『シッコウ!!』の「異様」さ

『シッコウ!!』というドラマを初回から見ている。執行官という仕事があることや、その仕事の中身などについて知ることができて、そこが興味深いから。しかし、所謂「人間模様」を描いたドラマ部分が、今までの6話全部「異様」で「怖い」。と言っても、別に、ホラーとかオカルト的な怖さではない。暴力や怒声の怖さでもない。各エピソードで、強制執行される側の人間、つまり債務者たちの「人物造形」が「異様で怖い」のだ。本当は心がない存在が、心があるふりをして、泣いたり騒いだり怒ったりしているようにしか見えないのが、まず、異様で怖い。そして、そういう「ニンゲンモドキ」な債務者たちを「同情的」に描いている、このドラマの制作態度が異様で怖い。

で、考えた。「何が起きてる?」と。6週目に一応の「答え」が見えたのでメモしておく。

執行官の「活躍」を描くドラマなので、強制執行にまで話がこじれなければ、エピソードが成立しない。だから、毎回、強制執行の日まで「駄々をこね続ける」債務者が登場する。しかし、現実の世界で強制執行を食らってしまうような人たちは、どちらかというと、「NHKスペシャル」や「クローズアップ現代」にモザイク顔で登場し、音声変換された声で証言するような、ちょっと「特殊」な人たちのはず。ここでいう「特殊」は、「ものわかりがよい/わるい」「権威に対して従順か否か」という態度や信念に属する「特殊」さではなく、「ケーキを切れない子どもたち」系の、知的な「特殊」さのこと。事態が打開されることがないのはわかり切っているのに、物件の明け渡しを拒否して強制執行の日まで居座り続けるその姿は、ゴミを捨てない「ゴミ屋敷」の住人や、8月末まで夏休みの宿題に手を付けない小学生の「愚かさ=気の毒さ」に通じる。つまり、そういう意味では「気の毒」な人たちではあるが、あくまでもそういう種類の「気の毒さ」なのだ。

ところが、ドラマに登場する強制執行をくらう債務者たちは「フツウ」の人として描かれている。執行官に「歯向かう」以外のことでは、わりとモノの分かった常識人のように描かれている。要するに「ケーキを切れる」人たちとして描かれている。「ケーキを切れる」人たちが、執行官相手には「ケーキを切れない」人のように振る舞うので、(観ていると)人格異常者のように思えて、それが「異様な怖さ」になっている。

執行官の仕事を取り上げた種本のようなものに、強制執行に至る色々な事例があって、それをもとにドラマ(エピソード)を作るときに、強制執行される側の人間を、視聴者から共感を得られるような人間に作り替えようとしたら、強制執行に至るまで駄々をこねるという行為自体が、「回転寿司の醤油ペロペロ」並の幼稚で浅はかな行動なので、他の場面(毎回ある、債務者たちの楽しかった思い出場面など)でどう取り繕っても、視聴者からの共感は得られず、むしろ逆に、「言い訳にすらなってない」と反感を買う、という構造になってしまったのではないかな。

なんだろう? 全くの想像だけど、種本では、強制執行を食らう債権者たちは、ただのケーススタディの要素的に扱われていたんじゃないかな。つまり、個々の人格とか知能とかそういうことには触れず、こういう立場の人が、こういう家族構成で、ああだった、こうだったと、「無機質」に紹介されているだけだったのを、ドラマにするときに、視聴者から共感をもってもらえる人物として造形してみたら、なんと、強制執行を食らうような人間というのは、そもそも一般の視聴者から共感を得られるような人間ではなかったことが、そのとき初めてわかった、というような流れで、なんだか、大変なことになったな、と。

もう一つ言えば、これは誰かが一人山奥で書いている小説ではなく、全国放送されているテレビドラマだということ。つまり、少なくない数の関係者が存在していて、「これでいい」と判断し、毎週放送しているのだ。恐ろしい(興味深い)。一体、出演している俳優陣はどう思ってるんだろう? とか、余計なお世話な想像をする。

とにかく。もう、ドラマの本筋とは関係無しで、この異様で怖い「債務者の描写」が気になってしょうがないので、(人間ドラマとしてはとても観てられない気分なんだけど)、最終回まで見届けるつもり。

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