MQ(媒体依存度指数):人類を悩ます「バカ」問題を見通すための試み

回転寿司ペロペロから、ウクライナ侵攻まで、今も昔も人類を悩ます「バカ」問題は後を絶たないけど、その「バカ」原因を知能(IQ)の高い低いに求めると、微妙に的ハズレな気がする。知能が低いからと言って、誰も彼もが、割り箸を舐め回したり、スパイごっこや王様ごっこが止められないマッチョ老人になったりはしないからだ。だいたい、知能が高くてもソウイウコトをやる人はいそうだし。

「バカ」問題を見通すには、IQ以外の指数が要る(ハズ)。

少し寄り道。

生命現象に依存しない知性現象を創出し、彼らに自らの文明を譲り渡したのちに、自発的絶滅によって、この宇宙から退場することが、生命現象依存型知性現象である人類の「ハッピーエンド」であることは、『人間の終わり』に書いた。(そしてこれも前に書いたかも知れないが)だから、人類にとっての「進歩」は、生命現象からのできる限りの「自立/独立」ということになる。

因みに、迂闊な人たち(主に大金持ちたち)は、だから、肉体を「機械」に置き換えようと躍起になるわけだが、それは見当違いな試み。なぜなら、人間の知性現象は、いずれにせよ、依存している生命現象という媒体が実現しているものだからだから、「機械の体」(松本零士の冥福を祈りつつ)に「乗り換えた」時点で、そこで実現される知性現象は、我々の知る「人間」の知性現象とは別のものになるからだ。(ゴッホが油絵の具で模写した浮世絵は、最早、浮世絵ではなく、ゴッホの油絵)。

人間が「進歩」や「成長」を口にするとき、それは「二階建て」になっている。「一階」の「進歩」や「成長」は、言ってしまえば、繁殖動物として「一人前になった/なる」という意味でしかないが、「二階」の「進歩」「成長」は、最初に述べた「生命現象からのできる限りの自立/独立」ということを意味する。つまり、「一階」の「進歩」や「成長」は、人間に限らず、サルでもハエでもやっていることで、要するに生命現象としての「必然」や「宿命」。人間にとって真に重要なのは「二階」の「進歩」「成長」の方。

しかし、人間はとかく「一階」の方を重視しがち。「二階」をいくら見事に仕上げても、人間という知性現象を形作る媒体(生命現象)の「要求」に応じる場所である「一階」がポシャったら、全て終わりだからだ。

「一階」の「進歩」や「成長」とされるものは、具体的には、「子供を生む」とか「血縁を優遇する」とか「仲間を見捨てない」とか「祖国を守る」とか、いろいろ。具体的に並べてみると、どれもこれも、文学や映画のモチーフにもってこいの「人間としての生まれたからには」系。どう間違っても「正論中の正論」。だから、人間は安心して夢中になる。

しかし、一言で言えば、これらは全て「遺伝子の言いなり」

実際、人間が地球の「支配者」になれたのは、「遺伝子の言いなり」になってきたおかげなので、あまり考えるのが得意ではないアタマの持ち主たちが、これからも「遺伝子の言いなり」で行くべきだと思ってしまうのも無理はないが、『人間の終わり』でも述べたように、その程度の「支配者」レベルでは、結局、ジリ貧なのだ。たとえ、アンドロメダにロケットを飛ばせても、大銀河連邦を創設できても、遺伝子バンザイの生命教のお題目を唱えてる限り、追いかけているのは恐竜の足跡

だから、「一階」に関しては、「媒体」である「生命現象」を維持する程度の貢献度や注力度にとどめておいて、「二階」にこそ本腰を入れるべきなのだ。

「二階」の「進歩」や「成長」、即ち、〔生命現象依存型知性現象としての人間〕の「進歩」や「成長」の程度は、「自らの媒体である生命現象からどれだけ自由になれているか」で決まる。言い換えるなら、生命現象という媒体への依存度が低ければ低いほど、「進歩」「成長」しているということだ。

この「媒体への依存度」の度合いを、今ここで「媒体依存度指数(MQ)」と名付ける(名付けた!)。そして、MQは5段階で表すことにする。「1」が媒体依存度最小で、「5」が媒体依存度最大。言い換えるなら、「MQ1」が最も「進歩」「成長」していて、「MQ5」が最も「退歩」「未熟」ということ。更に言い換えるなら、「MQ1」が人間の知性の頂点で、「MQ5」が犬猫レベルのどん底(別名「遺伝子の言いなり」)。「MQ3」はフツウ。子供も欲しがるけど、宇宙の始まりや意識とはナニカについても研究する。つまりフツウ。因みにMQには「0」もあるが、人間には到達できない。所詮、生命現象依存型知性現象だからだ。「MQ0」まで行けるのは、生命現象依存型知性現象のみ。

人間の愚かさを見通すとき、MQは、IQ(知能指数)よりも使える(ハズ)。

で、やっと本題。

COURRIE Japonで「成熟したプーチン主義者が持つ“平和的な世界観”と5つの特徴」という記事を読んだ。記事で紹介されていたプーチン主義者の特徴の土台になっている知性現象の「程度」を見通すには、IQでは巧く行かないと思った。どう考えても高IQではないけれど、かと言って、所謂「境界知能」という感じでもないらしい。要するに、IQ的には「フツウ」の人たちが、ゴリゴリのプーチン主義者になっているのだ。なら、プーチン主義者ではないロシア人とプーチン主義者のロシア人との違いは何だろう? と思って、でっち上げたのが、MQ(媒体依存度指数)。このMQなら、プーチン主義者がどこに属するかがうまく見通せる。

プーチン主義者はMQ4かMQ5。これを日本語で言い換えると「フツウの人たちよりも生命現象の言いなり」か「犬猫並みに遺伝子の言いなり」となる。自分の子供が大好きで、なわばりも守りたいし増やしたい。自分にイイことをしてくれる人は大事な「仲間」や「恩人」で、しかし、人間の世界も本質は「弱肉強食」だと思っているので、自分たちの幸せのために「よそ者」がどうなろうとそれは「仕方がない」と言いきってしまえる。それがMQ4とMQ5の人々。

MQを決めるのは、「生まれつき」と、広い意味での「学習(教育)」の二つ。MQの増減に特に大きな影響を与えるのは、言うまでもなく生命教。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?