじるようにはできていなかったが、その頃はネット上でやり方が公開されていたので、iPadで表示させておいて見ながらやってみた。
 私は指の力がなくなっていたので、メモリボードを引き抜くのに苦労したが、なんとか引き抜いてチップを追加できた。

 辞めた社員のPCや調子の悪いPCに、OSを再インストールするのも私の役目だった。
 OSを再インストールした後でドライバをインストールし、セキュリティソフトを入れ、Officeを入れ、パッチを当て(更新プログラムをインストールし)、ファイヤーウォールでネットワークの設定をし、ネットワークプリンタの設定をして……と、やることは山ほどあった。

 最初は説明書を読みながら画面をにらみ、説明書に書いていない画面が出ると、オタオタしてKさんを呼びに行ったが、半年も経つ頃には何も見なくてもさっさとできるようになった。

 眠っているPCにパッチが当たるように、毎週1回起動するのも私の役目だったが、ときどきブルースクリーンが出ることがあった。
 そういうとき、自分で対処できればするのだが、どうにもならないとKさんを呼びにいった。
 Kさんが見にきてちょっと触るとすぐに直ってしまう。
 機械も人を見るのだと思った。

 1つ思い出すと次々に出てくるのだが、この辺でやめておこう。
 とにかく、楽しい職場だった。

※写真は銀座のソニービルで夏になると開催されていた「沖縄美(ちゅら)うみ水族館」。
夏の間だけ、銀座の街を背景に魚が泳いでいた。
中央右寄りの三角帽子のような屋根のある建物は数寄屋橋交番。(2010年8月撮影)


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