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ワタシが死体にこだわる理由

💀ワタシが死体にこだわる理由💀

めったにモノを買わない私が生死体写真集【THE DEAD】を買いました。
写真家釣崎さんの作品集で、死体を通した芸術的"美"を突き詰めた作品集です。

3Dで目の前に浮かぶ死体ページもあり
心に重くて綺麗なものをぶつけてくれる💀

罪悪感
恐怖心
神秘
興奮
嫌悪
道徳心
痺れ
勇気
空虚

ただ怖い.感動する.そんな枠じゃない
目の奥が痛くて頭痛がする...

「どうでしたか?」と聞かれても、説明できないこのショック痛と体感に価値ある。

とても動物的な受け止め方だけれど
それで正しいとも思っている。

小学生の時から、
この感覚が止められなくて、常習的に観た後にいつも人間という生物に生まれた事を後悔していた。

人間は残虐に殺す悪い奴なのに、私も人間だ。全てが千切れ焼け焦げる人間....私もこれだ。生前の善悪関係なく作業的に処理される死体

人格、肉体、善悪、狂気、世界、生、死、美、

いろんな思考がぐちゃぐちゃに混ざって、今の私の人格を形成する深い所まで繋がってる。

放射能で溶けた人
高温で焼け焦げた人
地雷で脚が切れた人

私はなんだ?
ここに居るってなんだ?
人間ってなんだ?
何でこんなことが起きるのか?
人を殺しても人として生きれるものなの?
殺されたらどれくらい痛いの?
どんな気持ちになるの?

哲学的な思考と医学的部分と本能的感情を含め当時、正解のでない疑問を一気に感じて畏怖していた。

怖くて怖くて目が離せない。「この場所に生まれなくてよかった」と思っている自分が悪人のようにも感じる。ここから私は独自の死生観を作り始めることになった。

未だ、その答えを探し続けている。

痛みや苦痛を知ると、少しだけあの時の写真の向こうにいた人々の想いに寄り添える気がして、死を理解できた気に一瞬だけなる。今は人間ではない空(死体)になる擬似体験が、私にとって瞑想に近い原理になっていることがわかる。

死に執着する人間は生に執着しているので、
死にたいする意識は、0にすることが大切なのだともよく言われている。
しかし、私はいつか来るリアルな死をエンタメ的に捉えようとする傾向にあって、永遠の生に魅力を感じない。(ある日、突然事故や他殺で無に還ることもあるかもしれない)


死生観や美しさの前に、死体になったり執着するのは"死を理解し、安心したい"という欲求が動くからだと考えていて、怖いものに対して研究する行動は、哲学を追求する者に多いらしい。
とても人間的な感情からきている。そして【死後】は誰も知らない為、常にロマンで溢れているからこそ、エンタメからの訴求の可能性も広く、そこからのアプローチを行っている。

憧れや美的感覚、生物愛、擬似瞑想、妄想など
多くの部分と絡んでおり、今後も現実にクリエイトでアウトプットすることや肉体で体現することを続けないとどうしようもない。くらいのレベルで意識に刻まれている。

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