退院(脳腫瘍 22)
3月18日(金)、退院前日。
毎週火曜日と金曜日は脳外科部長の臼井先生の総回診がある。
そうとは知らず、朝食前には洗面所にコーヒーをいれに行ってしまうので、毎回臼井先生には会えなかった。
前の週になってようやく総回診のことに気がついたのに、この朝もうっかり8時半前に洗面所に行ってしまった。
8時から3回も見に行っているのに、給湯器のランプがなかなか緑色にならず、とうとう朝食のお盆が来てしまったが、コーヒーがなくては食べる気になれないので、準備中でもかまわずコーヒーをいれに行った。
コーヒーをいれ終わって部屋へ帰ろうとしたら、総回診の一団が廊下に来ていた。
それで臼井先生の回診を思い出したのだった。
どうせ総回診のときはあいさつ程度で、ゆっくり話す時間はないのだが、またしてもチャンスを逃してしまった。
翌日は退院だから、次の外来受診まで先生には会えない。
朝食後、歯を磨いているときに、うがいをしたら右耳のふたがほんの少し開いたように感じた。
耳にふたされて音がよく聞き取れなかったのが、よく聞こえるようになった。
徐々に水が吸収されているのだろう。
3月19日(土)、退院。
朝食後の薬を飲むのにペットボトルのふたを開けなくてはならなかったが、あいにくMさんはいないし、近くに看護師さんもいなかった。
仕方なく、台拭きにしている濡れたハンドタオルを巻いてひねったら、ふたが開いた!
1週間ぐらい前にもやってみたが、ふたはびくともしなかったのに。
日々進歩しているのが嬉しかった。
2時半頃、ケイコさんが迎えに来てくれた。
「何も持たなくていいですよ。私が運びますから」
ケイコさんは病室と駐車場を往復し、袋に詰めておいた荷物を運んでくれた。
「食料品を買って帰った方がいいでしょう。どこに寄りますか?」
「駐車場があるところがいいわよね?」
前にも連れていってくれた近所のスーパーに寄ってもらった。
買い物が済み、家に帰り着くと、ケイコさんは車に積んだ荷物を何往復もして部屋に運んでくれた。
3週間ぶりの我が家。玄関の鍵を開けると、真っ先にベランダの鉢植えを見に行った。
ベランダの戸を開けると、白い鉢いっぱいに植えたドワーフのラッパ水仙が、黄色い花をぎっしりつけていた。
明るい色の花が一斉にこっちを見て、「おかえり」と言っているかのようだった。
虎の門病院に入院する前にもケイコさんには食べ物の差し入れをしてもらったが、なんと、この日もおかずを作って持ってきてくれた。
子持ちガレイの煮付け、小松菜と油揚げのごま和え、白菜と肉団子とマイタケの豆乳スープ煮……これはポン酢で味付けして食べるようにと、ポン酢まで持ってきてくれた。
夕食にいただいたが、とてもおいしかった。
私のパン好きを知っているので、クリームパンとメロンパンも買ってきてくれた。
病院に迎えに来てもらうだけでも大助かりなのに、食べ物まで持ってきてくれるなんて、ケイコさんはなんて親切なんだろう。
あらかじめ区のボランティアセンターにボランティアの人を派遣してもらうように頼んでおいたので、夕方ボランティアのヘルパーさんが掃除に来てくれることになっていた。
だから、ケイコさんにはゆっくりお喋りしていってもらいたかったのだが、路上駐車の取り締まりが厳しいので車のことが気になるからと、ろくにお茶も飲まずに引き上げていった。
九段坂病院から帰ってきたときは、チビが「メイちゃんのお家」にいて、夜になったら戻ってくることになっていた。
あれはたった3カ月前のことなのに、そのチビも今はもういない。
がらんとした猫部屋に入り、チビの遺影に向き合った。
「チビちゃん、ただいま」
声に出してそう呼びかけると、涙がどっとあふれた。
チビが逝った後、胸の中に重いかたまりが詰まっているだけで、涙は出なかった。
悲しくてたまらないのに、泣けなかった。
虎の門病院を退院してチビのいない我が家に戻り、姿の見えないチビに「ただいま」と言ったとき、チビが逝ってから初めて涙が流れた。
1月、2月の自宅待機期間は、自覚している以上に具合が悪かったのだと思う。
病院では夕方になると、ベッドに座って、大きな窓の外の次第に暮れていく空を眺めていた。
他に何もすることがなかったから、持っていったラジオで音楽を聴きながら、ビルの後ろを雲が流れていくのや、カラスが飛んでいくのをただ眺めていた。
もうあんな時間を持つことはないだろう。
傷の痛みや、耳のうっとおしさを除けば、快適な毎日。
病室のメンバーたち(Kさん、Fさん、Mさん、Sさん、Rさん)とも仲良く、看護師さんたちもみんな優しく、楽しい入院生活だった。
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