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防空壕の奥に見たもの

原爆資料館から子供が受け取ったもの

原爆投下から75年という、見出しをみて思い出した事がある、私は原爆資料館が好きだ。

小学生の頃、授業の一環で連れていかれたことがある人も多いと思う。私は福岡に住んでいたので小学生のとき長崎県、中学生では沖縄県に修学旅行で訪れた。長崎原爆資料館を見学したが小学生では、まだ展示品や文章の本当の意味を理解できていなかったと思う。

ただそこに貼ってある、原爆の影響で溶けた、性別さえわからない人が救護の人達に支えられている白黒の写真を見たとき、世界が恐怖と痛みに飲み込まれた。私は咄嗟に自分を守りたくなった、衝撃波で脳ミソが揺れる。重たい。しかし、私の目は写真から離れない。

「怖い」この感情が正しいと思う

生きているのが怖くなった
自分が人であるのが怖くなった
写真の人物がまだ生きているのが怖くなった
これが現実であることが怖くて堪らなかった

しばらくして

「私の時代じゃなくてよかった...」

安堵した。

でも、まだちょっと頭が重い

防空壕の奥に見たもの

中学生で沖縄に行った時、本物の防空壕の中で灯りを消して経験者から話を聞くという時間があった。

防空壕の入口までしか行けなかったが、手前の方に転がっているのはお茶碗の欠片、コカコーラの瓶がいくつか置いてある...さっきまでここで人が生活をしていたような、眼を瞑ると見えてくる。その人達は怯えている様子ではなく、テキパキと作業をしているみたいだった。

中に入ると、原爆資料館の時と少し似ている。空気が下に沈んでいる、重たい。話の途中で体調を悪くする子も出たみたいだった。話が終わると係のおじさんが「この先で実際に生活してた」と言って、先の狭い通路を見せてくれた。

大人が四つん這いになって通れるくらい狭い穴は、何かを放っていた。ここから重たい空気が出てることがわかった。ぽっかりと開いた黒い穴はまるで地獄に続いてるような気がした。生暖かくて息苦しい風を飲み込んだ。好奇心で入ってみたい気持ちもあったが、それを上回る「怖い」を感じた。

その中でも印象に残っているのは、ここの係のおじさんが言ってた言葉。「何かあっても幽霊や亡くなった人のせいにしないでください。」きっと学生たちがここで起きたことをホラー体験として持ち帰ってしまうからだろう。

ただ、それだけと言われればそれだけだが、私はおじさんのその言葉から色んな感情を受け取り理解できた気がした。

人間として生きる為に「怖い」は必要

私の人生で、この2つは原体験と言っていいほど今の私に影響を与えている。強烈に己の存在を揺さぶられる感覚。怖いでは言い表せない複数の感情が複雑に絡み合う、これに向き合える機会はとても貴重だ。

大人になると物事を知識と経験で受け取ってしまいがちだ。資料館や博物館に行って見ても「可哀想」「悲しい」「こんな酷いことしてはいけない」と言葉にしてしまう。

しかし、あの時の私が受け取ったものが本来、自分の生きる世界の為に、これからの世界の為に忘れてはいけない何かだったと今更思う。

いつでも私の時代になるのだ、そうならないように、心に刻みに資料館に行こうと思う。

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